デンマンが日々思ったこと考えたこと感じた事を書きます。


by denman705

手紙と絶交 (PART 2 OF 3)




 


手紙と絶交 (PART 2 OF 3)




Identity theft をしたデンマンこと加藤明へ (Ⅳ) (V. T.)


2015-11-06 10:56:36


その三:


今から二十年以上前に、加藤氏は英語で書いた本を出しました。どうした経緯だったのか、私は、もう忘れましたが、私と家内は、その本を、せっせと売りさばきました。預かっていた本を売り切った時に、その代金のchequeを送るついでに、もう少し売ってもよいけれど、という手紙を書き送りました。彼は、その返事として、欲しければいくらでも送る、と一言だけ書いてきたのです。彼からの礼が欲しかった訳ではないけれど、何とか売ってあげようとした家内が少しかわいそうでした。私も、加藤さんの本は、手元にある一冊で充分です(実は、それすらも要らない、と読み始めに気がついたので放り出しました。それでも、心優しい私は、捨てずにとっておいてあるので、どこかで埃をかぶっていることでしょう)。売ってあげよう、という好意で書いた手紙に対する返事として、欲しければ、とは口の利き方を知らない人だな、と私が思ったのも、皆様、無理ないと同意されるでしょう(同意の拍手が始めは疎らに、次第に、満場一致の大拍手)皆様、ご静粛に。




『相変わらず馬鹿か?』(PART 1)のコメント欄より
(2014年9月4日)



あのさァ~、オマエは、人の真心を素直に受け取るだけの読解力がないのだよ! 欲しければというような言葉を僕は書いた覚えはない。。。 もし書いたとしても、文脈から決して悪意のある言葉ではないはずだった。。。 なぜなら、僕は感謝の気持ちをこめて書いたのだから。。。 ところが、オマエは枝葉末節な言葉だけを取り上げて、誤解してしまった。



いえ。。。 決して、そのようなことはありません。。。 オイラにも人の真心は理解できます。。。


いや。。。 オマエは独断と偏見で主観的に、そう思っているらしいけれど、客観的に判断すれば、どう見てもオマエには人の真心を理解する能力がないよ! 実は、オマエは、僕が書いた手紙の文句を誤解しただけじゃない。。。 『ボイジャー、ロマンサへの抗議録』で、オマエは次のようにボイジャーの社長、鎌田順子さんのメールに対しても、枝葉末節な言葉を取り上げて、不当に非難しているのだよ!




(judge12.gif)


此処までをもってして「ボイジャー」自体を告発するには無理がありましょうが、ただ、一方、これは、一般的には、日本でも容認されないのではないか、ということもあるのです。此処で一例だけをあげるならば、「おっしゃられる詳細を逐一理解する時間が正直筆者にはありません。 …中略… 太田さまのメールは長すぎてきちんと読めません。時間の節約をおっしゃるなら短く書いてください。 …中略… 「FRONTIER」で私が作りました表紙を挿入してみました。失望する前にお確かめください」、とは、仲間内でならともかく、「お客様」に言いうる台詞ではないでしょう。また、仮に、筆者が短く書いたならば、皮肉にも、彼や彼らの世代の理解が及ぶことは無かったということです。それは、本文を読まれれば、彼らが早とちりする可能性、読み誤りをする一切の余地を避ける為の筆者の配慮を理解、了解されると期待されるのですが、更に、更なる告発の他の例証としても本文を参照されることを切に願い出る次第です。私に私憤が無いとは申しませんが、しかしながら、更なる一般化についてのご理解の為にも後書と参考文献をもまた読んで頂けるならば幸いです。


それにしても、筆者宛にしてすらも、「大田将宏様」、「太田将宏さま」などと、小さい事の様ですが、恥ずかしいと感じないのでしょうか。




出典: 4ページ
『ボイジャー、ロマンサへの抗議録』



あのさァ~、失望する前にお確かめくださいという言い方にオマエはムカつているけれど、上の抗議文を読んでも、ボイジャーの社長も、他の社員もオマエに対して誠実に対応しているのだよ! ところが、オマエの原稿が拒絶されたので、オマエは そのために私憤を感じて相手の言葉を曲げて解釈したのだよ!



