デンマンが日々思ったこと考えたこと感じた事を書きます。


by denman705
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カテゴリ:国内旅行・名所・旧跡( 184 )

北海道に無いもの


 


北海道に無いものは?


 



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こんにちは。ベティーです。
お元気ですか?
今日は気分転換にちょっとしたクイズをだしますね。


他の都府県の住宅と比べて、
北海道の住宅では、
あまり見られないものは次のうち、どれでしょうか?



1) 玄関や門にある郵便受け


2) 一般的な三角形の屋根


3) 屋外のテレビアンテナ


4) 洗濯物などを干すベランダ


5) キッチンの窓


さあ、このうちのどれが、北海道ではもっとも見ることができないモノでしょうか?


北海道にお住まいの方ならばきっと分かると思いますが。。。


あなたは、いかがですか?



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正解は 2番です。
一般的な三角形の屋根です。


北海道の住宅には“三角形の屋根”がないの?


ちょっと不思議に思うかもしれませんが、
本州の西部や九州や四国と比べると、
“三角形の屋根”が圧倒的に少ないのです。


なぜ?


それには北の大地ならではの理由があります。
普通の三角屋根の場合、除雪作業が必要です。
しかも、すごい雪の量なので、落雪の危険や除雪した雪の置き場に困ったりします。
また、ご近所とのトラブルにもなりかねません。


そこで登場したのが“無落雪屋根”と呼ばれる平らな金属屋根です。
基本的に屋根の雪はそのまま。
屋根中央のダクトに向けて僅かなM字の傾斜があり、融けた雪がそのダクトから流れ出るという仕組みです。


住宅の多い市街地に多いそうです。
北海道では、子どもたちが描く家の絵も四角いのかも。。。



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(dance.gif)


あなたが絶対、


見たいと思っていた


面白くて実にためになるリンク



平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko92.jpg)


『卑弥子の源氏物語』


『平成の紫式部』


■ めれんげさんの『即興の詩』


■ めれんげさんの『極私的詩集』



(snowboard.jpg)


■ 『あなたも北海道へ! お得で役立つトラベル ガイド』


■ 『今すぐに役立つホットな情報を集めたサイト』



(creditx.gif)


■ 『あなたのための クレジット カード ガイド』



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■ 『あなたのための ローン ガイド』



(house03.gif)


■ 『住宅ローン・ビジネスローン ガイド』



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■ 『きれいになったと感じさせる下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『笑って楽しんで幸せになれるサイト』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』


■ 『興味深い写真や絵がたくさん載っている世界の神話』


■ 『現在に通じる古代オリエント史の散歩道』


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■ 『笑って楽しめる 私版・対訳 慣用句・熟語辞典』


■ 『辞書にのってない英語スラング』


■ 『オンライン自動翻訳利用法』



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平成の紫式部、橘卑弥子でござ~ます
(himiko22.gif)


おほほほほ。。。


卑弥子でござ~♪~ます。


また、例によって、


出てまいりましたわ。


ええっ?クイズの記事に


なぜ出て来たのかって?


あたくしだって、


たまには気晴らしに


クイズに挑戦


したかったのですわよ。


でも、外れてしまいましたわ。


三角形の屋根とは


思いませんでしたわ。


あたくしはベランダだと思ったので


ござ~♪~ますのよ!


雪が多いからベランダの使い道が


無いと思ったのですわよ。


ところで、デンマンさんに言われて、


あたくしも一生懸命に


パソコンを勉強して


少しはITについて


理解し始めているのでござ~♪~ますわ。


そんなわけで、この際ITビジネスを


立ち上げたいのですわよ。


もし、あなたもビジネスを始めたいならば、


次のリンクをクリックして覗いてみてね。


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ええっ?あなたは職探しの方がいいの?


だったらね、次のリンクをクリックしてみるといいわよ。


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ところで、あたくしがマスコットギャルをやっている


次のサイトも見てね。


■ 『面白い新しい古代日本史』


気分転換にいかがですか?


興味深い記事がたくさん読めますことよ。


では、今日も一日楽しく愉快に


ネットサーフィンしましょうね。


じゃあね。バ~♪~イ



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by denman705 | 2017-10-06 03:05 | 国内旅行・名所・旧跡


 


映画とロマン@仙台 (PART 1 OF 3)


 








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デンマンさん!。。。今日は仙台での映画とロマンのお話でござ~♪~ますか?



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そうです。。。 いけませんかァ~?


でも。。。、でも。。。、どうして急に仙台での映画とロマンのお話をする気になったのですかァ~?


