デンマンが日々思ったこと考えたこと感じた事を書きます。


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カテゴリ:文学論・文学の素養・教養( 100 )

禁忌の愛を探して (PART 1)


 


禁忌の愛を探して (PART 1)


 


禁忌の愛
(kini01.jpg)


 




(manila05b.jpg)


デンマンさん。。。 “禁忌の愛”を探しているのですかァ~?



(kato3.gif)


。。。ん? レンゲさんは僕が“禁忌の愛”を探している、と思ったのですか?


だってぇ~、タイトルにそう書いてあるではありませんか!


あのねぇ~、僕が探しているのではないのですよ。。。 実は、香港に住んでいる劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんが探していたのですよ。。。


香港に住んでいる劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さん
(pinkgal2.jpg)



あらっ。。。 デンマンさんは香港まで手を伸ばして劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんをナンパしたのですかァ~?



どうして僕が香港まで出張して劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんをナンパしなければならないのですか?


だってぇ~、タイトルに そう書いてあるではありませんか!


あのねぇ~、僕は まだ劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんに会ってないのですよ。。。


マジで。。。?


ちょっと次のリストを見てください。。



(liv70509a.png)



『拡大する』


『禁忌の愛』



これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で5月8日の午後10時59分から5月9日の午前2時22分までの約3時間半の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所を見て欲しい。。。



あらっ。。。 5月8日の午後11時に香港のGOOGLEで検索して『禁忌の愛』を読んだのですわねぇ~。。。


そうですよ。。。 レンゲさんが登場する記事ですよ。。。


それで あたしをお呼びになったのですかァ~?


そういうことです。。。


。。。で、劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんは どのようなキーワードを入れて検索したのですか?


次のようにして検索して『禁忌の愛』を探し出したのです。。。



(gog70509c.png)



『拡大する』


『禁忌の愛』


『現時点での検索結果』



あらっ。。。 「禁忌の愛 徒然」と入れて検索したのですわねぇ~。。。



そうなのですよ。。。 劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんは『徒然ブログ』の常連さんなのです。。。 (モナリザの微笑)


ラウさんは日本語が読めるのですか?


もちろんです。。。 香港の日本語学校に通って首席で卒業したほどですからねぇ~。。。 日本人と変わらないくらいにペラペラにしゃべれますよ。。。


デンマンさんは、どうしてそんなことまで判るのですかァ~?


僕はまだラウさんに会ってないけれどSkype(スカイプ)で何度か話したことがあるのです。。。


マジで。。。?


レンゲさんは僕の言う事を信用しないのですかァ~?


でも。。。、でも。。。、どうしてラウさんが『禁忌の愛』を読んだと判ったのですかァ~?


IPアドレスを調べたのです。。。



(ip7220b.png)


『拡大する』



IPアドレスを調べれば香港からアクセスしたことは判りますけれど、個人情報を保護するために劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんがアクセスしたことまでは判らないのですわ。。。



だから、Skype(スカイプ)で話した時に確かめたのですよ。。。


それを最初に言えばいいではありませんかァ!


レンゲさんは、いちいちツッコミを入れるのですねぇ~。。。


それで ラウさんは、どういうわけで“禁忌の愛”を探したのですか?


あのねぇ~、ラウさんは『伊勢物語』を読んだのです。。。 それで“斎宮(いつきのみや)”に興味を持った。


どうして斎宮に興味を抱いたのですか?


だから、ときたま“斎宮(いつきのみや)”が“禁忌の愛”にハマッてしまうからですよ。。。 (モナリザの苦笑)


たとえば。。。?


かつて、僕はレンゲさんと次のように語り合ったことがあるのですよ。。。 それをラウさんが興味を持って読んだわけです。。。



恬子(やすいこ)内親王の事は書いてある!



(lotus68b.jpg)


 


『伊勢物語』の第69段の最後には、「斎宮は水の尾の御時、文徳天皇の御むすめ、惟喬の親王の妹」と記されているのですよ。この斎宮になった妹は恬子内親王以外には居ないのです。


あらっ!ちゃんと書いてあるのですわね?


レンゲさん、とぼけないでくださいよ。この資料はレンゲさんが持ち出してきたのですよ。


そうだったかしら?


やだなあああぁ~。。。次の記事の中でレンゲさんと対話している時にレンゲさんが持ち出したのですよ。


■ 『年上の女の情念 (2007年1月21日)』


もう1年以上も前の事ですわ。言われて思い出しましたけれど、すっかり忘れていましたわ。


とにかく、上の説明の中で最も重要な事は「藤原道長の時代に公けの場で語られ」たと言う事ですよ。


つまり、今風に言えば、国会、あるいは予算委員会の場で議論されたという事になるのですね?


その通りですよ。公の場で語られるほどに、恬子(やすいこ)内親王が斎宮であった時に子供を身ごもった事実が公然の秘密になっていたと言う事ですよ。単なる御伽噺(おとぎばなし)やうわさを国会や予算委員会で取り上げたら、その国会議員は笑いものになってしまうでしょうね。その事を考えれば、「斎宮懐妊事件」は当時でも知る人ぞ知る「某重大事件」になっていた事が、このような資料から充分に理解できるのですよ。


つまり、デンマンさんは斎宮寮の記録は意図的に抹消された可能性があるとおっしゃるのですか?


そうですよ。だから当時の記録には、在原業平(ありわらのなりひら)が狩の使で伊勢に派遣された事が記載されてないのですよ。


そうでしょうか?


記録が抹消されたにもかかわらず、なぜ恬子(やすいこ)内親王と在原業平の関係が伊勢物語の中で語られているのか?


なぜですの?


語って世に伝えなければならないと考えた人が居たからですよ。


その人とは。。。?




『愛と真実 (2008年2月21日)』より



つまり、ラウさんは恬子内親王に興味を持ったのですわねぇ~。。。



そうです。。。



恬子内親王(やすいこないしんのう)



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生まれは848年頃
延喜13年6月18日(西暦913年7月24日)に亡くなる。
第31代伊勢斎宮。
父は文徳天皇、
母は更衣・紀静子。
同母兄に惟喬親王がいる。


貞観元年(859年)、清和天皇の即位にともなって斎宮に卜定
貞観3年(861年)に伊勢に下る。


『三代実録』によると、発遣の儀は天皇自身ではなく、
右大臣の藤原良相が代理であたったという


貞観8年(866年)2月、母親の静子更衣が亡くなるも退下の宣勅は下りず
貞観18年(876年)、清和天皇が陽成天皇に譲位したことにより、ようやく斎宮を退下。


翌元慶元年(877年)4月、妹・珍子内親王を亡くす
恬子内親王本人は比較的長命だったらしく、その後、陽成天皇以下三代の天皇が交代し、醍醐天皇の治世まで生きた。


古典『伊勢物語』において、一説には書名の由来ともされる人物。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



「卜定(ぼくじょう)」と言うのは、亀の甲羅(こうら)を火であぶって、ヒビ割れのしかたを見て占うものです。これによって誰を斎宮にするか選んだ。



この卜定に何か問題があるのですか?


全く無いとは言えないのですよう。


どう言うことですか?


右大臣の藤原良相(よしみ)は、早くから恬子内親王を“危険人物”だと見ていたようです。


“危険人物”って、どう言うことですかァ~?


この藤原良相の経歴を読むと分かりますよ。



藤原良相(よしみ)


弘仁4年(813年)に生まれる。
貞観9年10月10日(西暦867年11月9日)に亡くなる。
父は藤原冬嗣、母は藤原美都子。
兄弟に長良、良房らがある。
号は西三条大臣。


834年(承和元年)に蔵人になる。
承和の変に際して近衛兵を率いて兵仗を収める。
848年(嘉祥元年)に参議、右大弁などを経て、851年(仁寿元年)従三位中納言となり、857年(天安元年)右大臣となる。


清和天皇に娘の多美子を入内させ、また周囲からの人望も厚かったことから、政権の首座にあった兄良房からは常に警戒される存在であった
866年(貞観8年)の応天門の変に際し、伴善男(とものよしお)の告発を受け一旦は左大臣源信(みなもとのまこと)の逮捕命令を下すが、信の無実を訴えた良房によってこれを阻止され、以降は影響力を失った。
翌867年(貞観9年)に死去。贈正一位。


今昔物語集に収録された説話の中では、一旦病を得て死去し地獄で閻魔大王の目前に引き据えらるが、小野篁(おののたかむら)の執り成しによって赦され冥界から帰還した、と記されている。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



藤原良相は自分の娘を清和天皇に差し出したのですよ。つまり、娘が天皇の子供を身ごもって男の子が生まれれば、自分は外祖父として権力が握れる。そう言う考えを持っていた。だから、時の権力者だった兄の藤原良房からは常に警戒される存在だったのですよ。



でも、その事と恬子内親王と、どのような関係があるのですか?


やだなあああぁ~。。。惚(とぼ)けないでくださいよ。知能指数が140もあるレンゲさんに分からないはずが無いでしょう?藤原良相の目から見れば恬子内親王は自分の娘のライバルですよ。


つまり、藤原良相は自分の娘を天皇に嫁がせるために、できるだけ候補者を少なくしようとしたと。。。


そうですよ。そのためには美しくて聡明で将来娘のライバルとなるような娘は都から遠ざけるに限るのですよ。それで、藤原良相は恬子内親王を斎宮として伊勢へ閉じ込めてしまったのですよ。。。上の経歴を読むと、そう考えるのがごく自然ですよ。


それはデンマンさんの個人的な見解だと思いますわ。


分かりました。では、僕の個人的な見解ではない事を語りましょう。


どう言う事ですか?


上の経歴を読むと不自然な事が書いてあるのですよ。


不自然な事ですか?


そうですよ。


貞観8年(866年)2月、


母親の静子更衣が亡くなるも


退下の宣勅は下りず


慣例では、母親が亡くなった場合には斎宮は勤めを辞める事ができたのですよ。それが慣(なら)わしだった。実際の例を次に書きますよ。



徽子女王(よしこじょおう)


延長7年(929年)に誕生。
寛和元年(985年)に亡くなる。
歌人。醍醐天皇皇孫。


承平6年(936年)、時の斎宮斉子内親王(醍醐天皇皇女)の急逝により、8歳で伊勢斎宮に選ばれる。
天慶元年(938年)、10歳で伊勢へ下向。
この時の発遣の儀(出発前の儀式)は朱雀天皇が物忌中のため、外祖父の摂政忠平が執り行い、また群行には長奉送使(斎宮を伊勢まで送り届ける勅使)として伯父の中納言藤原師輔が同行した。
天慶8年(945年)、母の死により17歳で退下、帰京。


天暦2年(948年)、叔父村上天皇に請われて20歳で入内し、同3年(949年)女御の宣旨を受ける。
局を承香殿としたことから承香殿女御、また父重明親王の肩書から式部卿の女御などと称されたが、前斎宮であった故の「斎宮女御」の通称が最もよく知られている。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



天皇の娘ならば“内親王”と呼ばれるのだけれど、この女性は醍醐天皇の娘ではなく孫娘だった。それで女王と呼ばれているのです。この女性の経歴を見れば分かるように「母の死により17歳で退下」と書いてあります。これが慣(なら)わしだったのですよ。



なぜ、恬子内親王はお母さんが亡くなったのに斎宮を辞める事ができなかったのですか?


だから、藤原良相が辞めさせなかったのですよ。


なぜ。。。?


徽子女王の経歴を見てくださいよ。お母さんが亡くなったので17歳で斎宮を辞めて京に戻ったのですよ。すると、叔父の村上天皇に請われて20才で入内した、と書いてある。つまり、村上天皇の妻の一人になったのですよ。


お母さんが亡くなった時、恬子内親王は18才ですよね?。。。と言う事は、恬子内親王が斎宮を辞めた場合、天皇が内親王を妻の一人として招くかもしれない。藤原良相は、その事を心配して恬子内親王を斎宮のままにしておいたのですか?


その通りですよ。とにかく藤原氏以外の女性に天皇が子を産ませる事を藤原氏は極力避けていたのですよ。恬子内親王は紀氏出身ですからね。


つまり、紀氏は藤原氏のライバルだったのですか?


そうですよ。この当時、紀氏の中から優秀な人が出始めていたのですよ。


紀氏を退けようとする動きが実際にあったのですか?


あったのですよ。「応天門の変」と言う政治事件があったのですよ。



応天門の変



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応天門の変(おうてんもんのへん)は、平安時代前期の貞観8年(866年)に起こった政治事件である。


大納言・伴善男(とものよしお)は左大臣・源信(みなもとのまこと)と不仲であった。
源信を失脚させて空席になった左大臣に右大臣の藤原良相がなり、自らは右大臣になることを望んでいたともされる。


応天門が放火され、大納言・伴善男は左大臣源信の犯行であると告発したが、太政大臣・藤原良房の進言で無罪となった。
その後、密告があり伴善男父子に嫌疑がかけられ、有罪となり流刑に処された。
これにより、古代からの名族伴氏(大伴氏)は没落した。
藤原氏による他氏排斥事件のひとつとされている。


藤原良相は源信の逮捕を命じて兵を出し、邸を包囲する。放火の罪を着せられた左大臣・源信家の人々は絶望して大いに嘆き悲しんだ。


参議・藤原基経(もとつね)がこれを父の太政大臣・藤原良房に告げると、驚いた良房は清和天皇に奏上して源信を弁護した。
源信は無実となり、邸を包囲していた兵は引き上げた。


朝廷は伴善男らを応天門の放火の犯人であると断罪して死罪、罪一等を許されて流罪と決した。
伴善男は伊豆国、伴中庸は隠岐国、紀豊城は安房国、伴秋実は壱岐国、伴清縄は佐渡国に流され、連座した紀夏井らが処分された。
また、この処分から程無く源信・藤原良相の左右両大臣が急死したために藤原良房が朝廷の全権を把握する事になった。


この事件の処理に当たった藤原良房は、伴氏・紀氏の有力官人を排斥し、事件後には清和天皇の摂政となり藤原氏の勢力を拡大することに成功した。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



この事件は結局、藤原良房に“漁夫の利”をもたらす事になったのですよ。伴氏・紀氏ばかりか、ライバルの藤原良相を退(しりぞ)ける事もできた。また、そうなるように藤原基経(もとつね)が裏で動いていたのが見えてきますよ。結果として藤原良房は、伴氏・紀氏の有力官人を排斥し、事件後には清和天皇の摂政となり藤原氏の勢力を拡大することに成功したのですよ。



『伊勢物語』の中に登場する藤原高子(たかいこ)の兄がこの藤原基経ですか?


