デンマンが日々思ったこと考えたこと感じた事を書きます。


by denman705

虚構とウソ (PART 2 OF 3)




 


虚構とウソ (PART 2 OF 3)




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『実際のページ』



IPアドレスを調べると オマエが住んでいるオンタリオ州の Scarborough (スカーバロー)がはっきりと出てくる!



うへへへへへ。。。 やっぱり判ってしまうものですかァ~?


あのさァ~、オマエはコンピューターのプログラマーとして長年働いてきて退職して老後を過ごしているのだよ!。。。 ところが、すでに耄碌(もうろく)し始めている。


いいえ。。。 確かに70才を過ぎて、体力は落ちてますけれど、まだ耄碌してません。


だけど、同じIPアドレスを使って3人に成りすませば、すぐにバレてしまう事ぐらい、小学校6年生だって理解しているのだよ。。。 ところが、オマエはそんな初歩的な事も忘れてしまっている!。。。 耄碌し始めている証拠じゃないかァ~!


オイラはヤバイのでしょうか?


そうだよ。。。 かなりヤバイのだよ。。。 あのさァ~、いつまでも下品で愚劣なコメントを書いて恥の上塗りをしてないで 少しはまともな老後の生活を送ったらどうなのォ~?


オイラが哀れで孤独な老後を送っているとデンマンさんは言うのですか?


そうだよ! オマエは自分でも次のように書いていたじゃないか!




私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。


長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。


私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。


その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。


Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。


私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。


ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。


しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。


S.D.G


コーダ(蛇足):


私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。




【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。


S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者


S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。


F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家




56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月


『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)



オイラが書いた上の小文がどうだと、デンマンさんは言うのですか?



長女は、私から去った。 次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。 家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなるとオマエは書いてるのだよ! これはマジで哀れで孤独な老後の生活じゃないか!


オイラはマジで哀れで孤独な老後の生活を送っているのでしょうか?


誰からも相手にしてもらえないから、オマエは3人に成りすまして僕の記事にコメントを書いたのだろう?! そうだろう!?


やっぱり、判ってしまうものですかァ~?


そうだよ! だいたい、オマエが下らないコメントを書かなかったら、静かで落ち着いた老後を過ごせていたのだよ!。。。 ところが、オマエは誰からも相手にされないで哀れな孤独な老人どころか、すっかり孤立してしまって寂しさのあまり、僕のブログを見たら急にムカつく事を思い出して愚劣なコメントを書いてしまった。。。



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『5月のバレンタイン』のコメントより



しかも情けないことに、他人に成りすましてコメントの中で次のような言い訳じみたことを書いているのだよ!




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私は、たデンマンこと加藤明さんの不潔な文章を読んで、この程度の人を相手にしていると自分自身が汚されていくように感じられるのです。


とりわけ反論するに彼の文を引用したくなるときに吐気すらもがもようされるのです。


ついつい引きずられて、どっちが何処までより下卑たことが書けるかとの反応が頭に浮かびそうで、それに巻き込まれない様にと心して自制しなければならないのですね(私自身が「自慰」などという言葉を生まれて初めて誰かさんに口走ってしまいました)。



オマエは上の『後奏曲集(後書きばかり)』の中で私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこうと、書いているけれど、まだ心の準備ができてないじゃないか!



やっぱり心の準備不足ですか?


そうだよ!。。。 オマエは『論語』に次のような格言があるのを知っているだろう?




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子曰、吾十有五而志乎(干)学、
三十而立、四十而不惑、
五十而知天命、六十而耳順、
七十而従心所欲、不踰矩。


子曰わく、吾十有五にして学に志す、
三十にして立つ、四十にして惑わず、
五十にして天命を知る、六十にして耳順がう、
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。


(訳)


先生が言われた。「私は十五歳で学問に志し、
三十になって独立した立場を持って、四十になってあれこれ迷わず、
五十になって天命をわきまえ、六十になって人のことばが素直に聞かれ、
七十になると思うままに振舞ってそれでも道を外れないようになった。」




岩波文庫『論語 巻第一 為政第二』



オマエは70才をとっくに過ぎているのに、道を外したまま 未だに見苦しい姿をネットで晒しているのだよ!



オイラは、それほど見苦しい姿をネットで晒しているのでしょうか?