あのねぇ~、実は、仙台に住んでいる中原さんがコメントを書いてくれたのですよ。。。




(masuo01c.jpg)


中原 Says:


2017年6月13日 4:17 AM | 返信する 編集


 


「松島」で思い出しました。


旧・宮城第一高女の校歌。作詞者名は未確認。


 



 


すすむ学びのみちのおく


千代てふ文字にちなむ郷


業の成る日をまつしまの


まつかひもはや千賀の浦


これわが校のものとして


他に 優れし ところなり


 



 


仙台の由来は千代


掛詞の妙も鮮やかな、美しい校歌です。


デンマンさまの、最近ブログ記事内容にそぐわず、申し訳ありません。
何かの参考にしていただければ幸いです。
長文のコメントをお許しください。


その昔、私は、宮城一女(宮城県第一女子高等学校)に学ぶ美少女に恋した。
宮城一女は、宮教大(旧東北大学教育学部)合格者数のトップ高であり、東北大学合格者数も多かった。


生徒会の発案で制服を自由にした。
バス通学で見かけた少女は、青の上着に赤のスカート。
みどりの黒髪は美しく光り輝き、洋書「老人と海」に読みふける高校一年生の顔立ちは、清潔で幼く、可愛かった。


ハワイ出身のアイドル、アグネス・ラム激似の美少女は、二浪後、東北大学医学部に合格。
卒業後、関東にある医院の御曹司に女医兼妻として嫁いだが、離婚。


その後、熱心な求愛にほだされて、年下の医学研究者と再婚。
現在彼女は、脳神経学系の権威として指導者的立場にある。


宮城一女は現在、共学の宮城県宮城第一高等学校になっている。
その昔は宮城第一高女(宮城県第一高等女学校)で、
校舎は、青葉区八幡1丁目(旧・中島丁)でなく仙台市の中心部にあった。


昭和20年7月の仙台空襲で建物は焼失した。
昔も今も変わらぬ、荘重なメロディの校歌が懐かしい。


私は、戦前の宮城第一高女を舞台に、一少女の物語を書きたいと願いつつ、結局果たせなかった。


以下は、校歌の(ピアノによる)メロディのみ。



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denman705 Says:


2017年6月13日 10:51 AM | 返信する 編集


 


コメントありがとうございます。
宮城一女の美少女に恋したとのこと。。。
きっと素晴らしい女性だったことでしょう!


アグネス・ラムは、当時の私にとってアイドル的存在でした。 (微笑)



(lum100.jpg)


 


中原さんのコメントを読んで私も宮城三女の乙女と


仙台駅前の「日の出」映画館に


映画を見に行ったことを思い出しました。


 



(miyagal3.jpg)



 


もう、その映画館はなくなってしまったとか。。。
残念です。。。


でも、思い出は私の記憶に焼きついています。


中原さんのコメントを読んで、以前書いた記事が


よみがえってきました。



(date007.jpg)


『杜の都の映画』


 


タイトルは『杜の都の映画』という長い記事ですが、
画像が消えているので、さっそく更新しようと思います。


この事でまた記事を書けると思います。


コメントありがとうございました。。。
では、仙台の初夏を楽しんでください。。。



(stars.gif)




『車掌さんの松島音頭』のコメント欄より
(2017年6月13日)



あらっ。。。 中原さんが宮城一女の美少女に恋したというコメントを読んで、デンマンさんは宮城三女の乙女と仙台駅前の「日の出」映画館に映画を見に行ったことを思い出したのでござ~ますかァ~?



そうなのですよ。。。


それで、中原さんに対抗してデンマンさんは宮城三女の乙女の思い出を語るのでござ~ますかァ?


そうです。。。 いけませんかァ?


ぜひ伺いたいですわァ~。。。 デンマンさんが破廉恥な真似をして可憐な恋は破滅に追い込まれたのでしょう?! うふふふふふふふ。。。


卑弥子さんは“他人の不幸は蜜の味”だと思い込んでいるようだけれど、そういうことだから京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」という格調高い演題で講義しているにも拘(かかわ)らず教え子の腐女子たちに次のような画像をネットで公開されてしまうのですよ。。。



(preg12.jpg)



デンマンさん! んもおおおォ~。。。! 一生懸命に結婚のお相手を探しているのに あたくしを前にして、どうして上のような誹謗・中傷のお写真を貼り出すのでござ~ますかァ?  



だから、他人の不幸を期待すると、このような“しっぺ返し”を受けるのですよゥ。。。


分かりましたわ。。。 あたくしの言い過ぎでござ~ましたわァ。。。 では、デンマンさんのお話を素直にお聞きしますゥ。。。 その乙女とは、どのようにして出会ったのでござ~ますかァ?


以前にも書いたけれど、僕は仙台の南の方にある富沢金山と言う所に下宿していたのですよう。 まだ政令都市になる前で仙台市富沢金山という住所でした。


現在は、どうなっているのでござ~♪~ますか?