そうですよ。在原業平と藤原高子が駆け落ちするのですよ。その妹を連れ戻しに来るのが兄であるこの藤原基経ですよ。つまり、この基経は政略・陰謀に長(た)けていて裏で動き回るだけでなく、恋路(こいじ)の邪魔をする男としても伊勢物語の中に書かれてしまっているのですよ。


でも、この「応天門の変」と恬子内親王は関係があるのですか?


なさそうに見えるでしょう?。。。ところが、関係があるのですよ。この事件に連座して処分を受けた紀夏井(きのなつい)を調べると次のような事が分かるのですよ。



紀夏井(きのなつい)


生没年未詳。
天安2年(858年)に讃岐守、貞観7年(865年)には肥後守に任じ、いずれの任国においても善政を施し領民に慕われた。
その一方、能書家しても名高く、特に楷書の分野においては聖とまで言われるほどの才能を発揮した。
さらに囲碁の分野でも名人として名を馳せるなど、多様な才能を持つ能吏として、中央においても徐々にその名を浸透させていった。


862年(貞観4)、任期満了の処、讃岐国百姓等の懇望により讃岐守を2年延任。
865年(貞観7)1月27日、肥後守に任官。
866年(貞観8)9月22日、応天門の変の罪人との血縁から連座の適用を受け土佐国へ配流となる。
異母弟の紀豊城(きのとよき)が首謀者の一人として逮捕される。
夏井もこれに連座し、官職を解かれて土佐国に配流となった。
その後の詳細は分かっていないが、配所で没したと言われている。


土佐国へ護送中、肥後国百姓等は肥後国外への移送を拒もうとしたり、讃岐国百姓等は讃岐国内から土佐国の境まで付き随い別れを惜しんだという。



【逸話】


紀夏井が讃岐守の任期を終えて二十余年後に、菅原道真が讃岐守として赴任するが、讃岐国の百姓は紀夏井の善政を忘却していなかったため、道真は紀夏井と比較され国政運営で難渋したという。


中央・地方を問わず人望のあった彼の失脚は、武内宿禰(たけのうちのすくね)以来の名家である紀氏(きし)の政界における没落を決定的なものとした。
この事件の後、同氏は宗教界や歌壇において活躍する氏族となっていく。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



どのように読んでも、この紀夏井と言う人物は素晴しい人なんですよね。この人は事件とは全く関係ないのですよ。でも、異母弟の紀豊城(きのとよき)が首謀者の一人として逮捕されたために、血のつながりがあると言うだけで逮捕されてしまった。つまり、有能な人物を退けるための口実ですよ。紀夏井が凡人でアホだったら逮捕される事は無かったでしょう。



そうでしょうか?いくらなんでも、藤原氏がそれ程ひどい事はしないと思いますが。。。


現代人にはそう思えるかもしれないけれど、この当時は、そうすることがむしろ常識だったのですよ。


でも、人には良心があるでしょう?


その当時の良心とは、家系を守ると言うことに尽きたのですよ。なにしろ藤原氏にはバイブルが伝わっていますからね。


なんですの?。。。そのバイブルって。。。?


ここで書くと長くなるので次のリンクをクリックして読んでみてくださいね。



(machiavelli.jpg)


■ 『あなたもビックリ、マキアベリもビックリの藤原氏のバイブルとは。。。?』



でも、これほど酷(ひど)いのでしょうか?



それが、この当時の藤原氏の常識ですよ。だからこそ、上のような事件が起きるのですよ。陰謀が渦を巻いている。その渦の中心に藤原基経がいた。。。。で、漁夫の利を得るのが父親の藤原良房ですよ。僕はこのように見ているのですよ。


紀夏井と言う人は、確かに素晴しい人だったようですよね。でも、同じ紀氏出身と言えども恬子内親王は皇族ですよね。内親王の身の回りでは、そのような理不尽な処分を受けた人は居ないのでしょう?


それが居るのですよ。


誰ですか?


恬子内親王の妹に、上の経歴の中にも書いてあるけれど、珍子(よしこ)内親王という女性が居るのですよ。この女性は恬子内親王が29才の時に無品で亡くなっているのですよ。


無品ってどう言う事ですか?


つまり、官位を与えてもらえなかったのですよ。


それって重要なものですか?


重要なものだったのですよ。今だって“あの人は品の無い人だ”という言い方があるでしょう? レンゲさんだって“品の無い女だ!”なんて言われたくないでしょう?


もちろんですわ。


この“品”と言うのは官位の“品”から派生したのですよ。あの聖徳太子が制定したと言う官位ですよ。平安時代になると臣下の場合には正一位とか従五位のように呼ばれたものなのですよ。でも、皇族の場合には一品(いっぽん)、二品(にほん)、三品(さんぽん)、四品(しほん)と呼ばれた。


それで、品が無いままで亡くなるのは異常な事ですの?


かなり異常ですよ。ちょっと、次の事件を読んでみてください。



神護景雲3(769)年5月の巫蠱(ふこ)事件



(dokuro3.gif)


 


この事件では、県犬養姉女(あがたいぬかいのあねめ)らが不破内親王(ふわないしんのう)のもとで氷上志計志麻呂(ひかみのしけしまろ)を皇位に就けようとする巫蠱厭魅(ふこえんみ)を行った。
称徳女帝(かつての阿部内親王)の髪を盗んできて、佐保川の髑髏(ドクロ)に入れて呪詛(じゅそ)するという、おぞましいものだった。


この事件のあと、不破内親王は「厨真人厨女(くりやのまひとくりやめ)」と名前を改めさせられて京外に追放された。
つまり、“台所で働く下女”という名前に変えさせられたと言うわけです。


姉妹喧嘩も、ここまでやると滑稽になってきますよね。
不破内親王に対する永年の冷遇は、このような事件が原因だと言われています。


実際、史実を見てみると、不破内親王が初めて官位を授かるのが、天平宝字7(763)年です。
実に41才の時で、親王位としては最低の四品です。

ちなみに、同腹の姉の井上内親王は天平19(747)年、31才の時に二品を授かっています。
待遇の違いが歴然としています。




『愛と憎しみの原点?(2006年6月9日)』より



不破内親王というのはあの有名な道鏡と肉体関係を持ったのではないか?と疑われている称徳女帝の腹違いの妹です。この妹が姉を逆恨みして起こした事件と言うのが真相のようです。しかし、この不破内親王は“台所で働く下女”と言う汚名まで着せられたのに、41才の時に親王位としては最低の四品をもらっているのです。



でも、恬子内親王の妹の珍子(よしこ)内親王はもらってないのですか?


何も悪い事をしていなかったのに、母親が紀氏出身だったのでもらえなかったのですよ。文字通り“品が無い女”として死んでいったのですよ。


でも、死後に追贈する事ができるでしょう?


担当の者が追贈すると、時の権力者に睨まれてしまうから、珍子(よしこ)内親王に四品を追贈したくてもできなかったのでしょうね。応天門の変では、何の罪も無い紀夏井までが、ただ紀氏の血縁だったと言うだけで官職を解かれて刑罰に服したのですからね。。。


つまり、紀氏に同情する者や組する者は徹底的に排除されたのですね?


そうですよ。紀氏の中には珍子(よしこ)内親王や紀夏井を含めて、恨みを呑んで死んでいった者がたくさん居るのですよ。


つまり、そのような人たちが怨霊になって祟(たた)りを引き起こすと思われたのですね?



怨霊信仰



(majo.gif)


 


非業の死を遂げたものの霊を畏怖し、
これを融和してその崇りを免れ安穏を確保しようとする信仰。


原始的な信仰では死霊はすべて畏怖の対象となったが、わけても怨みをのんで死んだものの霊、その子孫によって祀(まつ)られることのない霊は人々に崇りをなすと信じられ、疫病や飢饉その他の天災があると、その原因は多くそれら怨霊や祀られざる亡霊の崇りとされた。


『日本書紀』崇神天皇七年・・天皇が疫病流行の所由を卜して、神託により大物主神の児大田田根子を捜し求めて、かれをして大物主神を祀らしめたところ、よく天下大平を得たとあるのは厳密な意味ではただちに御霊信仰と同一視し難いとはいえ、その心意には共通するものがあり、御霊信仰の起源がきわめて古きにあったことを思わしめる。


しかし一般にその信仰の盛んになったのは平安時代以後のことで、特に御霊の主体として特定の個人、多くは政治的失脚者の名が挙げられてその霊が盛んに祭られるようになる。


その文献上の初見は『三代実録』貞観五年(863)「所謂御霊者 崇道天皇(早良親王)、伊予親王、藤原夫人(吉子)及観察使(藤原仲成か)、橘逸勢文室宮田麻呂等是也。・・・」ものと注せられているが、この六所の名については異説もあり、後世さらに吉備大臣(真備)ならびに火雷神(菅原道真)を加えてこれを八所御霊と呼ぶようになった。・・・」




SOURCE: 国史大辞典



その通りですよ。だから、怨みをのんで死んだ者の霊をその子孫が祀って御霊(みたま)を鎮(しず)めてあげなければならないのですよ。



つまり。。。つまり。。。そのようにして紀氏の怨霊の御霊(みたま)を鎮(しず)めた人が『伊勢物語』を編集したとデンマンさんはおっしゃるのですか?


そうですよ。『伊勢物語』には紀氏との関わりの多い人物が多く登場していますよ。在原業平(ありわらのなりひら)は紀有常(実名で登場)の娘を妻としています。その有常の父・紀名虎の娘(紀静子)が惟喬親王と恬子内親王と珍子(よしこ)内親王を産んでいます。作中での彼らは古記録から考えられる以上に零落した境遇が強調されているのですよ。


なぜですか?


つまり、藤原氏との政争に敗れた事を強調しているのですよ。それにもかかわらず、優美であったという紀氏の有り様を美しく描いているのです。それが『伊勢物語』ですよ。


つまり、編者は紀氏の一員なのですね?


そうです。 紀氏の子孫が怨みをのんで死んだ一族の霊を祀ったのが『伊勢物語』だと僕は考えているのですよ。 ここまで言えば、その編者が誰だかレンゲさんにも分かるでしょう?


もしかして。。。もしかして。。。紀氏の一員で有名な人と言えば。。。あのォ~。。。紀貫之(きのつらゆき)ですか?


さすが、レンゲさんですねぇ~。。。僕もそのつもりで話を進めてきたのです。


。。。で、香港の劉嘉玲(ラウ・ガーリン)さんも この話を読んで感銘を受けたのですか?


そうです。。。 恬子(やすいこ)内親王は時代を間違えて生まれてきてしまったのです。。。 でも、すでに没落貴族になりつつある紀氏の一員だというにもかかわらず、自分の考えに忠実に生きたのですよ。。。


つまり、愛に生きたのですわねぇ~。。。


そうです。。。 それでラウさんも、恬子(やすいこ)内親王について知れば知るほど涙なしには読めないと。。。


マジで。。。?


信じてください。。。 ラウさん本人がそう言っていたのだから。。。



(laugh16.gif)


 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-05-11 03:01 | 文学論・文学の素養・教養

禁忌の愛を探して (PART 2)


 


禁忌の愛を探して (PART 2)



【卑弥子の独り言】



(himiko22.gif)


ですってぇ~。。。


あなたもデンマンさんのお話を信じることができますかァ~?


では、あなたのために『伊勢物語』の第23段「筒井筒」をここに貼り出します。



(ise900.jpg)



どうでござ~ましたか?


昔にも愛に生きた女性たちがいたのですわねぇ~。。。


ところで、あたくしもレンゲさんや めれんげさんの愛の詩や愛の短歌に影響されて 愛の短歌を詠むことがあるのでござ~ますわァ~。。。


ええっ。。。 信じられないのですかァ~?


では、あたくしが詠んだ熱烈な恋の歌を。。。




(tantra20.jpg)


 


朽ちてなお  


 


燃ゆるをやめぬ  


 


胸のうち  


 


激し夜あれ  


 


消せぬ焔よ


 



(fire910.gif)



ところで、話は変わりますけれど、


めれんげさんは レンゲさんの親友です。


めれんげさんもまた、レンゲさんのような知性的で、しかも情熱的な人ですわァ。


めれんげさんの熱烈なファンは たくさんいたのでした。


でも、うっかり めれんげさんが会費を滞納したために、


サイトを削除されてしまったのです。


けれども、2013年の6月にライブドアで『即興の詩』サイトを再開しました。


めれんげさんの『即興の詩』サイト


再開して間もないのに 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出るなんてすごいですよねぇ~。。。



(gog30703.gif)


『現時点での検索結果』


現在、めれんげさんは お休みしています。


でも、これからも、ブログを通して「愛のコラボ」を続けて欲しいですよねぇ~。。。


かつて めれんげさんの「即興の詩をはじめました!」の『極私的詩集』サイトは 次の検索結果で見るようにトップを占めていたのです。



(gog30928a.png)


また、ブログを更新して トップに返り咲いて欲しいものです。


ところで あなたは「どうしたら、上位に掲載されるのォ~?」と考えているかもしれません。


その秘訣を知りたかったらデンマンさんが面白い記事を書いていますわ。


次のリンクをクリックして読んでみてください。



(seo001.png)


『おばさんの下着に見るSEO』


話は変わりますけれど、めれんげさんは可愛い猫を飼っています。


あなたも、猫ちゃんを飼っていますか?


ええっ。。。 ワンワンちゃんを飼っているのですか?