そうだよ。。。 心の準備ができてないから、オマエはどこへ行っても問題を起こしている!


その証拠でもあるのですか?


あるのだよ! オマエは自分の作品集をネットで広めようとしたけれど、「ボイジャー」の社長の鎌田純子さんに掲載を断られてしまった。 当然のことだよ! オマエの作品は、すでに僕が指摘したようにネット市民の皆様に読んでもらえるような体裁で書かれてないのだよ! やたらに英語の単語が文章の中に出てきて読みにくくってしょうがない! オマエのコメントを読んでも、その事は十分に理解できることだよ! ところが、オマエは長たらしい馬鹿げた抗議文を書いている!



太田将宏著作集 (E-Book Mode)



告発状 : 以下の筆者自身の著作がボイジャー、ロマンサー(社長:鎌田純子)の一方的な暴挙で読めなくなりました。


その一切の経過につき、筆者の告発文書、<<ボイジャー、ロマンサーへの抗議録>>を
上の告発状をclickして御参照願います。




Ⅰ あれかこれか


哲学 (実践知性批判、Sartreを中心に)、


神学(純粋意識批判、Kierkegaardを中心に)




Ⅱ 愛と生命の摂理


文学(ドストエフスキーを中心に)




Ⅲ 前奏曲集 第一集


音楽(あるアマチュアの覚書、(批評の批評 ⅰ)




Ⅳ 前奏曲集 第二集


音楽(私はアマチュアである、(批評の批評 ⅱ)




Ⅴ 間奏曲集


音楽(主題なき変奏、(言葉と音楽 ⅰ)




Ⅵ 後奏曲集


音楽(後書きばかり、(言葉と音楽 ⅱ)




Ⅶ 瞬間


書簡集




『EBOOK MODE』より



あの女の暴挙でオイラの作品が読めなくなってしまったのですよ。。。んもおおおォ~!



オマエの作品はまだ未完成なんだよ!。。。、 独断と偏見で オマエは自分の作品が完成したものだと思い込んでいるだけなんだよ! だから、オマエは、また問題を起こしている。


でも、今回の問題は絶対に あの女の暴挙だと思うのですよ。


あのさァ~、一方的にオマエが指摘する女が悪いということはないのだよ!。。。 人間は誰もが完璧じゃないのだから。。。


つまり、オイラにも落ち度があるとデンマンさんは言うのですか?


当然だろう!。。。 とにかく、オマエは人間関係を旨く運ぶことができないのだよ!


その証拠でもあるのですか?


あるのだよ! オマエは次のように書いたことがある。



恋愛は、年頃の男女が肉体に


触発された心理現象?



音楽は、けっして、世界共通の言語などではない。
異なる時代にも亘る言語ですらなかった。
それでは、ヨーロッパ音楽の伝統とは、
そもそも、いったい何であったのだろうか。


小澤征爾が言っていたことであるが、彼が若い頃、
東洋人がヨーロッパの音楽をする意味、
可能性について問われたとき
(そういうことを聞く田舎者が
 世界のどこにもいるものである。)、


音楽は、世界の共通の言語であるからと、
(当たり障り無く)返事をしていたところが、近頃では、
何か自分が壮大な実験をしているのではないか、と思うようになってきたそうである。


壮大な実験、これは、彼だけのことではないであろう。
ようやく我々が西洋音楽を扱うことに関して
欧米(を超える)水準に達した今日の、この倦怠は何であろう。


かといっても、我々が邦楽に戻るなどとは、
一般的にいって、非現実的であり、できない相談である。
バスク語を話せ、と言われた方が、まだしも抵抗が少ないのではないか。


(中略)


いつだったか、小澤征爾と H.V.Karajanの指揮する M.Ravel の 
“Bolero” を聞き比べたことがあった。
小澤の演奏は、英語で言う too square であったが、
Karajanのそれは、なんとも sexyで妖艶ですらあった。
フランス人でもないのに。
やはり、小澤のような指揮者でさえ日本人では及びがたいところが今なおある。


(中略)


わたしは、何々至上主義、といったものが嫌いである。
例えば、恋愛至上主義。


大体、恋愛感情などというものは、ある年頃の男女が肉体に触発された心理現象にすぎないのではないか。
そもそも、成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないか。
長い間、生活を共にしていて、まだ互いにsexualityを感じたとしたならば、それは近親相姦に近くはないか。