調べたら、仙台市太白区富沢金山になっています。 僕の下宿のすぐ裏が三神峯山になっていて、そこが宮城県では有名な桜の名所になっているのですよう。



(migamine88.jpg)



そんな山奥に下宿していたのでござ~♪~ますか?



三神峯山と言うと高い山を想像するかもしれないけれど、ちょっとした丘ですよう。 決して山の奥に住んでいたわけではありません。 そこは「三神峯公園」になっているのです。 仙台駅からバスで30分ほどです。


桜の季節には、大勢の人が繰り出すのでござ~♪~ますか?


天気が良い4月の週末ともなれば、足の踏み場がないほどにぎわって、花見の宴会で歌って踊って大変でしたよう。ソメイヨシノ、楊貴妃、吉野桜など、33種類、約550本の桜があるのですからね。。。


あのォ~。。。2018年には秋ではなくて春に日本へ帰省しませんか? あたくしはデンマンさんと仙台へ行ってみたくなりましたわ。 その時には「三神峯公園」へデンマンさんとご一緒にお供したいですわァ。


う~♪~ん。。。考えておきますよう。


それで、「三神峯公園」が映画と関係あるのでござ~♪~ますか?


直接は関係ないのです。。。 僕の下宿の脇の道をさらに10メートルぐらいを登ってゆくと恵子さんの家があるのですよう。


その恵子さんが宮城三女の乙女ですかァ?


そうです。。。



宮城県第三女子高等学校


 


宮城県第三女子高等学校は、宮城県仙台市太白区門前町にある県立の女子高等学校。
略称は三女。ナンバースクールの一員。
宮城一高や男子ナンバースクールとは異なり、制服が指定されている。


地元では、宮城一女(現・宮城一高)、宮城二女、三女を評して
「頭の一女・顔の二女・身体の三女」と言われることがある。


他の女子ナンバースクールは近隣に男子高が存在するのに対し、三女の近くにはない。ただし1962年まで仙台商業高等学校が隣接していたほか、現在は宮城県仙台南高等学校(共学校)が付近にある。


2010年に共学化される予定である。
宮城県教育委員会から共学化の提案について、同窓会などで議論となっている。
また、以前行われた全校集会での共学化賛成・反対の投票では99%が共学化反対の意を表明している。


沿革


1924年 - 宮城県第三高等女学校設立
1946年 - 学制改革により5年制
1948年 - 学制改革により宮城県第三女子高等学校となる
1950年 - 男女共学制を実施
1952年 - 男女共学制を廃止
1953年 - 従来の校舎を宮城県第一女子高等学校と併用
1955年 - 新校舎起工
1957年 - 現在地に移転、現在の校旗・校歌制定


校訓


自立 聡明 敬愛


設置学科


全日制 普通科


部活動


音楽部


本校の音楽部は全国でも有名であり、大会では好成績を修めている。
音楽部という名称ではあるが、「合唱」専門である。
また、2003年度の菓匠三全のCMに朝海ひかると出演したり、森山直太朗の代表曲「さくら」で共演し、同氏のCDのカップリング曲「さくら(合唱)」でバックコーラスとして収録されたりと活躍は大きい。


体操部


体操部という名称ではあるが、実質は「新体操」である。
練習環境は決して恵まれていないが、実力は全国レベルのインターハイ常連校。
個人演技の得点はずば抜けて高いとは言えないが、団体演技は見るものを圧倒する。


体育祭


年2回行われるイベント。仮装しての行進もある。
また、綱引きにおいては近所の郡山餅屋の大福をめぐり争奪戦が行われ戦死者がでることがある。


著名な卒業生


小池真理子 - 直木賞作家
我妻佳代 - アイドル(おニャン子クラブ)
朝海ひかる - 元宝塚歌劇団雪組男役トップスター(在籍歴あり)
葛岡碧 - ファッションモデル
酒井瑛里 - 女性アイドル(美少女クラブ31)




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



。。。んで、その恵子さんはデンマンさんのガールフレンドだったのでござ~♪~ますか?



いや。。。 まだ、そこまで発展していませんでした。。。 当時、恵子さんは宮城三女に通う高校三年生だったのですよう。 僕が上の説明の中で赤字にしたところを注目してください。


 



「頭の一女・顔の二女・身体の三女」


綱引きにおいては


近所の郡山餅屋の大福をめぐり


争奪戦が行われ戦死者がでることがある。


 


そうなのです。。。 恵子さんは女性としては実にたくましい女の子だったのですよう。 僕よりも背が高くて、体格だってよかったのですよう。 たぶん170センチ以上あったのではないか? 「身体の三女」とは、よく言ったものですよう。 恵子さんは女子プロレスラーになっても見劣りがしないように見えました。


。。。んで、その恵子さんがスカウトされて、あたくしも知っているような有名な女子プロレスラーになったのでござ~♪~ますか?