そういえばデンマンさんが『ワンワンちゃん』という面白い記事を書いていました。


気が向いたら下のリンクをクリックして読んでみてください。



(dog202.jpg)


『ワンワンちゃん』


とにかく、次回も興味深い話題が続きます。


あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。


では、また。。。



(hand.gif)



(surfing9.gif)


メチャ面白い、


ためになる関連記事



(linger49.gif)



■ 『きれいになったと感じさせる


下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』


■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』


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(rengfire.jpg)



(babdol6.jpg)


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『一人で飲みに行く女』


『あなたをさがして』


『早く気づいてほしい』


『気づいたのね』


『あなたに逢いたい』


『やらしい検索』


『わたしを見つけて』


『小笠原玲子』


『ふたりだけの場所』


『命のともし火』



(sayuri201.jpg)


『ふたりの思い出』


『愛は終わることなく』


『凍りついた心の言葉』


『冠詞の悲劇再び』


『焼き滅ぼさむ再び』


『漱石のラブレターを読みたい』


『森田伸二と即興の詩』


『きみの夢』


『指きり』



(renge62e.jpg)


『あしたみる夢』


『ネット殺人事件』


『失楽園のモデル』


『スパムに追われて』


『心にしるす』


『復楽園がいいの?』


『今をだきしめ想いかなえし』


『きみ待ちわびて』


『朝の来ぬ国』


『離れがたき』


『めれちゃんがいいね』



(kimo911.jpg)


『愛はスミレの花のように』


『思い出の夕顔』


『スミレの花咲く頃』


『クリスマスのコメント』


『消え行く愛など無く』


『ひとりかも寝む』


『レモンと性と愛』


『少女と下着の秘密』


『いとしき言葉』


『無我の愛と自我の愛』


『めれちゃんde人間失格』


『愛@文明開化』


『愛と共感とストレス』


『愛欲と空海』


『きみはやさしく』


『愛の擬人法』


『めれちゃんと南方熊楠』



(rengfire.jpg)


『めれちゃんの人気再び』


『愛はスミレの花よ』


『肥後ずいきで検索』


『加賀の千代』


『千代に再会』


『カフカの銀河鉄道』


『12歳少女の死』


『結婚するの?しないの?』


『浜美枝と宮沢りえ』


『きみのぬくもり』


『壁に耳 障子に目』


『もう一つの世界』


『肥後ずいきブーム?』


『阿部定ブーム?』


『ノルウェイの森』


『大奥女中の淫らな恋』


『愛と追憶の謎』


『タンパク質の音楽』


『あげまん女なの』


『SM家畜女』


『めれちゃんと倉持由香』


『肥後ずいきdeビックリ』


『めれちゃん@画像検索』


『めれちゃん@富士山』


『目覚めぬ夢』


『熱烈なファンの軌跡』


『花火とロマン』


『恋に染められ』


『恋に染めごろう』


『皆さん、ありがとう』


『メリエスの銀河鉄道』


『今年こそ自殺したい』


『その手に抱かれ』


『愛と性の秘められた物語』


『シビル・セリグマンと横尾真美』


『石川の郎女@ドイツ』


『目覚めぬ夢なの』


『目覚めぬ夢@プエルトリコ』


『家畜人ヤプー 性と愛』


『美尻を探して…』


『ズロースと乱歩』


『平成悲話』


『パンツが並んだ』



(june24b.jpg)


こんにちはジューンです。


卑弥子さんが面白いお話を集めて


楽しいサイトを作りました。


次のリンクをクリックして


ぜひ覗いてみてくださいね。


■ 『あなたのための笑って幸せになれるサイト』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に


ネットサーフィンしましょう。


じゃあね。バーィ



(beach02.jpg)



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by denman705 | 2017-05-11 03:00 | 文学論・文学の素養・教養

愛の夕顔を探して (PART 1)


 


愛の夕顔を探して (PART 1)


 



(rengeasa2.jpg)




(sayuri55.gif)


デンマンさん。。。 もしかしてデンマンさんが“愛の夕顔を探して”いるのですかァ~。。。?



(kato3.gif)


まさかァ~。。。 どうして そう思うのですかァ?


だってぇ~、上の写真には 夕顔をバックに若い頃の“めれんげさん”が写っているではありませんかァ~。。。


つまり、僕にとって“めれんげさん”が夕顔だと、小百合さんは言うのですかァ~。。。


違うのですかァ?


言われてみれば、そうかもしれませんねぇ~。。。 (微笑) でもねぇ~、残念ながら 僕が“愛の夕顔を探して”いるわけではないのですよ。。。


じゃあ、どなたが探しているのですか?


名古屋市に住んでいる相田 悠子(あいだ ゆうこ)さんですよ。。。



(asamany2.jpg)



あらっ。。。 きれいで可愛い方ですわねぇ~。。。 デンマンさんは名古屋まで出かけて行ってナンパしたのですかァ~? うふふふふふふ。。。



悪い冗談を言わないでください。。。 (苦笑)


では、相田 悠子(あいだ ゆうこ)さんはデンマンさんの親戚の方ですかァ?


違いますよゥ。。。 会ったことのない女性です。。。 ちょっと次のリストを見てください。。。


ライブドア『徒然ブログ』の日本時間で2017年5月2日の午後2時33分から午後5時までの約2時間半の「生ログ」の一部
(liv70503a5.png)



『拡大する』


『愛の夕顔』



これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で2017年5月2日の午後2時33分から午後5時までの約2時間半の「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。



あらっ。。。 5月2日の午後3時5分にYahoo!で検索して『愛の夕顔』を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。


だから、それが名古屋市に住んでいる相田 悠子(あいだ ゆうこ)さんですよ。。。


IPアドレスを調べて悠子さんを特定した、とデンマンさんは言いたいのでしょう?


その通りです。。。


IP アドレス: 14.133.116.220 名古屋市に住んでいる相田 悠子(あいだ ゆうこ)さん
(ip116220b.png)


『拡大する』



何度も言うようですけれど、IPアドレスを調べてもプライバシーを守るためにアクセスしたネット市民の名前までは確定できないのですわァ。



確かに、小百合さんの言うことは正しい!。。。 でもねぇ~、調べる方法はあるのですよ。。。


どのようにするのですかァ~?


ここで説明すると悪い奴がプライバシーを侵害するので公表することはできません。。。 だから、小百合さんもキツいツッコミを入れないで僕の話を素直に聞いてくれませんかァ~?


分かりましたわ。。。 デンマンさんが そのように言うのであれば サラッと聞き流しますわァ。。。 それで相田 悠子さんは『愛の夕顔』を読んで どこに感銘を受けたのですか?


まず、次の小文を読んで考えさせられたのですよ。。。



天の夕顔



(gyozui6.gif)


私が京都の大学生のころ、はじめてあき子に会いました。 彼女は、下宿先の家の娘で、すでに結婚した身で、子供ももおり、夫は外国にいました。


まもなく、彼女の母親が病気で亡くなりました。 私が通夜や葬儀、さらに四十九日の観音講(かんのんこう)の際、なにくれと手伝ったため、彼女からその礼などを認(したた)めた手紙が送られてきました。 知人の家に移っていた私は、どういうわけか、その通りいっぺんに見える手紙がうれしくてたまらず、思えばそれが、私の運命を左右するきっかけになったのです。


 (中略)


6月の末、私は試験の準備に忙しいころでした。 彼女は結婚生活に悩んでいる様子を話しました。 はじめは姉弟のような気持ちだったが、しだいに私に惹かれるようになり危険を感じ出した、これ以上交際を続けているのは自分の立場が苦しくなるので今日は別れを言うために来た、と言うのです。 私は恋愛の気持ちなどなく、友情だと思っていたのに、「別れに来た」と言う言葉には少なからず狼狽し、意外な気持ちながら、彼女の威厳ある堅い決意に従うほかありませんでした。


これが、彼女から突き放された最初です。 それまで会うこともなかったのに、こんな気持ちになったのが不思議でしたが、これ以来私は今に至る20数年、あの人のことを思い続ける運命に陥ったのです。


別れた後、彼女から受け取ったハガキには、別れたことへの葛藤、妻として母として生きようと決心しながらも力が及ばなかったことへの後悔などが綿々と綴られていました。 私はすぐに、自分のことをもっと知ってもらいたい旨の返事を書きましたが、それきり手紙も何も来なくなってしまいました。 私は彼女の決意の堅さを感じながらも、かえってあの人を追いかけていきたい気持ちが強くなっている自分に気がつきました。


8月下旬の夕暮れ、私はじっとしていられなくなり、神戸のあの人の家を訪ね、私の気持ちを伝えましたが、彼女の決意は変わらないようでした。 帰るとき、階段に降りようと二人が向かいあった瞬間、二人の身体に、同時になにか恐ろしいものが走ったのを感じたのです。 そのとき互いに理性を越えて飛びつきたかったに違いありません。 でも、私たちはそれをしませんでした。 そこに私たちの今日までの愛情の形式があったといえます。


 (中略)



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私が23歳の夏の初めでした。 7つ年上のあの人の美しさはもはや私には絶対的なもので、それ以上のものはありませんでした。 深遠で情熱を含んだ静かな強さが私を苦しくするほどに執着させ、話すときは当たり前の口調でしたが、互いの目の中に互いの運命の暗示をいつも読んでいたように思われます。 私の心はどんなことがあっても彼女を失いたくないという切ない願いでいっぱいになりながらも、いつか彼女を見失うのではないかという不安がつきまとい、私は人が不倫のために自殺する気持ちをはじめて理解しました。


 (中略)


そのころ、私の下宿先の隣家に私とあまり年の違わない娘がいました。 私はその娘と親しくなりましたが、あの人との関係に比べればあわあわしいものでした。 あの人は私にとってだれとも比較などできないほど絶対的で永遠の存在だったのです。 しかし、その娘から結婚を迫られ、5年ぶりにその相談のために、あの人に会うことになりました。 私の27歳の夏でした。


私は耐えられないなつかしさで彼女と会いましたが、彼女は案に反して隣の娘との結婚を勧めたのです。 (中略) 


私は結局、隣の娘と結婚しましたが、不運なことに彼女は肋膜(そくまく)を患い、2年間介抱に明け暮れました。 とうとう、私は結婚に対して耐えられない苦痛を感じ、病身の妻と別れる決心をしたのです。 自分の魂の本然(ほんぜん)にかえりたい、それが自分に与えられた運命だと悟り一人で生きていく決心をしました。 私の31歳の春でした。 あき子とはじめて会ってからすでに10年の歳月が流れていました。


彼女は5年たったら、もう一度会うことを約束してくれました。 私にとってもはや5年の年月などなんでもありません。 雪の季節にも、しみ通るような寒さにも、私の心はあの人に会える喜びで明るく輝いていました。


あの人と約束した5年目が近づくころ、私はもう45歳になっていました。 あと1日であの人に会えるという日。 私はあの人が末期の思いで書いた悲しい手紙を受け取ったのです。 動かしがたい死の予告を綴った手紙に私は泣いても泣いても、泣ききれないほどの悲しみに突き落とされたました。 あんなに求め続けていた人とついに会えなかったこの哀れな男の運命を想像してください。 すぐあの人の家へ駆けつけましたが、そこでハッキリとあの人の死を確かめただけでした。


 (中略)


天国にいるあの人に消息するたった一つの方法は、夏の夜の花火を打ち上げることでした。 若いころ、あの人が摘んだ夕顔の花を、青く暗い夜空に向かって華やかな花火として打ち上げたいのです。 花火が消えたとき、私は天にいるあの人がそれを摘み取ったのだと考えて、今はそれをさえ自分の喜びとしているのです。



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(注: 写真とイラストはデンマン・ライブラリーから)




92 - 96ページ
『天の夕顔』 中河与一・著
「あらすじで読む日本の名著 No.2」
編著者: 小川義男
2003年11月13日 第2刷発行
発行所: (株)樂書館



相田 悠子さんは上の小文を読んで 作者の個人的な体験を書いたものなのかなァ~? そう思ったのですよ。。。



つまり、中河与一の私小説だと思ったのですねぇ~。。。


そういうことです。。。 でもねぇ~、次の説明を読んで、実はそうではないと解った。



『天の夕顔』主人公モデル問題



(tenyou2.jpg)


 


中河の代表作『天の夕顔』は不二樹浩三郎という按摩の身の上話に基づく作品だったため、不二樹は中河に対してこの作品を自分との共著とすることを要求した。
しかし中河は「話をしてくれただけで、それがあなたに何の関係があるのですか。法廷へ出ても何処へ出ても」とこの要求を退けると共に、主人公のモデルの実名公表を拒み続けたため、不二樹との間に深刻な確執が生じた。


不二樹から中河に脅迫状が届き、その直後に中河家の愛犬が不審な死を遂げたこともある。
一連の経緯について中河が警視庁成城警察署に相談したものの、刑事事件には発展しなかった。


一方、不二樹の側でも中河を訴えようとしたが弁護士費用の問題からこれを果たせず、その代わり『名作「天の夕顔」粉砕の快挙──小説味読精読の規範書』(1976年)と題する書物を自費出版してこの作品が中河の創造力の所産ではないことを世に訴え続けた。
不二樹は1990年に93歳で死去した。




出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



主人公のモデルのことで問題を起こしたことを知って相田 悠子さんはガッカリしたのですか?



いや。。。 ガッカリしたと言うよりも、人間関係というのは恋愛や不倫だけにとどまらず。。。、また男女間だけではなく、同性の間でも 常に問題が起こる宿命にあるのだということをしみじみと感じたのですよ。。。


要するに、相田 悠子さんも人間関係で悩んでいたのですか?


そうです。。。 悠子さんだけじゃなく、人間関係で悩んでいない人って居ないでしょう!? 誰もが 程度の差こそあれ人間関係に悩んでいるものですよ。。。


確かに、そう言われてみれば、その通りですわァ。


小百合さんだって、これまでに人間関係でいろいろと悩んできたでしょう?