いいえ。。。、そうではありません。。。 「大田将宏様」、「太田将宏さま」などと、小さい事の様ですが、恥ずかしいと感じないのでしょうかと、オイラは素直に思うのです。。。


あのさァ~。。。 そんな事にまでムカつくのは、オマエが私憤を感じて、何が何でも相手を悪く言うための言いがかりなんだよ! 


オイラは冷静になって、客観的に批判しているつもりです。。。


いや。。。 残念ながら、オマエは人の真心を理解できない。。。 だから、家族の真心さえ理解できないのだよ! それで次のようなことを恥ずかしげもなく書いてしまうのだよ。。。




私は、この曲集を書き終えたとき、老人見習いから、正真正銘の老人になるのではないか、と思うこの頃である。
真の老人とは、もはや、失うべき何ものも無くなった人のことを言うのではないか。


長女は、私から去った。
次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。
家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなる。


私には、S.Kierkegaard の言った、一番易しく一番難しいこと、すべてを捨てること、が、案外、無理なくできるのではないか。
いや、その時には、捨てるべき何ものも見当たらなくなった境地であろう。


その意味では、老人になる前に、不慮の死で亡くなった人は気の毒である。
私は、若い時に、死ぬのはいいが風邪をひくのは嫌だ、などと言って、粋がって与太をほざいていた。
今も、願わくは、あまり苦しむことなく死を迎えられたなら、それにこしたことはない、と考えている。


Kierkegaard は、また、永遠とは有限が無限に出会う瞬間である、と言っていた。
私の人生に、かつて、そのような瞬間があったであろうか。
いや、それもまた、超越の命題であろう。


私の人生は、無明に迷ったそれに終わるのかもしれない。
しかし、私の背後には、母の祈りがあった。


ある麻薬中毒患者が、お母さん、僕は、こんな遠くまで来てしまった、と淋しげに呟いていたが、私は、麻薬中毒者ではないけれど、その気持ちが解かっている、と思う。
どのみち、人生は、rehearsal無しの、ぶっつけ本番なのである。


しかし、私は、F.M.Dostoevsky の「白痴」にある、あの「イッポリトの告白」に書かれているように、もし、生まれる前に、この条件を知らされていたとしたならば、私は、生まれるてくることを肯(がえ)んじなかったであろう、とは思っていない。
私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこう。


S.D.G


コーダ(蛇足):


私の懐疑なるものが、深いのか、深くないのか、私自身も知る由もない。
仮に、深かったとしても、そもそも、懐疑の深さというものは、誇るべきものであるのか、という疑問が残る。




【デンマン注:】 改行を加え読み易くしました。あしからず。


S.Kierkegaard: キルケゴール (1813-1855) デンマークの哲学者


S.D.G.: Soli Deo Gloria (ラテン語) To God Alone the Glory(英語) 神に栄光あれ。


F.M.Dostoevsky: ドストエフスキー (1821-1881) ロシアの小説家・思想家




56ページ Michel-Richard de Lalande
『後奏曲集(後書きばかり)』 作品3
著者: 太田将宏
初版: 1994年1月 改定: 2006年9月


『馬鹿やって人気?』にも掲載
(2015年8月18日)



分かるだろう!? オマエは家族の心も読み取れないのだよ! だから、長女は、オマエから去った。 次女は、中立を保つ為に、この家に寄りつかない。 家内と言えば、日本語も通じなくなってから何年にもなるのだよ! これは人の真心が読みつくせない、マジで哀れで孤独な老後の生活じゃないか!



オイラはマジで哀れで孤独な老後の生活を送っているのでしょうか?


誰からも相手にしてもらえないから、オマエは3人に成りすまして僕の記事にコメントを書いたのだろう?! そうだろう!?


やっぱり、判ってしまうものですかァ~?


そうだよ! だいたい、オマエが下らないコメントを書かなかったら、静かで落ち着いた老後を過ごせていたのだよ!。。。 ところが、オマエは誰からも相手にされないで哀れな孤独な老人どころか、すっかり孤立してしまって寂しさのあまり、僕のブログを見たら急にムカつく事を思い出して愚劣なコメントを書いてしまった。。。



(wp50118d.png)


『5月のバレンタイン』のコメントより



しかも情けないことに、他人に成りすましてコメントの中で次のような言い訳じみたことを書いているのだよ!