違いますよう。。。 そう、先を急がないでくださいよう。


。。。んで、デンマンさんは恵子さんと、どのように知り合ったのでござ~♪~ますか?


僕も恵子さんも仙南バスで通っていたのです。 夜型の僕も1年生、2年生の時には、結構、真面目に朝起きてバスで通学していたのです。


それで。。。?


バスには門前町経由と長町経由があったのです。 今から考えれば門前町経由と言うのは宮城三女の学生のためにあったようなものでしたね。


つまり、宮城三女の女学生がたくさん乗るのでござ~♪~ますか?


確かに、長町経由よりも門前町経由の方が女学生は多かったです。


それで、デンマンさんは、わざと門前町経由のバスに乗って女学生をヤ~らしく眺めながら通学したのでござ~♪~ますか?


うへへへへ。。。 それ程意識してはいませんでしたけれどねぇ~。。。


。。。で、どのようなきっかけで知り合ったのでござ~♪~ますか?


僕と恵子さんは時々、スーパーマーケットの前にある富沢のバス停でかち合う事があった。 実は、恵子さんを初めて見たのは、そのスーパーマーケットだった。 「ピンキーとキラーズ」で一頃、歌謡界を風靡した「恋の季節」を歌ったピンキーこと、今陽子さんに似ていたのですよ。



今陽子 (こん ようこ)



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1951年11月1日生まれ。
愛知県東海市出身の歌手、女優。
本名は、今津 陽子(いまづ ようこ)。
身長168.7cm。


幼少期より洋楽に造詣を深める。
1966年上京していずみたくに師事し、1967年、15歳でビクターレコードよりソロ歌手として「甘ったれたいの」でデビューしたが全く売れず。


1968年キングレコードに移籍後、ピンキーとキラーズのヴォーカリスト・ピンキーとして「恋の季節」「涙の季節」がブレーク。
歌謡賞を数多く受賞するとともに、主演として映画「恋の季節」(1969年、松竹)も製作された。


1972年ピンキーとキラーズからソロに転向。
近年は歌手活動のほかにも女優業に進出し、ドラマ、舞台などで活躍中。


1981年3月から1982年2月の間、ダンス、歌、英会話等の勉強の為、単身ニューヨークへ留学。
ブロードウェイのミンスコフ劇場で「SAYONARA」の主役オーディションを受け、合格するが、ミュージカルそのものが上演されず、出演には至らず。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



僕が高校生の頃に、「恋の季節」は大ヒットした。



その今陽子さんに、恵子さんはマジで似ていたのですか?


そうなのです。 今陽子さんも背が高い。 しかも、体格もいい。 買い物をしていた恵子さんはタイツスカートを穿いていたので、女子校生には見えなかった。 僕よりも年上の社会人に見えたのですよう。 しかも、腰の辺りがムッチリとした感じで、“ああぁ~~、いい尻してるなあぁ~”と、思わず見とれてしまったのです。



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この写真のシャロンさんのように、ぴっちりとしたタイトスカートに、いかにも形の良い魅力的な尻が僕の目を惹きつけた。



デンマンさんは、女性を見るときに、まずお尻を見るのでござ~♪~ますか?


やだなあああぁ~。。。僕は、女性の尻にこだわっている訳ではないですよう。 あのねぇ~、目の前を歩いている女性がタイツスカートを穿いていれば、見たくなくとも自然にタイツスカートにぴっちりと包まれている尻が目に入ってしまうものです。


見なければいいでしょう?


そう言う訳にはゆかないのですよう。 高校1年生の時にヌードをデッサンした僕にとって、女性の美しさは尻にも宿っていると、現実の世界でも、しみじみと実感したのですよう。



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“The first impression is


a lasting impression.”


 



英語では、このような事をよく言うのだけれど、人に会った最初の印象は、なかなか消えないものですうよう。実は、シャロンさんの素敵な尻を見るよりも恵子さんのムッチリとした尻を見た方が先だった。 だから、20年ほど経ってからバンクーバーでシャロンさんの魅力的な尻を目にしたとき、“あぁ~、仙台の恵子さんは、今頃どうしているだろうか?”。。。僕は、突然閃(ひらめ)いたように、そう思ったものですよう。 うしししし。。。



前置きは、もうその程度で結構ですわ。。。んで、その後、どうなったのでござ~♪~ますか?