ええ。。。 確かに、言われてみれば。。。


。。。でしょう? あの有名な頭のいいアインシュタインでも人間関係で悩んだのですからねぇ~。。。



アインシュタインは1897年、スイスのチューリッヒにある連邦工科大学で学んでいたとき、最初の妻になる女性と出会い、恋に落ちた。 その女性はミレーヴァ・マリッチ。



(mileva01.jpg)


ミレーヴァ・マリッチとアインシュタイン


アインシュタインと同じ講座の学生で、生まれつき足が悪かった。
二人に共通していたのは、コーヒーとソーセージが好きということだった。
彼女と知り合ってまもないころ、アインシュタインが書いた手紙には、ミレーヴァを呼ぶ愛称がこれでもかとばかりに登場する。


僕のかわいこちゃん、僕の子猫ちゃん、僕の愛する魔女、僕の小さなすべて……そして愛の告白もあった。
1900年、アインシュタインが21歳のときの手紙にはこう書かれている。


「哀れな人間たちの群れのなかで生きてゆこうと思ったら、君のことを思わずにはいられない」


二人はともに勉強し、音楽を楽しむうちに、友達から恋人へと関係を進んだ。
同級生からミレーヴァの足のことを問われ、僕なら不具の女と結婚などできないと言われたアインシュタインは、
「でも彼女はすばらしい声をしている」と答えた。


最後には二人の関係は破局を迎えるのだが、そこにいたる事情は深く複雑なものだった。
自分の心はミレーヴァのものだと言っているときから、アインシュタインはいろいろな意味で遠い存在だった。
離ればなれで暮らした時期も長く、研究のことしか頭にないアインシュタインには、子供のいる雑然とした生活は耐えがたいものだった。


結婚前に生まれた娘ルイーズは養子に出され、その後もアインシュタインとミレーヴァの間には、二人の男の子が生まれている……のちにハンス・アルバートは水力学の専門家になり、次男エドゥワルドは精神分裂病で施設に入った。
そのかたわら、アインシュタインはいとこのエルザに求愛するようになり、二人はやがて結婚する。



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エルザとアインシュタイン


1913年、ミレーヴァとの離婚が成立する5年以上も前に、アインシュタインはこんな手紙をエルザに書いている。
「私にとって妻は、クビにできない雇い人のようなものです。私は寝室も別にして彼女を避けています……私と、私の人生を支配できるのは自分以外の誰でもありません」


エルザは夫の研究にいっさい口出ししなかったし、知性面で夫と張りあおうという気持ちもさらさらなかった。
そんな二番目の妻に対しても、アインシュタインは同じことを繰りかえしてしまう。
夫婦の間から愛もセックスも消えうせ、アインシュタインはほかの女性に盛んに言いよりはじめる。
友人によると、その様子は「磁石が鉄粉に引きよせられるようだった」という。
またしても寝室が別になり、妻は雇い人に等しい存在になりさがった。
ただし海外旅行や映画のプレミアのときは、夫と行動をともにすることが許された。


アインシュタインはエルザに、「きみの話、私の話をするならいい。だが『私たち』のことは一切話題にしないでくれ」と申しわたしている。


年を経るにつれて、アインシュタインは女性を苦々しく思うようになった。
彼にとって、愛は偽りの概念に過ぎないし、生涯の結びつきなどという理屈はもっと始末におえないものだった。


(注: 赤字はデンマンが強調。
写真はデンマン・ライブラリーから)




39 - 41ページ
『アインシュタインをトランクに乗せて』
著者: マイケル・パタニティ(Michael Paterniti)
訳者: 藤井留美
2002年6月20日 初版第1刷発行
発行所: 株式会社ソニー・マガジンズ



あれほど頭のいい天才と言われたアインシュタインでも人間関係、夫婦関係に悩むのですよ。。。 だから、凡人である我々のような平凡なネット市民が、人間関係、恋愛関係で悩まないはずがないのですよ。。。



確かに、それは理屈ですわ。。。 で、相田 悠子さんも そう思って少し気持ちが楽になったのですか?


その通りです。。。 頭のいい天才と言われたアインシュタインでも人間関係、夫婦関係に悩むのだから、相田 悠子さんが悩むのも当然だと思えるようになった。


つまり、人間は頭のよしあしに関係なく、天才でも馬鹿でも、人間関係、夫婦関係、恋愛関係、不倫関係に悩むものだと。。。 この事が言いたくて、デンマンさんは この記事を書く気になったのですか?


もちろん、それだけではありません。。。


他に何が言いたいのですか?


あのねぇ~、相田 悠子さんも、それだけなら、別に『天の夕顔』を読んで感銘を受けなかった。


だから、どういうところに感銘を受けたのですか?


『天の夕顔』の話は按摩さんの身の上話に基づく作品なのだろうけれど、上のモデル問題などを考え合わせると、読んでゲッソリするような現実の醜い面が表れていますよ。 つまり、ずいぶんと脚色されているような気がします。


なぜデンマンさんは、そのように思うのですか?


本当にモデルも素晴らしく、また作品も素晴らしいものならば関係者はそっとしておくと思うのですよ。 堀辰雄の名作に『風立ちぬ』という作品があるのです。。。




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作中にある「風立ちぬ、いざ生きめやも」という有名な詩句は、作品冒頭に掲げられているポール・ヴァレリーの詩『海辺の墓地』の一節「Le vent se lève, il faut tenter de vivre.」を堀が訳したものである。


なお、単行本ではフランス語の原文で掲げられたエピグラフは、初出誌では、「冬」の章の冒頭に、「風立ちぬ、いざ生きめやも。(ヴアレリイ)」と日本語で付されていた。


「風立ちぬ」の「ぬ」は過去・完了の助動詞で、「風が立った」の意である。


「いざ生きめやも」の「め・やも」は、未来推量・意志の助動詞の「む」の已然形「め」と、反語の「やも」を繋げた「生きようか、いやそんなことはない」の意であるが、「いざ」は、「さあ」という意の強い語感で「め」に係り、「生きようじゃないか」という意が同時に含まれている。


ヴァレリーの詩の直訳である「生きることを試みなければならない」という意志的なものと、その後に襲ってくる不安な状況を予覚したものが一体となっている。


また、過去から吹いてきた風が今ここに到達し起きたという時間的・空間的広がりを表し、生きようとする覚悟と不安がうまれた瞬間をとらえている。


作中の「私」の婚約者・節子のモデルは、堀と1934年(昭和9年)9月に婚約し、1935年(昭和10年)12月に死去した矢野綾子である。


なお、堀は「死のかげの谷」の章を、1937年(昭和12年)12月に軽井沢にある川端康成の山荘に籠って書き上げた。




出典: 「風立ちぬ (小説)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



あらっ。。。 堀辰雄は軽井沢にある川端康成の山荘に籠って書き上げたのですわねぇ~。。。



そうなのですよ。。。 小百合さんの別荘から程遠くないところですよ。。。


知りませんでしたわ。。。


とにかく、矢野綾子さんの遺族が堀さんを訴えたなんて聞いたことが無い。 モデル問題を読んでから『天の夕顔』を読むと、現実の美しい部分だけを拾い上げて書いたような気がします。 現実の醜い部分がモデル問題となって顔をのぞかせているのですよ。


現実をそのまま作品として書くということは難しいのでしょうか?


いや。。。そんなことは無いと思いますよ。 本当に現実のモデルが素晴らしく、また作品も素晴らしいものならば関係者はそっとしておくものですよ。 だから、堀辰雄の名作『風立ちぬ』という作品に出てくる関係者は誰も問題を起こしていないのです。。。


事実は小説より奇なり。


でもねぇ、昔の人は、このようにも言いましたからね。 現実をそのままに書いても、なかなか信じてもらえないものですよ。


あらっ。。。デンマンさんも、そのように感じるのですか?


たとえば「あの人」の旦那さんが手紙を書いてきたとしますよ。


どのような。。。?


次の手紙ですよ。 小百合さんは現実の手紙として信じることができますか?



毎年いつも年末に妻の美千代にお便りをお寄せくださり誠に有難うございます。
厚くお礼申し上げます。
実はつらく悲しいことでありますが美千代は去る7月18日に亡くなりました。




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昨年の春先に胸が傷むと病院へ行きましたところ、肺のあたりに水がたまっているという奇病で、すぐに入院し水を抜く手術をしました。
手術は成功したのですが若いころ結核をわずらったことがあり原因を調べるため検査設備の整っている東北大学病院へ行くことになり、通院や入院を半年以上、各種いろいろの検査をうけました。
結核の関係はないと判定され、近くの病院から往診していただくことになりました。


しかし、そのことが美千代には不本意だったようで、断って別の病院に通うようになりました。
そのうち段々足腰や体も弱ってきて、たびたび転んだりして車椅子の生活になり、時々は救急車のお世話になるようになりました。
短期入院や点滴してもらって帰るようにもなりました。


それでも、そんなにひどいようには見えず食事は食堂へ出てくるし、家の中を立って伝い歩きもしました。
当日も夕食中、食べ物が喉につかえ呼吸困難となり、救急車を呼んで病院へつれて行き、いろいろ手を尽くしていただきましたがそのまま回復せずに亡くなりました。
診断は「心臓周囲病」ということで心臓も衰弱していたことと思われます。


私が先に逝くものとばかり思っていましたのに、思いもよらぬ逆縁で申し上げる言葉もありません。
元来、頑健丈夫とは言えず、むしろどちらかと言えば病弱なところもありました。


それでも気の強いところもあって新聞社に勤めたり、百貨店の仕事などもやって、退社後も、大学の研究室で秘書などの仕事もしました。
30代で自動車免許を取得したり、一時はスナック経営などもやり、貸家を建てたりもしました。
精一杯生き抜いたと言えましょう。
また、多くの人々から好かれ愛された生涯でありました。


デンマンさんにも永い間ご厚誼をいただき本当に有難うございました。

重ねて厚くお礼申し上げます。
どうぞお体を大切に、ますますお元気でご活躍なさいますようお祈り申し上げます。


2010年11月24日


梶尾一郎


福島県会津若松市東栄町
郵便番号: 965-8601




『生きることって愛すること?』より
(2010年12月18日)


『即興の詩バンザイ』にも掲載
(2010年12月4日)



この手紙は、ほとんどそのまま書き出したものです。



つまり、デンマンさんが受け取った手紙なのですかァ~?


そうですよ。。。


マジで。。。?


小百合さんは信じることができないのですか?


だってぇ~。。。


だってぇもヘチマもありません! 相田 悠子さんはこの手紙を読んで感銘を受けたのですよ。。。


デンマンさんは、どうして そのようなことまで判るのですかァ~?


悠子さんがメールで感銘を受けたことを僕に書いてよこしたのです。。。


マジで。。。?


あれっ。。。 小百合さんは、そのことも信じられないのですかァ~?


だってぇ~。。。


だってぇもヘチマもありません。。。 昔の人は“信じる者は救われる!”と言ったのですよ。。。 だから、小百合さんも信じれば救われますよゥ。。。


分かりましたァ。。。 今晩、じっくりと眠りながら考えて見ますわァ~。。。



(laugh16.gif)


 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-05-07 03:15 | 文学論・文学の素養・教養

愛の夕顔を探して (PART 2)


 


愛の夕顔を探して (PART 2)



【卑弥子の独り言】



(himiko22.gif)


ですってぇ~~


『風立ちぬ』は堀辰雄の名作でござ~ますわァ。。。


東宝が1954年と1976年に2度映画化しています。


1954年には久我美子と石浜朗がカップルを演じています。


1976年には山口百恵と三浦友和が出演しています。


では、あたたのためにラジオドラマ『風立ちぬ』をここに貼り出しますねぇ。。。



(kaze001.jpg)



いかがですか?


あなたも、ぜひ原作を読んでくださいませ。。。


ところで、小百合さんがどうして「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?


ご存知でござ~♪~ますか?


実は簡単な事なのですわよう。


小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。


小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。


分からない事ではござ~ませんわ。


そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。


現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。



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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。


そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。


軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。



(hand.gif)



(surfin2.gif)


ィ~ハァ~♪~!


メチャ面白い、


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こんにちは。ジューンです。


「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは


何だったのでしょうか?


通説によると、1963年の春、


アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、


異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった


日本の曲をオンエアーしたところ、


リスナーからリクエストが殺到したために


人気に火がついたと言われています。


果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?


アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして


最初に発売したレコード会社はキャピトルです。


同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが


ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。


ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。


では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして


発売したのでしょうか?


その発売を決定した人の名前が


デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。



(qchan90.gif)


デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。


「A&Rマン」と言われていた人で、


売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、


制作を担当する仕事をしていた人です。


ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて


「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、


さっそく自分でも聞いてみたそうです。



(qchan03.jpg)


九ちゃんが日本語で歌っているので


詞の内容は理解できなかったけれど、


これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。


つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、


九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に


ヒットすると思ったのだそうです。


ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて


次のサイトを立ち上げました。


時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。


『夢とロマンを持って前向きに生きる


小百合さんの物語』


では、今日も一日楽しく愉快に


ネットサーフィンしましょうね。


じゃあね。



(ebay5.jpg)



(byebye.gif)


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by denman705 | 2017-05-07 03:14 | 文学論・文学の素養・教養

 


家畜人ヤプー 性と愛(PART 1)


 



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デンマンさん。。。、久しぶりですわねぇ~。。。 どういうわけであたしを呼び出す気になったのですかァ?



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あのねぇ~、マレーシアのクアラルンプールに滞在している 可知 玲子 (かち れいこ)さんが、レンゲさんが登場する記事を読んだのですよ。


それで、わざわざ あたしを呼び出したのですか?


いけませんかァ~?


それでは、ネット市民の皆様が、あたしが登場する記事を読むたびに デンマンさんは あたしを呼び出されなければないじゃありませんかァ~!


レンゲさんは不満なのですか?