(ireba03.jpg)


私は、たデンマンこと加藤明さんの不潔な文章を読んで、この程度の人を相手にしていると自分自身が汚されていくように感じられるのです。


とりわけ反論するに彼の文を引用したくなるときに吐気すらもがもようされるのです。


ついつい引きずられて、どっちが何処までより下卑たことが書けるかとの反応が頭に浮かびそうで、それに巻き込まれない様にと心して自制しなければならないのですね(私自身が「自慰」などという言葉を生まれて初めて誰かさんに口走ってしまいました)。




『バレンタイン焼きそば』のコメント欄より
(2014年6月25日)



オマエは上の『後奏曲集(後書きばかり)』の中で私は、感謝して死ねるように、今からでも、心の準備をしておこうと、書いているけれど、まだ心の準備ができてないじゃないか!



やっぱり心の準備不足ですか?


そうだよ!。。。  オマエは自分で「奥さんと日本語が通じなくなってから、もう何年にもなる」と書いているじゃないか! 要するに、長年連れ添った奥さんの心も素直に理解できないのだよ!


そうでしょうか?


だってぇ~、上の文章はオマエが書いたのだよ! あのさァ~、オマエの奥さんは、心優しい いい人なんだよ! オマエは、これまでに、心から奥さんを愛したことがない!


デンマンさんには、オイラと家内の関係は解らないはずです。。。 いい加減なことを言わないでください。


あのさァ~、僕はオマエにも、奥さんにも、かつてお世話になったことがある。。。 だから、普通の人よりも、オマエと奥さんの関係はよく知っているのだよ。 しかも、オマエの作品集の中には、夫婦愛や、男女の愛に関する、オマエの考え方が赤裸々に書いてある。


要するに、オイラは人を心から愛したことがない、とデンマンさんは言うのですか?


その通りだよ。。。 今からでも遅くないから、人を本当に心から愛してみろよ!


つまり。。。、つまり。。。、デンマンさんは、オイラに愛してもらえないので不満なのですねぇ~?


あのさァ~。。。 気持ちわりィ~から、そういう事を言うなよなァ! 僕には、そういう趣味はないんだから。。。 僕が言いたいのは、もう一度奥さんを見直してごらんよ。。。 人間的には、オマエよりも ずっと素晴らしい人なんだから。。。


マジっすかあああァ~?


オマエは、人間関係をこじらせるので トロントとの一部の日系人コミュニティでは“鼻つまみ者”になっていたのだよ!


まさかァ~?


 


“知らぬは亭主ばかりなり!”


 


オマエも聞いたことがあるだろう?


つまり。。。、つまり。。。、デンマンさんはオイラの妻に、アッチの面でも世話になっていたのですか?


あのさァ~。。。 そういうのを“下衆のかんぐり”と言うのだよ!。。。 僕はオマエよりも 心優しい奥さんにお世話になっていたのだよ! でも、オマエが思うような低俗な関係ではないのだよ。


マジで。。。?


成熟した夫婦が、夫婦であるのにもかかわらずに仲が良い、などというのは、どこか異常ではないかと思い込んでいるオマエには、“高尚な心のぬくもり”など理解できないに違いない!


要するに、オイラの妻とデンマンさんの間には“高尚な心のぬくもり”があったと言いたいのですか?


そうだよ。。。


それは聞き捨てできません!


あのなァ~、かつて“クラシック鑑賞サークル”を立ち上げて、クラシックのレコードを聴いてその曲について発表したり、感想を言い合ったりするサークルにオマエは熱心に参加していたのだよ。


そうです。。。 よく知っていますねぇ~。。。


ところが、オマエは、人間関係をこじらせてしまう悪い癖があるのだよ!。。。 だから、そのサークルの参加者が、やがて櫛の歯が抜けるように参加しなくなる。。。


オイラのせいだ!と、デンマンさんは言うのですか?


その通りだよ!。。。 参加していた人が僕に尋ねたものだよ。。。 「デンマンさんはどうして あの“鼻つまみ者”の大田さんと 長い付き合いができるのですか?」と。。。 僕はそのたびに、“太田さんは それほど悪い人ではない”と、かばい続けたのだよ!


嘘でしょう!?