僕は恵子さんが社会人で、もしかすると結婚しているのではないだろうか? そう思ったほどですよう。。。 そうしたら、ある朝、バス停でバスを待っていた時に、恵子さんがセーラー服を着て現れたのですよう。



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この写真が、その時デンマンさんが受けた恵子さんの印象ですか?



そうですよう。 僕は、もう、度肝を抜かれて、ビックリしましたよう。


どうせ上の写真はデンマンさんがコラージュして、でっち上げたのでしょうけれど、ちょっと高校3年生の女学生にしてはフケすぎていますわよう。


そうでしょう?! だから、その時の僕の驚きを察してください。 こんな感じに見えたのですよう。 結婚してるかもしれないと思ったほど、恵子さんが大人っぽく見えたのに、実は高校3年生だったのですよう。


。。。で、デンマンさんは、ずうずうしく声をかけたのですか?


まさかぁ~。。。 僕は20代の頃は女性に対して、とっても消極的だったのですよう。 まだ一度も言葉を交わした事もない女性に声をかけるなんて、僕にはとてもできない仕業(しわざ)でしたよう。


そのような事をマジで信じるわけにはゆきませんわ。。。んで、デンマンさんは恵子さんと、いつ言葉を交わしたのでござ~♪~ますか?


バスは混んでいました。 とても座れない。 たまたま彼女と隣り合わせになって僕は緊張していたのでしょうね。


たまたまではないでしょう?! デンマンさんのことだから、他の人を押しのけてまでも、恵子さんの隣に行ったのでしょう?


たぶん。。。 無意識のうちにそうしたのでしょうね。 うしししし。。。


。。。んで、どうしたのですか?


やはり緊張していたのですよう。 僕は教科書2、3冊とノートを数冊ほど小脇に抱えていたのですよう。 バスの揺れは時には激しい事がありますからね。 急な揺れに僕は、教科書とノートをバラバラと落としてしまったのですよう。 普通だったら女子高生は、そういう時に知らん振りしていると思うのですよう。 ところが恵子さんは違ったのですよう。


 


宮城三女 校訓


 


自立 聡明 敬愛


 


やっぱり宮城三女で3年近く勉強したから、校訓が身についていたのかもしれませんよう。 恵子さんは“敬愛の心”を忘れなかったのですよう。


校訓なんてぇ~。。。そんなものは。。。、そんなものは、最近の女子高生は屁とも思わないのでござ~♪~ますわよう。 んもおおおォ~~。。。


だから、20年前の女子高生は違っていたのですよう。


そのように一般化しないでくださいませ。。。 たぶん、他の皆様に無視されたので、恵子さんはデンマンさんが哀れに。。。可哀想になったのかもしれませんわァ。


とにかく、恵子さんは僕と一緒に拾ってくれたのですよう。


“どうもありがとう”。。。僕は、そう言うのが精一杯でしたよう。 とにかく、僕よりも背が高いのですからねぇ~。。。 どう見ても170センチ以上あるのですよう。 しかも、香水をつけているわけではないのだろうけれど、仄(ほの)かに甘い香りが僕の鼻腔をくすぐって、僕はもう、心臓がドキドキしてきたものですよう。


。。。んで、それだけですか?


違うのです。 僕はもう気が動転してしまっているのに、恵子さんは涼しい表情を浮かべて、パッチリとした眼を僕に向けて言ったものですよう。


“教育学部ですか?”


ん。。。? 教育学部。。。? なんでぇ。。。?


僕が不思議そうな表情を浮かべているのが彼女にもすぐに分かったのでしょうね。


“教育原論というタイトルが見えましたわ”


宮城三女 校訓にも書いてあるように、恵子さんは聡明なのですよう。


誰だって教科書のタイトルを見ればその程度の推測はできるものですわよう。


僕は数年後に仙台商業高校で教育実習することになるのだけれど、「教育原論」がきっかけになって、僕は恵子さんと話すようになったのです。


。。。んで、デンマンさんは工学部なのになぜ教育原論などを選択したのですか?


高校の先生になれる免許が取れるというので、それならば取っておこうと思ったのですよう。 人生の間口を広げるためですよう。 教員免許を持っていれば喰いっぱぐれが無いと思ったのですよう。 授業料は変わらないのだから免許を取れるものなら取っておいた方が得でしょう。 ウへへへへ。。。


。。。んで、今日のタイトルは映画ですから、恵子さんをデイトに誘ってポルノでも見に行ったのでござ~♪~ますか?


あのねぇ~。。。、いくらなんでも、初めっから日活ロマンポルノは無いでしょう!


冗談ですわよう。。。 んで、何を見に行ったのでござ~♪~ますか?