だってぇ、それでは、あたしの体がいくつあっても足りませんわァ~。。。


あのねぇ~、今回はマレーシアのクアラルンプールに滞在している 可知 玲子 (かち れいこ)さんが、レンゲさんが登場する記事を読んだので 特別にレンゲさんを呼び出したのですよ。。。 



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(reiko905.jpg)



(reiko904.jpg)



日本に住んでいるミーちゃん、ハーちゃんがレンゲさんの登場する記事を読むのとは わけが違うのですよ。。。



どういう風に。。。?


クアラルンプールに滞在しているのに、なぜレンゲさんが登場する記事を読まなければならないのか? レンゲさんは不思議だとは思わないのですか? マレーシア旅行のガイドブックとか? マレーシア観光案内とか? 他にいくらでも読むモノがあるではありませんかァ! それにもかかわらず クアラルンプールのホテルでパソコンに向かってGOOGLEで検索してレンゲさんが登場する記事を見つけて読んだのですよ。。。


それで、あたしを呼び出したのですか?


そうです。。。 いけませんかァ?


つまり、デンマンさんは可知 玲子 (かち れいこ)さんがバンクーバーに滞在していた時にナンパしたのですかァ~?


やだなあああァ~。。。 なぜ、僕が可知 玲子さんを バンクーバーでナンパしなければならないのですかァ。。。


だってぇ、しょっぱなに、可知 玲子さんの名前を出しているではありませんかァ!


あのねぇ~、僕はナンパ馬鹿じゃないのですよ。。。 可知 玲子さんは、僕がこれまでに会ったことのない女性です。


じゃあ、どのように可知 玲子さんと知り合ったのですか?


別に知り合ったわけじゃないのです。。。 ちょっと次のリストを見てください。。。


ライブドア アクセス解析 生ログ 2017年3月17日
(liv70317a.png)


『拡大する』



これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の3月17日の「生ログ」の一部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しいのですよ。



あらっ。。。 3月17日の午前2時17分にGOOGLEで検索して『レモンと性と愛』を読んだのですわねぇ~。。。 でも。。。、でも。。。、どうしてマレーシアからアクセスしたと判るのですか?


簡単なことですよ。。。 赤いアンダーラインを引いたリンクをクリックすると次のページが出てきます。


マレーシアの GOOGLE
(gog70317a.png)


『実際のページ』



赤丸で囲んだ箇所を見てください。



Malaysia (マレーシア)と書いてありますわねぇ~。。。


。。。でしょう!? 可知 玲子さんはマレーシアのGOOGLEを使って検索したのですよ。。。


でも、どのように。。。?


次のようにして検索したのです。。。


マレーシアのGOOGLEで「家畜人ヤプー 性と愛」と入れて検索した結果 2017年3月17日
(gog70317b.png)



『拡大する』


『レモンと性と愛』


『現時点での検索結果』



あらっ。。。 「家畜人ヤプー 性と愛」と入れて検索したのですわねぇ~。。。



そういうことです。。。 赤枠で囲んだ『レモンと性と愛』を読んだのですよ。。。


でも。。。、でも。。。、可知 玲子さんがマレーシアのクアラルンプールからアクセスしたと、どのようにして突き止めたのですか?


簡単なことですよ。。。 リストに載っているIPアドレスを調べたのですよ。。。


マレーシアのクアラルンプールに滞在する可知 玲子さんが使ったパソコンのIPアドレス
(ip56184.png)


『拡大する』



でも。。。、でも。。。、IPアドレスを調べてもプライバシーを保護するためにアクセスしたネット市民の名前までは調べることができないのですわァ~。。。



レンゲさんは、何も知らないような顔をしているのに、けっこうネットに詳しいのですねぇ~。。。


その程度のことはネット市民の常識ですわァ。


あのねぇ~、僕も『レモンと性と愛』をじっくりと読んだ女性のプライバシーを保護するために、実は、可知 玲子さんという名前は仮名にしたのですよ。。。 レンゲさんが心配するほどのことではありません。。。


。。。で、玲子さんは、どのようなわけで『レモンと性と愛』を読んだのですか?


玲子さんは、沼正三が書いた長編SF・SM小説『家畜人ヤプー』を飛行機の中で読んだのです。。。



家畜人ヤプー



(yapoo33.jpg)


家畜人ヤプーは、1956年から『奇譚クラブ』に連載され、その後断続的に多誌に発表された沼正三の長編SF・SM小説。
なお、本作品はマゾヒズムや汚物愛好、人体改造を含むグロテスクな描写を含む。


『奇譚クラブ』連載時から当時の文学者・知識人の間で話題となっていた。
そのきっかけは三島由紀夫がこの作品に興味を示し、多くの人々に紹介したことによる。
三島のみならず渋沢龍彦、寺山修司らの評価もあり、文学界では知名度の高い作品となった。


『奇譚クラブ』誌上での連載を終えて、誌上の都合で掲載できなかった部分などの作者による加筆の後、都市出版社により単行本が出版され、この際、右翼団体が出版妨害を行い、1名逮捕・2名指名手配という事件にまで発展した。


『奇譚クラブ』1956年12月号-1958年4月号までの連載では打ち切りという事情もあり物語は完結せず、都市出版社版、角川文庫版、スコラ版、太田出版版、幻冬舎アウトロー文庫版と補正加筆が行われながら版が重ねられ、完結に至る。
このような事情から版により内容に食い違いが存在する。


あらすじ


婚約中のカップルである日本人青年留学生麟一郎とドイツ人女性クララは、ドイツの山中で未来帝国EHS人ポーリーンが乗った未来世界の円盤の墜落事故に巻きこまれ、それがきっかけで未来世界へ招待されることとなる。


未来帝国EHS(The Empire of Hundred Suns)は、白色人種(特にアングロ・サクソン系のイギリス人)の「人間」と、隷属する黒色人種の半人間「黒奴」と、旧日本人の家畜「ヤプー」(日本人以外の黄色人種は核兵器と細菌兵器によりほぼ絶滅している)の3色の厳然たる差別の帝国である。


ヤプーに対しては、EHSの支配機構は抵抗するものを屈服させるのではなく、あらかじめ白人を神として崇拝させ「奉仕する喜び」を教えこみ、喜びのうちに服従させるしくみである。
黒奴に対しては、巧妙な支配機構により大規模な抵抗運動は行えないようになっており、小規模の散発的抵抗がまれにあるだけである。
ささいな過失などでも死刑に処されるなど酷使されるため、黒奴の寿命は30年ほどで、白人の200年より短い。


EHSは女が男を支配し、男女の役割が逆転した女権主義の帝国である。
EHSの帝位は女系の女子により引き継がれ、男性は私有財産を持つことすら禁止され、政治や軍事は女性のすることで、男性は化粧に何時間も費やし、学問や芸術に携わる。
EHSではSEXにおいても、騎乗位が正常位とされるほど徹底している。


そして、家畜である日本人「ヤプー」たちは家畜であるがゆえに、品種改良のための近親交配や、肉体改造などを受けており、「ヤプー」は知性ある動物・家畜として飼育され、肉便器「セッチン」など様々な用途の道具(生体家具)や畜人馬などの家畜、その他数限りない方法により、食用から愛玩動物に至るまで便利に用いられている。
白人女性の出産も、受精卵の移植によって子宮畜(ヤプム)が代行する。


さらに、日本民族が元々EHS貴族であるアンナ・テラスにより、タイムマシンの利用によって日本列島に放たれた「ヤプー」の末裔であること、日本神話の家畜人ヤプーの世界における物語を暴露し、これに基づく日本の各種古典の解釈が行われる。



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日本人青年の麟一郎と、ドイツ人女性のクララのカップルは空飛ぶ円盤(タイムマシン)の事故に巻き込まれたことから、このような未来世界へいざなわれる。
二人は未来世界で、様々な体験をする。


白人女性で元貴族の生まれであるクララはEHSの貴族たちに同胞として迎えられ、EHSの事物を満喫する。
麟一郎は心身を改造され、凄まじい葛藤を経て、自らクララの家畜として生まれ変わる。
その間、わずか三日であった。




出典: 「家畜人ヤプー」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



婚約中のカップルである日本人青年留学生麟一郎とドイツ人女性クララは、ドイツの山中で未来帝国EHS人ポーリーンが乗った未来世界の円盤の墜落事故に巻きこまれ、それがきっかけで未来世界へ招待されることとなるというのが『家畜人ヤプー』のあらすじなのだけれど、実は、玲子さんはクアラルンプールでマレーシア人の男性と本の中で書いてあるような不思議な体験をしたのですよ。。。



あらっ。。。マジで。。。?


それで、そのことが気になってホテルでパソコンに向かいながら検索し始めたというわけですよ。。。


つまり、マレーシア人の男性の心理を知ろうとしたのですか?


そうです。。。


でも、その事と『レモンと性と愛』がどのように関係しているのですか?


記事に中でレンゲさんが次のように書いていた。




(renge37b.jpg)


そこまで人を駆り立てる物って


何なんだろう?


2005 01/08 01:28


わたしは「家畜人ヤプー」の
沼 正三氏を思い出す。
彼の思い描いた壮大なユートピア。
イマジネーションとリビドーが
彼を書かずにはおかせなかったのだろう。


彼は夜な夜な
そのイメージの世界へと旅立ち、
恍惚の笑みを浮かべ、
自分が創り出した女神たちに奉仕し、
虐げられていたのだろう。



(yapuh1.gif)


表の顔とのギャップが大きいほど、
秘められた場所での彼の悦びも、強く、
刺激的になり、
仮想ユートピアも、あざやかに、
現実のものとなっただろう。


それは、彼の知性が高かったために、
そのような壮大な世界を
得ることができたのであって、
凡人ならば、実際に血の通った“女神”を必要とするのだ。


ユートピアといえば、トマス・モアを思い出すが、
彼は自分のおかれている現実にたいして多くの不満を持ち、
そのうち想像と妄想を結実させ、あの作品を書いた。


人の欲望、不平、不満は、時に妄言などを生み出し、
何らかの「アンチ」な行動に向かわせる。それが社会を動かす力となるか、
ただの変人呼ばわりで終わるかは、本人の死後、評価が決まるかもしれない。


 


by レンゲ  




『性と愛と負の感情』より
(2006年7月2日)



あらっ。。。 これは あたしが12年前に書いたものではありませんか!



そうですよ。。。 玲子さんはこの部分を読んでマレーシアの男性の心理が多少判ったような気分になったのですよ。。。


。。。どのように?


玲子さんは、日本にいた時 梶井基次郎のようにえたいの知れない不吉な塊が始終私の心を押さえつけていた。 焦燥といおうか、嫌悪といおうか、それが私の身に襲いかかってきたのであるという気分にめいっていたのです。。。 ところが、ひょんなことからクアラルンプールでマレーシア人の不思議な男性とめぐり会うことになった。


それで。。。?


玲子さんは、何か明るい予感を感じて、その男性と一夜を過ごしたのです。。。


あらっ。。。 “ワンナイト・スタンド”ですか?


いわば、魂の巡り会いだったと玲子さんは言うのですよ。。。


それで。。。?


玲子さんはレンゲさんの次の手記を読んだのです。



出会いと追憶


2004 12/28 18:49 編集


冗談まじりの場合が多いけど、
…いるんですよね
…女性のレイプ願望を信じてる男。


あなたたち…マジでまとめて監禁して、
そりゃあもう、♪あんな事・こんな事・やりたい事いろいろ~♪
さんざん辱めて、どんなに赦しを乞うても、おまえには何の決定権もない!



およそ考えられる拷問を全て与えて、
ようやくご褒美をあたえてやろう。
でも、いつまでもわたしの足に、
ご奉仕はさせてやらない。
次は一頭づつおさんぽだよ。


おまえの身体には、
縄がくいこんでいるだけ。
四つんばいになって
かすれて血がにじんできた
オマエのひざは、
わたしへのみつぎもの。
後でたっぷりかわいがってやろう。


わたしは感動してしまった。
別の奴隷だけど。
コイツはあの汚らしいものを、
わたしの前で
決して放出しない。
そして、わたしはビールを飲みながら、
コイツに向かってグチを言う。


わたしが下らない話をしていても、
決して正座をくずすことなく、
神妙な顔で聞き入っていた。


まだまだいろんな人に会った。


わたしはとてもマジメに出勤していた。
目標があったから。
ちゃらちゃらしていられなかった。
わたしは、前方にギラギラしたお日様を
いつも目をそらさずに見据えていた。


 


by レンゲ




『性と愛と負の感情』より
(2006年7月2日)


(renge015.gif)



あらっ。。。 これは13年前に書いたものですわ。。。 デンマンさんは、こんなものまで保存しておいたのですか?



いけませんか? (微笑) 玲子さんは この手記を読んで目の前の霧が晴れたように感じたのですよ。。。


どうして。。。?


だから、玲子さんも、このような経験を持ったからです。。。


でも。。。、でも。。。、どうして、デンマンさんには玲子さんが そういう体験を持ったと判るのですか?


玲子さんが『レモンと性と愛』を投稿したのが僕だと探し当ててメールを書いたからですよ。。。



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 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-03-20 03:49 | 文学論・文学の素養・教養



 


家畜人ヤプー 性と愛(PART 2)



【卑弥子の独り言】



(himiko22.gif)


ですってぇ~。。。


あなたは、デンマンさんの言ったことを信じることができますか?


ええっ。。。 もちろん、信じないのでござ~ますかァ~?


そうでしょうねぇ~。。。


でも、レンゲさんが愛の詩や愛の短歌を詠むのは事実ですわァ。


それに影響されて あたくしも愛の短歌を詠むことがあるのでござ~ますわァ~。。。


ええっ。。。 信じられないのですか?