J.S.Bach は、
前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、
私はここを書いていて、少し、困っているが。


芸術至上主義も同じ。
人生は芸術を演出する時空ではない。




pages 5 & 6 間奏曲集 (主題なき変奏) その2 
著者: 太田将宏 初版: 1994年1月 改定: 2006年6月




『愛の会話 (2009年3月19日)』より


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赤字で強調した所に注目して欲しいのだよ。 「J.S.Bach は、前妻、後妻と共に仲が良かった様子であるので、私はここを書いていて、少し、困っているが。。。」と、オマエは書いているのだよ。



そうなのですよ。。。 オイラの家内とは、日本語が通じなくなってから、もう何年になるかァ~。。。!?


あのさァ~、オマエの奥さんは、心優しい いい人なんだよ! オマエは、これまでに、心から奥さんを愛したことがない!


デンマンさんには、オイラと家内の関係は解らないはずです。。。 いい加減なことを言わないでください。


あのさァ~、僕はオマエにも、奥さんにも、かつてお世話になったことがある。。。 だから、普通の人よりも、オマエと奥さんの関係はよく知っているのだよ。 しかも、オマエの作品集の中には、夫婦愛や、男女の愛に関する、オマエの考え方が赤裸々に書いてある。


要するに、オイラは人を心から愛したことがない、とデンマンさんは言うのですか?


その通りだよ。。。 今からでも遅くないから、人を本当に心から愛してみろよ!


つまり。。。、つまり。。。、デンマンさんは、オイラに愛してもらえないので不満なのですねぇ~?


あのさァ~。。。 気持ちわりィ~から、そういう事を言うなよなァ! 僕には、そういう趣味はないんだから。。。 僕が言いたいのは、もう一度奥さんを見直してごらんよ。。。 人間的には、オマエよりも ずっと素晴らしい人なんだから。。。


マジっすかあああァ~?


オマエは、人間関係をこじらせるので トロントとの一部の日系人コミュニティでは“鼻つまみ者”になっていたのだよ!


まさかァ~?


 


“知らぬは亭主ばかりなり!”


 


オマエも聞いたことがあるだろう?


つまり。。。、つまり。。。、デンマンさんはオイラの妻に、アッチの面でも世話になっていたのですか?


あのさァ~。。。 そういうのを“下衆のかんぐり”と言うのだよ!。。。 僕はオマエよりも 心優しい奥さんにお世話になっていたのだよ! でも、オマエが思うような低俗な関係ではないのだよ。


マジで。。。?


成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないかと思い込んでいるオマエには、“高尚な心のぬくもり”など理解できないに違いない!


要するに、オイラの妻とデンマンさんの間には“高尚な心のぬくもり”があったと言いたいのですか?


そうだよ。。。


それは聞き捨てできません!


あのなァ~、かつて“クラシック鑑賞サークル”を立ち上げて、クラシックのレコードを聴いてその曲について発表したり、感想を言い合ったりするサークルにオマエは熱心に参加していたのだよ。


そうです。。。 よく知っていますねぇ~。。。


ところが、オマエは、人間関係をこじらせてしまう悪い癖があるのだよ!。。。 だから、そのサークルの参加者が、やがて櫛の歯が抜けるように参加しなくなる。。。


オイラのせいだ!と、デンマンさんは言うのですか?


その通りだよ!。。。 参加していた人が僕に尋ねたものだよ。。。 「デンマンさんはどうして あの“鼻つまみ者”の大田さんと 長い付き合いができるのですか?」と。。。 僕はそのたびに、“太田さんは それほど悪い人ではない”と、かばい続けたのだよ!


嘘でしょう!?


ウソじゃないよ! 一人や二人じゃない! 5、6人から そのような質問を受けたのだよ! でもなァ~、今になって、オマエがとんでもないトラブルメーカーだということが理解できるっようになったよ。。。 「ボイジャー」の社長の鎌田純子さんにカラムあたりは、マジでオマエがトラブルメーカーだという証拠だよ!


でも。。。、でも。。。、それはデンマンさんの個人的な意見ですよ!


個人的な意見じゃないのだよ! 実は、『いい出会いの連鎖』という記事を書いたことがある。 その中に次のような文章が出てくる。。。


 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-01-09 05:14 | 太田将宏批判