『ベンハー』ですよう。


 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-06-15 04:27 | 国内旅行・名所・旧跡


 


映画とロマン@仙台 (PART 2 OF 3)



ベンハー



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『ベン・ハー』(Ben-Hur: A Tale of the Christ、副題『キリストの物語』)とはアメリカのルー・ウォーレスが1880年に発表した小説である。


1880年11月12日、ルー・ウォーレスの発表した小説『ベン・ハー』はたちまちアメリカで大ベストセラーとなった。
小説はフィクションであるが、イエス・キリストをはじめ『新約聖書』ゆかりの人物たちを織り交ぜた構成だった。
小説『ベン・ハー』のこの発行部数記録が破られることになるのは1936年の『風と共に去りぬ』を待たねばならない。
この小説はすぐに舞台化され好評を博したため、何度も上演された。
やがて映画の時代が訪れると『ベン・ハー』の最初の映画化がおこなわれた。


戦車競走のシーンはあきらかにソポクレスの悲劇『エレクトラ』の劇中のオレステスの守り役による戦車競走と事故死の虚偽の報告から多くの着想を得ている。


 


あらすじ


ローマ帝国支配時代のユダヤ人貴族ユダ・ベン・ハーの数奇な半生にイエス・キリストの生涯を交差させて描く。


紀元26年、ローマ帝国支配時代のユダヤにローマから一人の司令官が派遣される。
彼の名前はメッサーラ。
メッサーラは任地のエルサレムで幼馴染のベン・ハーとの再会を喜び合う。
ベン・ハーは貴族の子でユダヤ人とローマ人ながら2人は強い友情で結ばれていた。


しかし、2人の立場はエルサレムでは支配者と被支配者。
そのことが2人の友情に亀裂を生むことになる。
その折も折、新総督が事故にあいそうになる事件が起きたことで、ベン・ハーはメッサーラに総督暗殺未遂の濡れ衣をきせられ、家族離散、自身は当時奴隷以下の扱いであった罪人におとされるという憂き目にあう。
護送中、苦しむ彼に一杯の水をくれた男がいた。
その男こそがイエス・キリストであるということをベン・ハーはまだ知らなかった。


罪人としてガレー船のこぎ手(番号で呼ばれ、船が沈没すれば捨てられる捨て駒である)とされたベン・ハーは海戦において司令官の命を救うという大殊勲をあげ、彼を見込んだ司令官の養子にまでとりたてられる。
戦車競走の新鋭としても注目されることになり、ユダヤへ戻って家族を探していたベン・ハーは母と妹が死んだという報に涙し、メッサーラへの復讐の鬼と化した。


やがてエルサレムでの戦車競走で不敗のメッサーラに挑むことになるベン・ハー。
激闘の末、ライバルのメッサーラを倒したベン・ハーは、瀕死のメッサーラから思いもかけない言葉を聞くことになる……。


 


1907年の映画


1907年につくられた最初の映画はわずか15分のサイレント映画であった。
短編ながら以降の『ベン・ハー』と同じく、戦車競走を中心にしていることで興味深い。
監督はカナダ人のシドニー・オルコットであった。
制作会社は映画化料をめぐって原作者のウォーレスの遺族から訴えられている。
このような事態は以後、小説の映画化において何度となく繰り返されることになる。


 


1925年の映画


2度目の映画化は1925年、ラモン・ノバッロがベン・ハーを演じたサイレント映画である。
これが大ヒットとなった。
サイレント映画ながら前代未聞の390万ドルという未曾有の制作費が投下された大スペクタクル映画であった。
群集の場面では実に12万人ものエキストラが動員されている。


戦車競走の場面のフィルムの長さは全長60kmにも及んだが、編集されて229mになった。
この戦車競走の場面こそが1959年版『ベン・ハー』の戦車競走シーンのモデルとなり、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』のポッドレースの場面の元ネタとなったのである。


メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)によって製作されたこの映画は1925年の大ヒットとなり、550万ドルというサイレント映画史上第3位の興行収入を稼ぎ出している。
あまりの人気に1930年代に入ると音声がついたバージョンも公開されている。


1959年の映画


詳細はベン・ハー (1959年の映画)を参照


1959年に公開された名匠ウィリアム・ワイラー監督の『ベン・ハー』は知名度や世界的な名作としての評価においてその揺るぎない地位を獲得した。
同年アカデミー賞にて11部門を獲得。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 



あたくしも DVD で観ましたわ。 感激いたしました。 デンマンさんは、この映画を恵子さんに見せて女心を射止めようとなさったのでござ~♪~ますか?



そこまで計算していた訳ではありませんよう。 とにかく有名な映画ですからねぇ。 これならば、恵子さんと一緒に見ても問題ないと思ったのですよう。


それで、恵子さんの反応は。。。?


でもねぇ、問題が生じたのですよう。


どのような。。。?