では、あたくしが詠んだ熱烈な恋の歌を。。。




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朽ちてなお  


 


燃ゆるをやめぬ  


 


胸のうち  


 


激し夜あれ  


 


消せぬ焔よ


 



(fire910.gif)



ところで、話は変わりますけれど、


めれんげさんは レンゲさんの親友です。


めれんげさんもまた、レンゲさんのような知性的で、しかも情熱的な人ですわァ。


めれんげさんの熱烈なファンは たくさんいたのでした。


でも、うっかり めれんげさんが会費を滞納したために、


サイトを削除されてしまったのです。


けれども、2013年の6月にライブドアで『即興の詩』サイトを再開しました。


めれんげさんの『即興の詩』サイト


再開して間もないのに 検索結果 3,960,000件中の 9位に躍り出るなんてすごいですよねぇ~。。。



(gog30703.gif)


『現時点での検索結果』


現在、めれんげさんは お休みしています。


でも、これからも、ブログを通して「愛のコラボ」を続けて欲しいですよねぇ~。。。


かつて めれんげさんの「即興の詩をはじめました!」の『極私的詩集』サイトは 次の検索結果で見るようにトップを占めていたのです。



(gog30928a.png)


また、ブログを更新して トップに返り咲いて欲しいものです。


ところで あなたは「どうしたら、上位に掲載されるのォ~?」と考えているかもしれません。


その秘訣を知りたかったらデンマンさんが面白い記事を書いていますわ。


次のリンクをクリックして読んでみてください。



(seo001.png)


『おばさんの下着に見るSEO』


話は変わりますけれど、めれんげさんは可愛い猫を飼っています。


あなたも、猫ちゃんを飼っていますか?


ええっ。。。 ワンワンちゃんを飼っているのですか?


そういえばデンマンさんが『ワンワンちゃん』という面白い記事を書いていました。


気が向いたら下のリンクをクリックして読んでみてください。



(dog202.jpg)


『ワンワンちゃん』


とにかく、次回も興味深い話題が続きます。


あなたもどうか、また読みに戻ってきてくださいね。


では、また。。。



(hand.gif)



(surfing9.gif)


メチャ面白い、


ためになる関連記事



(linger49.gif)



■ 『きれいになったと感じさせる


下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』


■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』


■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』


■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』


■ 『あなたもワクワクする新世代のブログ』



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『かわゆいベビードールワンピ』


『ああ、さびしい』


『恋する女でありたい』


『生きてることが気持ち悪い』


『焼き滅ぼさむ』


『一人で飲みに行く女』


『あなたをさがして』


『早く気づいてほしい』


『気づいたのね』


『あなたに逢いたい』


『やらしい検索』


『わたしを見つけて』


『小笠原玲子』


『ふたりだけの場所』


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『ふたりの思い出』


『愛は終わることなく』


『凍りついた心の言葉』


『冠詞の悲劇再び』


『焼き滅ぼさむ再び』


『漱石のラブレターを読みたい』


『森田伸二と即興の詩』


『きみの夢』


『指きり』



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『あしたみる夢』


『ネット殺人事件』


『失楽園のモデル』


『スパムに追われて』


『心にしるす』


『復楽園がいいの?』


『今をだきしめ想いかなえし』


『きみ待ちわびて』


『朝の来ぬ国』


『離れがたき』


『めれちゃんがいいね』



(kimo911.jpg)


『愛はスミレの花のように』


『思い出の夕顔』


『スミレの花咲く頃』


『クリスマスのコメント』


『消え行く愛など無く』


『ひとりかも寝む』


『レモンと性と愛』


『少女と下着の秘密』


『いとしき言葉』


『無我の愛と自我の愛』


『めれちゃんde人間失格』


『愛@文明開化』


『愛と共感とストレス』


『愛欲と空海』


『きみはやさしく』


『愛の擬人法』


『めれちゃんと南方熊楠』



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『めれちゃんの人気再び』


『愛はスミレの花よ』


『肥後ずいきで検索』


『加賀の千代』


『千代に再会』


『カフカの銀河鉄道』


『12歳少女の死』


『結婚するの?しないの?』


『浜美枝と宮沢りえ』


『きみのぬくもり』


『壁に耳 障子に目』


『もう一つの世界』


『肥後ずいきブーム?』


『阿部定ブーム?』


『ノルウェイの森』


『大奥女中の淫らな恋』


『愛と追憶の謎』


『タンパク質の音楽』


『あげまん女なの』


『SM家畜女』


『めれちゃんと倉持由香』


『肥後ずいきdeビックリ』


『めれちゃん@画像検索』


『めれちゃん@富士山』


『目覚めぬ夢』


『熱烈なファンの軌跡』


『花火とロマン』


『恋に染められ』


『恋に染めごろう』


『皆さん、ありがとう』


『メリエスの銀河鉄道』


『今年こそ自殺したい』


『その手に抱かれ』


『愛と性の秘められた物語』


『シビル・セリグマンと横尾真美』


『石川の郎女@ドイツ』


『目覚めぬ夢なの』


『目覚めぬ夢@プエルトリコ』



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こんにちはジューンです。


卑弥子さんが面白いお話を集めて


楽しいサイトを作りました。


次のリンクをクリックして


ぜひ覗いてみてくださいね。


■ 『あなたのための笑って幸せになれるサイト』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に


ネットサーフィンしましょう。


じゃあね。バーィ



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by denman705 | 2017-03-20 03:48 | 文学論・文学の素養・教養

知的快楽 (PART 1)



 


知的快楽 (PART 1)


 



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デンマンさん。。。、お久しぶりです。。。 どういうわけで“知的快楽”に私をお呼びになったのですかァ?



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ジュンコさんも知的快感に浸(ひた)ったことがあるでしょう!


デンマンさんの言う“知的快楽”と言うのは、具体的にはどのようなものなんですかァ~?


知的な快感ですよ。。。 


だから、具体的には。。。?


あのォ~。。。 かつてジュンコさんは次のような記事を書いていましたよねぇ~。。。



完全なる結婚



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さまざまなテクニックの実践による性的満足が幸せな結婚生活への道であると説いています。


『完全なる結婚』が強調しているのは、従来の男性が一方的に性的満足を得るような性交のあり方ではなく、男性と女性の双方が満足できるようなセックスを通して結婚生活が築かれるとしている点です。


そこでは女性の能動的な参加も、望ましいこととして推奨されています。


1960年代になると、マスターズ&ジョンソンの膨大な人体実験による「人間の性反応」が刊行され、性理論は、確立されたかに見えました。


しかし、その理論は、あまりに膨大な実験の結果であったため、誰も異論を唱えることができず、そこに内在する重大な矛盾を放置したまま、それを土台にした理論が氾濫して行くことになります。


マスターズ&ジョンソン理論においても、オーガズムの定義は確立したとは言い難いようです。


 



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21世紀を迎えた今日、女性の95%がオーガズムを知らないという状況が続いているそうです。


ヴァン・デ・ヴェルデは、女性のオーガズムは男性のそれより後で発現することを実験によって明らかにしました。


しかし、後の動物実験(アカゲザル)では、メスのオーガズム収縮によって、オスの射精が起こるということが確認されています。


 


by ジュンコ




『10秒台では素人』より
(2016年12月21日)



確かに、上の記事を書いた覚えがありますわァ。。。 つまり、“知的快感”というのは“知的なオーガズム”のことですか?



あのねぇ~、21世紀を迎えた今日、日本女性の95%がオーガズムを知らないという状況が続いていると書いてあるけれど、僕は95%の女性が“知的なオーガズム”を味わっていると思うのですよ。


だから、具体的に“知的なオーガズム”というのは、どういうものなのですかァ~?


ジュンコさんは、“知的なオーガズム”を経験したことがないのですかァ?


デンマンさん!。。。 んもおおおォ~。。。 あたしが質問しているのです! グタグタと余計な事を言ってないで、細木数子さんのようにズバリ!と 私の質問に答えてくださいなァ~!


分かりました。。。 ちょっと次の図を見てください。



(sankaku1.gif)



三角形ですわねぇ~。。。 これは幾何学の問題ですか?



そうです。。。 このような問題を中学生の時にジュンコさんも解いたことがあるでしょう?


私は数学が苦手でした。。。


Z の長さを求める問題です。


つまり、この問題が“知的なオーガズム”と関係あるのですか?


もちろんですよ。。。 関係ない図形など書くわけないじゃありませんかァ!


それで、答えはどうなるのですか?


だから、ジュンコさんに答えて欲しいのですよ。


私は数学が苦手でした。。。 だから、こういう問題は、どちらかと言えば見るのも嫌なのですわァ~。


分かりました。。。 じゃあ、次の図形を見てください。



(sankaku2.gif)



補助線を上のように2本引きます。。。 言い忘れましたが、上の図の3つの角度はすべて同じです。。。つまり、 下の図のように β = θ = ψ ということです。。。



なんだか、とても複雑に見えますわ。。。



(sankaku3.gif)



θ = ψ ということだから、ピンクの三角形は二等辺三角形になります。。。 つまり、CB と BD の長さは 40 cm ということです。



なるほど。。。


では、次の図を見てください。



(sankaku4.gif)



上の図で β = ψ で、しかも AC と DB は平行なので 紫と黄緑の三角形は相似になるのです。。。 すると、直線 AC と AP の比は BD と BP の比に等しくなるのですよ。。。 つまり、次のような数式が成り立ちます。



70 : 40 = z : (88 - z)


40z = 70x88 - 70z


z = 56


そういうわけで、z の長さは 56センチメートルということになるわけです。


これが“知的快感”、“知的なオーガズム”と関係あるのですか?


もちろんですよ。。。 つまり、 β = θ = ψ となるように補助線を2本引く事を思いつくわけです。。。



(sankaku5.gif)



すると、答えが魔法をかけたように自然に導き出される。。。 このときジュンコさんは、「やったァ~!」という気持ちが高揚して “知的快感”、すなわち“知的なオーガズム”を感じるわけなのですよ。。。


&nbas;



(orga05.jpg)



私には感じられませんわァ。



分かりました。。。 じゃあ、次の引き算を見てください。。。



(hikizan1.gif)



このように計算してジュンコさんも答えを見つけると思うのですよ。。。



誰だってぇ、このようにして答えを出すと思いますわァ~。。。


それが、そうとも限らないのですよ。。。 “知的なオーガズム”を感じて答えを見つける方法があるのです。。。


マジで。。。?


次のようにするのです。。。



(hikizan2.gif)



5000から3247を引くと、暗算するにしても、筆算するにしても、ゼロから引くので煩わしいのですよ。。。 ところが 5000 は 4999 + 1 ですから、 4999から3247 を引いて、そのあとで 1 を足せば、煩わしさを感じないで、つまり、“知的快感”、すなわち“知的なオーガズム”を感じるわけです。。。 ジュンコさんも、これならば“知的なオーガズム”を感じるでしょう!?


 



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いいえ、感じられませんわ。。。



分かりました。。。 じゃあ、ジュンコさんにも“知的なオーガズム”を感じられる方法があります。。。 ちょっと次の計算式を見てください。



(minus01.gif)



マイナスとマイナスを掛けるとなぜプラスになるのか? ジュンコさんは、これまでに不思議だと思ったことはありませんか? 負のものは足りないものですよねぇ~。。。 その足りないものと足りないものを掛けるとプラスになる、つまり足りるもの。。。、つまり、満ち足りたものになってしまう。。。 不思議な事だとは思いませんか!?



確かに、言われてみれば不思議だとは思いますけれど。。。、これまでにそのような事をしみじみと考えてみたことはありませんわァ~。


。。。でしょう!? だったら、ここで、ジュンコさんでも“知的なオーガズム”を感じながら答えを見つける方法を教えます。。。 次の図を見てください。



(minus02.gif)



これを見れば視覚的に納得しますよねぇ~。。。 つまり、こうして数式を並べてみると、下へ行くにつれて 5つづつ答えが増えてゆくのです。。。 要するに、この数式を見ると、「マイナスとマイナスを掛けるとなぜプラスになるのか?」 理屈抜きで納得できる! まるで目の前に立ちふさがっていた霧が すっかり晴れたように気持ちがスッキリする。。。 つまり、“知的快感”、すなわち“知的なオーガズム”を感じるわけですよ。。。 どうですか? ジュンコさんも改めて“知的なオーガズム”を感じたでしょう!



つまり、これが具体的な“知的オーガズム”なのですか?


そうです。。。 いけませんか?


この事を言うために、わざわざ私を呼び出したのですか?


そうですよ。。。 21世紀を迎えた今日、女性の95%がオーガズムを知らないという状況が続いているとしても、“知的オーガズム”を感じることは誰でもできると言いたかったのですよ。



(orga06.jpg)



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 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-03-15 02:48 | 文学論・文学の素養・教養

知的快楽 (PART 2)




 


知的快楽 (PART 2)



【ジューンの独り言】



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ですってぇ~。。。


あなたはデンマンさんの説明を聞いて納得できましたか?


では、あなたのために可笑しくて面白い動画をお見せしますわァ~。。。



(dogorg01.jpg)



馬鹿バカしいと思いましたら、お口直しに古代史の記事でも読んでくださいなァ。


デンマンさんがたくさん書いています。


では次の記事から興味があるものをお読みくださいねぇ~。。。



天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。
 


天智天皇は暗殺された 


定慧出生の秘密 


藤原鎌足と長男・定慧 


渡来人とアイヌ人の連合王国


なぜ、蝦夷という名前なの?


平和を愛したアイヌ人


藤原鎌足と六韜


古事記より古い書物が


どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は


日本人でないの?


マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?


ところで、他にも面白い記事がたくさんあります。


興味のある方は次の記事も読んでみてくださいね。



(sylvie500.jpg)



『角さんと原発と天罰(2013年1月5日)』


『真紀子落選(2013年1月14日)』


『野火(2013年1月18日)』


『タイタニックと国際化(2013年2月1日)』


『宮澤理恵@Macao(2013年2月28日)』



(sunwind2.gif)


『チョコレートと軍産複合体』


『チョコレートと甘い権力』


『CIAの黒い糸』


『美しい日本語再び』


『宮沢りえブーム?』


『また、宮沢りえ?』


『浅間山噴火とフランス革命』


『なぜアクセスが急増したの?』


『気になる検索ワード』


『なぜ塩野七生批判』


『その検査、ムカつく!』


『宮沢りえと床上手な女』


『MH370ミステリー』


『なぜ死刑廃止?』


『真犯人はそこにいる』


『MH370ミステリー裏話』


『お裁きを信じますから』


『ジャルパックと国際化』


『古代ローマのセックス』


『CIAとノーパン』


『エロいローマ再び』


『エロいけれどためになる話』


『えろあくにめ温泉』


『エロいけれどためになる』


『地球上のネット普及率』


『原発はダメだったのに』


『スカートをはいた兵隊』


『行田シンドローム』


『幻の暴走機関車』


『CIA@NOパンツ』


『エリュトゥラー海案内記』


『伊藤若冲 ランブータン』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に
ネットサーフィンしましょう。
じゃあね。バーィ。



(hand.gif)



(surfin2.gif)


ィ~ハァ~♪~!