ウソじゃないよ! 一人や二人じゃない! 5、6人から そのような質問を受けたのだよ! でもなァ~、今になって、オマエがとんでもないトラブルメーカーだということが理解できるっようになったよ。。。 「ボイジャー」の社長の鎌田純子さんにカラムあたりは、マジでオマエがトラブルメーカーだという証拠だよ!


でも。。。、でも。。。、それはデンマンさんの個人的な意見ですよ!


個人的な意見じゃないのだよ! 実は、『いい出会いの連鎖』という記事を書いたことがある。 その中に次のような文章が出てくる。。。



「いい縁」を結ぶ



(utsunomiya3.jpg)


私たちは、誰もが汚れのない美しい、磨き抜かれた鏡のような心を持って生まれてきます。


(略) 仏教でいう「一切衆生(いっさいしゅじょう)、悉(ことごと)く仏性有り」、この世のあらゆるものには仏性がある、という意味のこの言葉はそのことをいっています。
実際、生まれたばかりの赤ちゃんには我欲もなければ、執着心も、妄想もありません。


しかし、さまざまな環境に身を置き、いろいろな人とかかわりを持ち、多くの経験をしていく中で、心にも曇りが生じていくわけです。
人とのかかわり方は心に大きな影響を与えています。


人と人とは縁によって結ばれます。
いったんよい縁を結ぶと、それが次のよい縁につながり、さらによい縁を呼び込んでいきます。


たとえば、ある人とよい縁が結ばれると、その人の紹介で素晴らしい人との出会いがあり、そこからまたさらに新たなよい縁をいただくことになります。


まさしく「良縁の連鎖」が起こるわけですが、自分にとって有益な、あるいは、自分を高めてくれるような「いい人脈」は、そのようにしてつくられていく、といっていいでしょう。


一方、最初に悪い縁を結んでしまうと、まったく逆のことが起こります。
悪縁がどんどん連なっていく。


まさしく「悪縁の連鎖」で、気がついたら、とんでもない人生を歩むことになっていたりする。

いわゆる、絵に描いたような転落の人生です。


(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




154-155ページ 『心配事の9割は起こらない』
著者: 枡野俊明
2013年10月10日 第7刷発行
発行所: 株式会社三笠書房


『いい出会いの連鎖』に掲載
(2015年12月9日)



つまり。。。、つまり。。。、「悪縁の連鎖」で、気がついたら、とんでもない人生を歩むことになってしまわないように、デンマンさんはオイラと絶交したと言うのですか?



そうだよ! 悪縁は断つべきなんだよ!


でも。。。、でも。。。、そう言いながら、こうしてオイラのことで記事を書いているじゃありませんか!


あのなァ~、僕は“仏のデンマン”と言われているのだよ。。。 だから、誰からも相手にされないオマエを見ると不憫でならない。。。 つまり、オマエとは付き合わないけれど、僕の慈悲の心がオマエを少しでも 励まして、全(まっと)うな人間になるように。。。と願わずにはいられない。。。。


それで、オイラをこうして呼び出して“対話編”を続けているのですか?


そういうことだよ。。。 これで、僕がオマエを呼び出すわけが理解できただろう?



(smilerol.gif)



わァ~~ うれしいなあああァ~。。。


デンマンさんがオイラを励まして


応援してくれるのでぇ~♪~すゥ。。。


やっぱり、デンマンさんは


“仏のデンマンさん”です。


しかもデンマンさんのおかげで


オイラは日本語が分かる


124ヵ国のネット市民の皆様の間で


有名になってしまいましたァ~。。。


こうなったら、もうスキップしてしまおう!



(smilejp.gif)


ワぁ~♪~ うれしいなあああァ~。。。


ルンルンル~♪~ン


ランランラ~♪~ン


もひとつおまけにィ~


ルンルンル~♪~ン


ランランラ~♪~ン



(laugh16.gif)


やれやれぇ~。。。


馬鹿とは付き合いきれません。


あなただってそう思うでしょう!?


でもねぇ~、見ていてください。


この愚か者が、


また手のひらを返したように


僕に成りすましてコメントを書きますよ。


とにかく、この男は最近、物忘れが


激しくなっているのですよ。。。


でも、仕方ないから、この孤独な男を


真人間にするために


付き合うことにします。


他に誰も相手にしないのですから。。。



(foolw.gif)


 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-01-21 04:09 | 太田将宏批判