前の晩に僕に電話がかかってきたのですよう。


行けないと。。。? デイトのキャンセルでござ~♪~ますか?


違うのですよう。 「クラスメートを一人連れて行きたいのだけれどいいでしょうか?」。。。そう、言うのですよう。


つまり、映画を見終わった後でデンマンさんがヤ~らしい事をするかもしれないと思ってボディーガードですわね? ォほほほほ。。。


違いますよう。 んもおおおォ~~。。。 そんなんじゃないのですよう。 一緒に映画を見たいと言うのはクラスメートでも、親友だと言うのですよう。 映画を見に行く日に、その親友からも一番町のブティックに行こうと誘われ、断わる理由に僕とのデートのことを正直に話したと言うのですよう。 そしたら、一緒に見に行きたいと言ったらしいのです。


。。。んで、デンマンさんは承知したのでござ~♪~ますか?


仕方が無いでしょう。。。正直言うと、僕はイヤだと言いたかったのですよう。 せっかく、恵子さんとの初めてのデートですよう。 僕だって期待にワクワクしているのですよう。 映画を見終わった後で、いろいろと予定がありましたからねぇ~。。。


ラブホに行くとか。。。?うしししし。。。


卑弥子さん! 悪い冗談を言わないでくださいねぇ~。。。 相手は花も恥らう高校3年生ですよう。


最近の高校3年生は、ラブホなど平気でござ~♪~ますわよう。 中学生の頃からラブホに行くミーハーも居るほどでござ~♪~ますから。。。


あのねぇ~。。。20年前は、高校3年生は純情だったのですよう。。。 宮城三女の校訓を見てくださいよう。


 


宮城三女 校訓


 


自立 聡明 敬愛


 


そうゆう校訓は、最近のミーハーにとって、キモい以外の何モノでもないのでござ~♪~ますわァ。。。 屁のツッパリにもならないと考えているのでござ~♪~ますわ。ォほほほほ。。。


あのねぇ~。。。卑弥子さんは京都の女子大学で「日本文化と源氏物語」を講義している准教授ですよう。 女子大学でも宮城三女の校訓を教え込んでくださいよう。 これからの日本を背負う子供たちの母親になる人たちですよう。 屁のツッパリにもならないと、ラブホに行って遊んでいたら、日本の将来がありませんよう。


分かりましたわァ。 デンマンさんが日本の将来について、それ程までに心配なさるのであれば、あたくしもせめて屁のツッパリになる程度に女子大生に教えようと思いますわ。う しししし。。。んで、当日、恵子さんの親友は現れたのでござ~♪~ますか?


僕はねぇ、恵子さんの親友が風邪でもひいて寝込むか。。。 朝、腐りかけた卵でも食べて、下痢がひどすぎて出てこれないか。。。彼女が乗ったバスが途中で事故を起こして間に合わないとか。。。そういう事を願っていたのですよう。


でも、そうゆう時に限って、すべての事がうまく運んでデンマンさんと恵子さんは二人きりになれないものなのでござ~♪~ますわよねぇ~。


そうなのですよう。 彼女がやって来た時には、僕はうんざりしましたよう。


つまり、恵子さんと二人だけの大切なデートが、もう一人の女学生によって台無しになったのでござ~♪~ますわねぇ。


ところが、そうではなかったのですよう。


どう言う事ですか?


やって来た彼女を見て僕はちょっと信じられないような驚きで心臓がドキドキしてきたのですよう。


どうしてでござ~♪~ますか?


僕のアイドルのラムちゃんに良~く似ていたからですよう。



アグネス・ラム


Agnes Nalani Lum



(lum100.jpg)


 


愛称 ラムちゃん
生年月日 1956年5月21日
出身地 アメリカ合衆国・ハワイ州
民族 中国系アメリカ人
公称サイズ(1975年時点)
身長 / 体重 158 cm / 46 kg
BMI 18.4(低体重)
スリーサイズ 90 - 55 - 92 cm
アメリカ用表示
身長 / 体重 5′ 3″ / 101 lb
スリーサイズ 35 - 22 - 36 in


アグネス・ラムは、1970年代後半に日本で活躍したハワイ出身の中国系アメリカ人。
1975年に初代クラリオンガールに選ばれ、つぶらな瞳、日焼けした肌、豊かな胸(巨乳という言葉は未だなかった)、愛くるしいルックスなどで一世を風靡した。


アイドルといえば歌手活動がメインというのが常識だった時代に、グラビアを中心とした活動を行った。
元祖グラビアアイドルと呼ばれる存在である。


1976年にシングル『雨あがりのダウンタウン』をリリースし歌手デビューも果たす。
同年以降何回か、NHK紅白歌合戦に応援ゲストとして出場。
加山雄三主演の『帰ってきた若大将』(1981年)にもゲスト出演した。


80年代後半に、幼なじみと結婚し二人の息子をもうけた。
1996年にダイハツのパイザーの新型車CMキャラクターとして、子供と一緒にテレビCMに登場。


CMでは人気絶頂の時期とあまり変わらない体型を披露している。
日本テレビ「あの人は今」にも出演した。




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 



デンマンさんはボインな女の子が好みなのでござ~♪~ますわね?