メチャ面白い、


ためになる関連記事



平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)


『卑弥子の源氏物語』


『平成の紫式部』


■ めれんげさんの『即興の詩』


■ めれんげさんの『極私的詩集』


Jagel - Soft Japanese Bagel
(bagel702.jpg)


■ "JAGEL - Soft Japanese Bagel"



(linger65.gif)


■ 『きれいになったと感じさせる


下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』


■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



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■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』


■ 『今すぐに役立つホットな情報』




(rengfire.jpg)



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by denman705 | 2017-03-15 02:47 | 文学論・文学の素養・教養


 


弘中先生と坊っちゃん(PART 1)


 



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(himiko22b.gif)


デンマンさん。。。 夏目漱石の“坊っちゃん”に弘中先生という人物が出てくるのでござ~♪~ますかァ~?



(kato3.gif)


出てきません。。。


それなのに、どういうわけで“弘中先生と坊っちゃん”というタイトルにしたのでござ~ますか?


それに答えるには、ちょっと次のリストを見て欲しいのですよ。。。



(liv70304a.png)


『拡大する』



これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の3月3日の日本時間で午後7時23分から3月3日の午前9時26分までの約14時間の「生ログ」の1部です。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目して欲しい。



あらっ。。。 3月3日の午後7時29分にYahoo! で検索してデンマンさんの「徒然ブログ」の『弘中先生と熊谷』を読んだのですわねぇ~。。。


そうです。。。 『徒然ブログ』にやって来たネット市民は次のように「弘中先生 熊谷」と入れてYahoo!で検索したのですよ。。。



(yah70307a.png)



『拡大する』


『弘中先生と熊谷』


『現時点での検索結果』



「弘中先生 熊谷」と入れてYahoo!で検索したネット市民は、どういうわけで弘中先生と熊谷を結びつけたのでしょうか?



あのねぇ~、実は 僕は埼玉県の熊谷高校の出身なのですよ。。。


弘中先生というのは熊谷高校の先生なのですか?


そうです。。。 もう とっくの昔になくなりましたけれど。。。 ちょっと『ウィキペディア』で紹介されている僕の母校の「熊谷高校」のページを見てください。



熊谷高校



(kumako3.jpg)


1895年(明治28年)、埼玉県第二尋常中学校として創設された。
県下の公立校としては埼玉県第一尋常中学校(現埼玉県立浦和高等学校)に次ぐものである。
戦後、新制埼玉県立熊谷高等学校となった。
開学以来男子校である。
早くから私服での登校が認められており、校風は極めて自由である。


校訓


「質実剛健」
「文武両道」
「自由自治」
部活動への加入率は高く、また自由な校風を有している。


校風


自由な校風を有することが特徴である。
その中のひとつとして、「カクト」と呼ばれる制度がある。
これは、担当教員の出張などにより授業が休講となる場合に出される自習時間のことであり、「各自図書館自習」の略称である。
しかしながら、実質的には何をしても良い時間であり、自習時間の利用方法は生徒各々の自主性に任される。
また、カクトの時間を最終時限目と入れ替え、放課を早めることができる場合もある。
この行為は「トを上げる」と呼称される。
このため、同校においては生徒が授業時間中に校内を歩いていたり食堂で食事をしていたとしても、教員がそれをとがめることは通常ない。


このほかの同校の自由な校風を象徴するものとして以下のようなものがある。
例えば文化祭の出し物はクラス単位で行われることが一般的であるが、同校の熊高祭においては仲の良いグループを募って「サークル」を形成し、そのサークル単位で行うことが恒例となっている。
また、修学旅行に関してもほとんどがグループ単位での行動であり、宿泊地もグループ単位で異なる。
また、服装検査や頭髪検査、持ち物検査などの校規検査は一般的に行われない。


このほか、小規模な行事であろうと肩を組んで校歌を斉唱する習慣がある。
文化祭や体育祭、生徒集会や全校集会などの行事では必ず肩を組んで校歌が斉唱される。
生徒が自ら好んで校歌を歌うことが多い。


40キロハイク


毎年5月中旬から下旬ごろに行われる行事。
熊谷の荒川河川敷から秩父線上長瀞駅までのおよそ40キロを歩いたり、走ったりする。
服装は基本的に自由であるが、大半の生徒は仮装をして参加する。
仮装の内容は社会風刺や下ネタなどがある。
完歩率は高く、例年90パーセント以上を維持している。


臨海学校


1年次の7月中旬に行われる行事。
新潟県柏崎市の鯨波海岸で、主に遠泳が行われる。
県内では浦和高校と蕨高校と同校の3校のみでみられる行事である。
開始以来無事故。これまで毎年行われてきたが、2007年度は開始予定前日に発生した新潟県中越沖地震の影響で初めて中止となった。


熊高祭


毎年9月に行われる、文化祭と体育祭の総称である。
前者については、先述の通り仲の良い者同士や部活動単位で「サークル」を形成し、そのサークル単位で出し物を行うことが特徴である。
また、応援団による「勝利の伝統」や、「秩父支部劇」、女装してパフォーマンスなどを行う「ミス熊高」などが行われる。
体育祭に関しては、珍棒(ちんぼう)を用いる「珍百足」(ちんむかで)や、水泳やタイヤ引きなどを連続して行い体力と気力を試す個人競技「鉄の男」といった特徴的な種目がみられる。


修学旅行


2年次の11月頃に行われる。
例年の行き先は関西地方や九州地方、北海道などであるが、行き先は1年次に決定される。
このほか、先述の通り宿泊地をグループ毎に各自選択することができることが大きな特徴である。
例えば、行き先が関西地方の場合は、初日の広島が宿泊地として指定されているのみで、それ以降の宿泊地は岡山、神戸、高松、大阪などからグループごとに選択することができる。
初日が広島、2日目が岡山、3日目が大阪、4日目が京都というグループがある一方、初日が広島、2日目が神戸、3日目が高松、4日目が京都、というグループがあるなど、自由に選択できる幅が広い。


部活動


「文武両道」の精神にのっとり、部活動への加入率は高い傾向にある。
なお、2008年度における部活動への加入率は、運動部が63.8%、文化部が14.6%、愛好会(サークル)が15.6%であり、これらを合計するとのべ94%である。
2つ以上の部活動を兼部することもできる。


硬式野球部が1951年、1982年などに3回夏の甲子園に出場しており、うち1951年の大会においては準優勝した。
このほか、剣道部、陸上部、軟式野球部、ラグビー部、水泳部、弓道部、ソフトテニス部、バレーボール部、山岳部、将棋部なども県大会や全国大会へ出場を果たしている。


主な出身者・関係者


政治・行政 (略)


経済 (略)


 (中略)


芸術・雑


弘中又一: 夏目漱石の小説「坊っちゃん」の主人公のモデルとなった第二中学の教員
小林秀三: 田山花袋『田舎教師』モデル

須田剋太: 日本画家


(後略)




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



あらっ。。。 弘中先生というのは「坊っちゃん」の主人公のモデルになったのでござ~♪~ますか?



そうなのですよう。。。 実は僕も知らなかった。 高校時代には田山花袋が書いた『田舎教師』に僕は興味を持っていた。


なぜでござ~ますか?


『田舎教師』の主人公のモデルになったのが小林秀三という人物なのですよ。。。 校長室の前の廊下にガラスケースがあって、その中に埼玉県第二尋常中学校の第2回か3回目の卒業写真が飾られてあって、僕も何度かその記念写真に写っていた小林秀三の姿を見たことがあった。


弘中又一さんの事は高校時代にデンマンさんは聞いた覚えがないのでござ~♪~すか?


誰からも聞いた覚えが無いのですよう。。。 『田舎教師』よりも小説「坊っちゃん」の方が良く知れわたっていると思うのに、どう言う訳か僕は弘中又一先生の話を聞いたことがない。 今から思えば、実に意外だった。


小説「坊っちゃん」の方が良く知られているのに、なぜ弘中先生のお話が出なかったのでござ~♪~ましょうか?


あのねぇ~、僕は思うのだけれど、小林秀三が田山花袋が書いた『田舎教師』のモデルだと言うことは、ほぼ間違いないのですよう。 つまり、文学に多少関心がある人の間では、誰も認めている事実なんですよう。


弘中先生が「坊っちゃん」のモデルだと言う事は夏目漱石ファンの誰もが認めているわけではないのでござ~♪~ますか?


僕も夏目漱石のファンだけれど、僕は知らなかった。 夏目漱石自身が「坊っちゃん」のモデルだと、僕は素朴に思い込んでいましたよう。


なぜでござ~♪~ますか?


ただ素直に、そう思い込んでいた。 「坊っちゃん」の主人公と夏目漱石が僕のオツムの中では重なり合っていた。


つまり、私小説だとデンマンさんは思っていたのでござ~♪~ますか?


志賀直哉が書くような私小説だとは思わなかったけれど、「坊っちゃん」の主人公は、明らかに夏目漱石の生い立ちや経歴に基づいて書かれていますよう。


たとえば。。。?


『ウィキペディア』の作品解説には次のように書いてあるのですよう。




(soseki008.jpg)


作者(夏目漱石)が、高等師範学校(後の東京高等師範学校)英語嘱託となって
赴任を命ぜられ、愛媛県尋常中学校(松山東高校の前身)で
1895年4月から教鞭をとり、1896年4月に熊本の第五高等学校へ
赴任するまでの体験を下敷きに、後年書いた小説である。



つまり、漱石の松山時代の体験に基づいて書かれた小説なのですよう。 だから、私小説とは言わないまでも、漱石自身の体験がそこ、ここに書かれている。



例えば。。。?


漱石が子供の頃に一緒に居た女中のお清さん。 孫が書いた本にも次のように紹介されている。




(soseki009.jpg)


漱石の『坊っちゃん』には、父親に嫌われる主人公を無条件に愛する使用人の清という女性が描かれる。
清が「まっすぐで、よいご気性です」と坊っちゃんをほめると、坊っちゃんは「おれはお世辞は嫌いだ」といいかえす。
が、「それだから、よいご気性です」といわれて閉口するのである。


そこで愛されているのは、坊っちゃん本人であり、彼自身の気性である。
彼の生まれた家柄や、父親といった、彼自身に選べない属性ではない。
だからこそ坊っちゃんも清を愛し、恩を返そうと思う。これは「ひいき」ではない。


漱石自身は、坊っちゃんではない。
もっと複雑で多重人格的な人だが、清のようなまっすぐな愛情を尊ぶ性向は、明らかに漱石のものだったと思う。




148ページ 『漱石の孫』 著者・夏目房之介
2003年4月22日 初版第一刷発行
発行所・株式会社 実業之日本社



確かに、漱石自身は坊っちゃんではない。 でも、漱石自身も坊っちゃんの姿に自分自身のあるべき姿を見ていたはずですよう。



どうしてデンマンさんは、そのような事をおっしゃるのでござ~♪~ますか?


孫の房之介さんは、更に次のように書いていた。



本当の自分を持つ



(natsume.jpg)


「真に目覚める日本」とは、個人におきかえれば「本当の自分」を自覚することになる
いわば「坊っちゃん」のように、内面と外面が一致する偽善のない姿を意味するのだろう。
これを問うことが漱石の文学的主題にもなったが、一方で、つねに自分の内面に問い続ける、資質的で内面的な視線を強化することにもなった。
また漱石は、その主題を「個人主義の確立」という公共社会的な課題にして、本当に「中身」のある近代を視野に入れようとした。


 (中略)


ともあれ漱石は、日露戦争直前の、明治国家が世界における存亡を強く意識して極度に緊張した時期に留学したのである。
自己肥大どころか、自分は、日本は、貧弱な猿真似をしているに過ぎないのではないか、という意識を心に抱いて帰った。
そのことが、以後の日本の自己肥大化から距離をおいた文明論的な場所を漱石に与えたともいえる。


 (中略)


「国家は大切かもしれないが、そう朝から晩まで国家国家といってあたかも国家に取り付かれたような真似はとうてい我々にできる話ではない。(略)
事実出来ないことをあたかも国家のためにするごとく装うのは偽りである。(略)
国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見えることです。
元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。
詐欺をやる。誤魔化しをやる、ペテンにかける、滅茶苦茶なものであります。」
(夏目漱石 『私の個人主義』 135-137ページ所収)


見事な指摘である。これを漱石は、日露戦争(1904-1905年)および第一次世界大戦(1914-1918年)の戦勝国となった日本で語っている。
国家と個人、国家と国家の関係において、この言葉は今でも説得力を持つ。


日本は、そののち「朝から晩まで国家国家」といわねばならない、「出来ない事」をできるといいはる国になり、「徳義」もないくせに「徳義」ヅラして(この点は欧米だって同じだが)、そして手ひどく(太平洋戦争で)負けた。
漱石の文明論的な視点は、そのあたりまで届いていた。




131-134ページ 『漱石の孫』 著者・夏目房之介
2003年4月22日 初版第一刷発行
発行所・株式会社 実業之日本社


『夏目漱石と成りすまし馬鹿 (2009年8月11日)』に掲載。



つまり、僕は『漱石の孫』の上の部分を読んで、夏目漱石は当時の自己肥大しつつある日本帝国という国に居て、本当の自分を持つために苦悩していた。その事を赤裸々に小説化したのが「坊っちゃん」だと思えたのですよう。



要するに、苦悩する自分の姿を坊ちゃんになぞらえて書いたとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?


そうですよ。 漱石は1900(明治33)年の9月に横浜からイギリス留学に向けて出発した。完璧を望む漱石は文学者として苦悩しノイローゼになってしまった。でも、その経験があったからこそ、漱石は日本帝国を、そして自分自身を客観的に見ることができた。そして、よくよくイギリスと比較してみたら、日本帝国は夢中で自己肥大しようとしていた。


狂っているのは漱石ではなく、当時の日本帝国の方が病的に自己肥大しようとしていたとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?


そうですよう。日本帝国は「朝から晩まで国家国家」と言うようになっていった。「出来ない事」をできると言いはるような国になりつつあった。そういう中で漱石は『坊っちゃん』を書き上げて1906(明治39)年に「ホトトギス」に発表した。


つまり、「真に目覚める日本」とはどう言う事か?を考えながら、漱石自身が「本当の自分を持つ」ために書き上げたのが『坊っちゃん』だとデンマンさんはおっしゃるのでござ~♪~ますか?


その通りです。 そう思っているところで、『ウィキペディア』の母校「熊谷高校」を覗いてみたら次のようなことが書いてあった。


弘中又一: 夏目漱石の小説「坊っちゃん」の


主人公のモデルとなった


第二中学(現・熊谷高校)の教員


意外だったのでござ~♪~ますか?


実に意外だった。


どうして。。。?


夏目漱石は自分自身を俎板(まないた)の上に乗せて、これから自分をどのように料理しようか? そう考えながら書いたのが『坊っちゃん』だと思えたのですよう。


ところが、「坊っちゃん」の主人公のモデルが外に居たと『ウィキペディア』に書いてあったのでござ~♪~ますわね?!


そうです。 まるでバケツの冷水を頭からぶっ掛けられたような気分でしたよう。


マジで、それ程意外だったのでござ~♪~ますか?


もし、それが事実であるならば、弘中又一先生は、夏目漱石が真に理想としていたような人物ではなかったのか?。。。僕は、ふと、そう思ったのですよう。


。。。んで、調べ始めたのでござ~♪~ますか?


そうです。まず弘中先生の略歴を読んでください。



弘中又一 略歴



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21才頃の弘中先生


・明治6年(1873)12月10日、山口県都濃郡湯野村第287番屋敷(現、山口県徳山市大字湯野4152番地)で、父弘中伊亮、母タメの長男として生まれる。


・明治12年(1879)7月 現湯野小学校入学。 明治18年8月18日卒業。


・明治23年(1890)1月 同志社普通学校入学。明治27年6月29日卒業。
その間、明治26年12月 山口県の柳井小学校高等科英語の代用教員を務める。
又、12月28日に戸澤タカと結婚。明治28年5月22日長男(進)出生。


・明治28年(1895)5月27日 愛媛県尋常中学校へ単身赴任。
なお、夏目漱石が同校へ赴任したのは、同年4月10日である。


・明治29年(1896)4月1日4月1日 愛媛県尋常中学校東予分校へ転任。
この時、漱石も尋常中学校を去った。


・明治29年(1896)11月24日徳島県尋常中学校第二分校(現 富岡西高等学校)へ着任。


・明治33年(1900)4月4日 埼玉県第二中学校(現 埼玉県立熊谷高等学校)着任。


・大正8年(1919)5月8日同校離任。大正8年5月同志社中学校へ赴任。


・昭和7年(1932)3月31日同校退職。


・昭和13年(1938)8月6日永眠。墓は菩提寺湯野常照院にある。




『湯野温泉郷ガイド 弘中又一先生』より



漱石先生の生まれは1867年の2月だから、弘中先生の方が6才若いのですよう。



松山の中学校で一緒に居たのはわずかに1年程なのですわねぇ~。。。


そうなのです。 漱石先生は当時28才で、弘中先生が赴任した時は21才ですよう。


弘中先生は若かったのでござ~♪~ますわねぇ。


あのねぇ~、僕が弘中先生のことを調べ始めて驚かされたのは、旧制熊谷中学の卒業生の間で弘中先生の事は結構知られていたのですよう。


どうして分かったのでござ~♪~ますか?


1975年に熊谷高校は創立80周年を迎えたのですよう。 その記念行事として「熊谷高校八十周年誌」を出版したのです。


その八十周年誌に卒業生が寄せた弘中先生のエピソードがたくさん書いてあったのでござ~♪~ますか?


そうなのです。 そう言えば僕も買わされて、親父が懐かしそうに手にとって読んでいたのを今でも思い出しますよう。


でも、デンマンさんのお父様は小学校だけしか出ていなかったのでしょう?


卑弥子さんは、そのようなどうでもよい事はよく覚えているのですねぇ~。。。確かにそうなのですよう。でも、親父だって家が貧乏でなければ、当時の熊谷中学へ入りたかったのですよう。


。。。んで、お父様はどうしていたのですか?


昔の忍尋常小学校で給仕をしながら独学で教員検定試験を受けてパスしたそうです。 18才で小学校で教え始めたと言うのだから驚きます。 でも、中学校に行けなかったので、小学校の頃の同級生の名前を探しながら、懐かしそうに読んでいましたよう。


デンマンさんは、読まなかったのでござ~♪~ますか?


親父が独占してしまったので、僕は初めにざっと目を通したぐらいで、とりわけ面白いとも思わなかったから、それ以後読まなかったのです。


そうしたら、「熊谷高校八十周年誌」に弘中先生の面白いエピソードがたくさん書かれていたのでござ~♪~ますか?


そうです。 ネットで、同窓生のページを調べていて知ったのです。


。。。んで、どのようなエピソードがあったのでござ~♪~ますか?


教科は『坊っちゃん』の中に書かれているように、熊谷中学でも数学を教えていたのです。 博学で、英語の原書を授業で用いることもあったそうです。 しかも、「坊っちゃん」のような破天荒ぶりも見せたそうです。


どのような。。。?


弘中先生は“泥鰌(どじょう)”が好物だったらしいのです。 ある時、安いのでどじょうを買ったのだけれど、あいにく入れ物がないので、かぶっていた山高帽の中に入れて持ち帰ったというのですよう。


その他には。。。?


またある時は、荷車を引いて歩くのに山高帽にフロックコートをはおって引いていたというのですよう。 面白いでしょう?!


まだあるのでござ~♪~ますか?


修学旅行で京都に行ったとき、先生方は皆モーニングにネクタイを締めて引率していたが、弘中先生はネクタイを忘れたらしく、モーニングにネクタイ無しで引率していたというのです。


他には。。。?


中学の先生にしては周囲の視線を気にしないで、ひょうひょうとして、あまり身なりには構わなかったそうです。


あだ名はあったのでござ~♪~ますか?


「エグス」というのですよう。


卵の英訳でござ~♪~ますか?


違うのです。 出席簿の教師名欄に弘中の「弘」を書く代わりに数学記号「x」を書き、「エグス」と発音していたと言うのです。 それで「エグス」と呼ばれるようになったとか。。。 面白いのは、先生の名前をエグスだと思い込んでしまって、卒業しても本名を知らない生徒が居たとか。。。


マジで。。。?


「熊谷高校八十周年誌」に、そう書いてあるらしい。 住んでいたのは、学校から南東へ約1キロ、さいたま地裁熊谷支部の南側にある「明石医院」の隣の貸家だった。


今でもあるのでござ~♪~ますか?


その貸家は取り壊されて、今では駐車場になっているそうです。市街地の中心部にありながら、熊谷空襲でも焼けずに残った地区だったそうで、そのあたりは、今でも古い民家が立ち並ぶ狭い通りだそうです。


何か面白いお話でも伝わっているのですか?


あのねぇ、大家だった明石千代子さん(92)は、「弘中先生が酔って道ばたで寝ていた」と、お母さんから聞かされたそうです。


中学校の先生が酔って道端で寝ていたなんてマジでござ~♪~ますか?


覚えている女性の名前と年齢までがはっきりしているのだからマジですよう。 しかも驚いたことに、「漱石の『坊っちゃん』先生旧居跡」という看板が、ブロック塀に今でも掲げられているのですよう。 次のサイトへ行くと、その写真を見ることができます。


 



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『小説「坊ちゃん」の主人公が居た熊谷市』



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弘中先生は色白で背が高くて、学校近くへ写生に出かけると、青縞織(あおじまおり)の女子工員たちが一斉に工場の窓から首を出すほど「ハンサム」だったそうですよう。でも、『坊っちゃん』の主人公のモデルだ、と語ることはほとんどなかったらしい。



弘中先生が教えていた頃の校舎は今でも残っているのですか?


旧制熊谷中の校舎は改築されて、今では見ることができません。 でも、当時からあったくぬぎ林は今でも残っていますよう。 林の奥にある同窓会館「くぬぎ会館」で、弘中先生写っている集合写真を見ることができます。


それ程ハンサムなら、あたくしも一度弘中先生が写っているお写真をぜひ見たいものでござ~♪~ますわ。


あのねぇ~、僕が更に驚いたのは、田山花袋の小説『田舎教師』の主人公のモデルになった小林秀三(1884―1904; 熊谷中2期生)も、弘中先生に教わった生徒の一人だと言うのです。


しかし、これだけ有名なのに、どうしてデンマンさんは弘中先生のお話を覚えていなかったのでござ~♪~ますか?


いま、振り返ってみても、僕自身が不思議でならない。。。 やっぱり、どのように思い出そうとしても記憶に無い。 どう言う訳か僕にとって『田舎教師』の主人公のモデルになった小林秀三の印象が強烈で、弘中先生の話は、多分聞いたと思うのだけれど、全く記憶に無いのです。


そのような事があるのでござ~♪~ましょうか?


あるのですよう。 何が強烈に印象に残るのかは、人によってさまざまですからね。


「弘中先生 熊谷」と入れてYahoo!で検索したネット市民は、デンマンさんのように熊谷高校の卒業生かもしれませんわねぇ~。。。


たぶん、そうでしょう。。。 卒業してから数十年経って 『坊っちゃん』のモデルが旧制熊谷中学で教えていたことを確認するためにネットで調べ始めたのですよ。。。



(laugh16.gif)


 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-03-07 06:44 | 文学論・文学の素養・教養



弘中先生と坊っちゃん(PART 2)



【卑弥子の独り言】



(himiko22.gif) 


ですってぇ~。。。


あなたは『坊っちゃん』のモデルが弘中先生だと知っていましたか?


あたくしは知りませんでしたわ。


では、ここで あなたのために NHK新春ドラマ1994年に放映された『坊っちゃん』をお見せしますわね。



(soseki007.jpg)



ところで、話は変わりますけれど、あたくしは“平成の紫式部”と呼ばれているのでござ~ますわよう。


うふふふふふふ。。。


ええっ。。。 信じられないってぇ~。。。?


じゃあ、『卑弥子の源氏物語』を お読みくださいませぇ~。。。



(genjiero4.jpg)


『卑弥子の源氏物語』


どうですか? あたくしが “平成の紫式部”だと納得がゆきましたか?


ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?


でも こう見えても 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。


ただし、なかなか あたくしの魅力を認めてもらえないのでござ~ますう。


つまり、結婚相手が 現れないのですわァ。


この際 高望みはいたしません。


“寅さん”のような人でもいいですわ。


旅に出ていることが多いので 手がかからないと思うのでござ~ますう。


ついでだから、寅さんの映画でも見て、希望をつなごうと思います。


“袖触れ合うも他生の縁”と申します。


あなたも 一緒に寅さんのYouTubeでも見てくださいねぇ~。。。



(tora019.jpg)



ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代のお話も心にしみますわァ。


たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。


そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。


ぜひ 覗いてみてくださいね。


天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。
 


天智天皇は暗殺された 


定慧出生の秘密 


藤原鎌足と長男・定慧 


渡来人とアイヌ人の連合王国


なぜ、蝦夷という名前なの?


平和を愛したアイヌ人


藤原鎌足と六韜


古事記より古い書物が


どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は


日本人でないの?


マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。



(hand.gif)


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)



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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。


卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




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『ハマグリにハマる』


『ハマグリの誘惑』


『ハマグリの足跡を追って』


『芭蕉と遊女』


『光源氏もビックリ』


『エロエロ源氏物語』


『悲痛の紫式部』


『卑弥子のえっち』


『白妙の和歌を探して』


『キーワード診断』


『紅のボート難民』


『ん?ネトウヨ』



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『下衆のかんぐり』


『桓武天皇のママがネットで』


『ござが天皇とGOOGLE』


『エロ 建礼門院』


『一敗が三人に!』


『行田の黒い霧をはらう』


『ペルシャ人が飛鳥に』


『小柴垣草子』


『後白河上皇ダントツ』


『ブスと美人』


『エロい話が好き?』


『死んでも生きてる』


『失意の太田将宏』



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『オルフェと聖徳太子』


『源氏物語とおばさんパンツ』


『霊仙はなぜ毒殺されたの?』


『紫式部が地獄へ』


『破戒僧円載』


『アショーカ王の愛と苦悩』


『どら平太の世界』


『三四郎とデンマンさん』


『ヒトラーの姪』


『ゴヤと三島由紀夫』


『仏陀とキリストと娼婦』



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『ズロースと戦争』


『伊藤若冲ブーム?』


『ブッダと物理学』


『加藤清正ブーム?』


『愛憎と三輪山』


『松原智恵子 お尻ペンペン』


『坂本龍馬は流れ者か?』


『野ざらし』


『紫式部堕獄説』


『日本最古のポルノ?』


『源氏物語の性描写』


『寅さんの本棚と急行まつしま』


『ヒトラーは草食系?』


『ブッダとキリストと娼婦』


『顔文字とオナラ』


『宝暦の恨みを明治維新で』


『デウキと紅葉@行田』


『薄い陰毛と紅のボートピープル』


『江戸の閨房術』


『ずるがしこい現代人』


『春画@源氏物語』


『千早振る』


『あれっ、松本清張』


『キスと源信』


『布袋さんに惹かれて』


『悪女 レオタード』


軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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by denman705 | 2017-03-07 06:43 | 文学論・文学の素養・教養