(sayuri22.jpg)



そんな事はありませんよう。 小百合さんは均整の取れた魅力的な肢体を持っているけれど、決してボインではありませんよう。



。。。んで、ラムちゃんのどういうところがイイのでござ~♪~ますか?


健康的なセクシーさがあふれている。何よりもかわゆいでしょう。


。。。んで、恵子さんの親友という女性もラムちゃんのように健康的なセクシーさがあふれていて、かわゆいのでござ~♪~ますか?


そうなのです。 奈緒子さんと言うのだけれど、僕よりは背が低い。 でも、かわゆい感じでムッチリしている。


 


「頭の一女・顔の二女・身体の三女」


 


誰が言い始めたのか知らないけれど、宮城三女の女生徒は、確かに「身体の三女」で見事なプロポーションを持った女性が多いのでしょうね。 恵子さんといい、奈緒子さんといい。。。、“両手に花”とは、この事ではないだろうかと。。。僕は幸運を女神に感謝しましたよう。 うしししし。。。


デンマンさんがちょっと魅力的な女性を見て、馬鹿の一つ覚えのように“女神だ。。。女神だ。。。”とおっしゃるのは、この頃から始まったのでござ~♪~ますわねぇ~。。。


いけませんか?


。。。んで、二人の女性に挟まれながら『ベンハー』をルンルン気分で鑑賞したのでござ~♪~ますか?


ところが。。。、ところが、そのようにはならなかったのですよう。


一体何があったのでござ~♪~ますか? 


あのねぇ~、僕は心ひそかに恵子さんと奈緒子さんの間に座って見られたらいいなあああぁ~♪~。。。そう願っていたのですよう。


つまり、両手に花でござ~♪~ますわね?


うしししし。。。卑弥子さんにも分かりますかぁ~?


。。。んで、その通りになったのでござ~♪~ますか?


ところが、そうはならなかったのです。


多分、恵子さんは分かったのでござ~♪~ますわア。


何が分かったのですか?



(lum100.jpg)



デンマンさんのアイドルがラムちゃんですもの。。。 恵子さんにはデンマンさんが急激に奈緒子さんに接近しようとするのが見えたのですわァ。



あのねぇ~。。。 僕が10代の終わりから20代の前半にかけては、卑弥子さんも驚くほど女性に対して消極的だったのですよう。


そのような事は全く信じられませんわ。


やだなあああぁ~。。。卑弥子さんだって理解しているでしょう! 僕は箱根の強羅(ごうら)温泉に泊まった時だって卑弥子さんと同じ部屋に寝ながら指一本触れなかったのですからねぇ~。


■ 『箱根の強羅(ごうら)温泉で卑弥子さんが


青春の炎を燃え上がらせようとした話』


  【ルート66のフライと小百合さん】 (2007年11月28日)


嗚呼!。。。また、あの。。。、あのォ~、切な~♪~い夜のことを思い出させるのでござ~♪~ますか?


卑弥子さんが、僕の言う事を全く信じようとしないからですよう!


あたくしは、あの夜、不幸のどん底に投げ込まれたのでござ~♪~ますわ。


分かりました。もうそれ以上、感情的に。。。劇的に。。。過激にならないようにしてくださいね。そろそろ、この記事を締めくくらねばならないのだから。。。


分かりましたわ。それで、何が起こったのでござ~♪~ますか?


『ベンハー』は本当にハラハラ、ドキドキするような素晴しい映画だったのですよう。


ええ、ええ。。。あたくしも DVDで観ましたから良~♪~く分かっておりますわ。それで何が起こったのでござ~♪~ますか?


実は、僕にも恵子さんにも言わなかったのだけれど、奈緒子さんは1週間前に『ベンハー』を観たのですよう。


それで。。。?


僕と恵子さんがハラハラ、ドキドキしながら観ているのに、いい所になると奈緒子さんがベラベラと筋を話してしまうのですよう。


例えば。。。?



その折も折、新総督が事故に


あいそうになる事件が起きたことで、


ベン・ハーはメッサーラに総督暗殺未遂の


濡れ衣をきせられる。


この事故と言うのはベンハーの邸宅の前で起こるのですよう。 新総督の行列がベンハーの家の前を通るのだけれど、その行列を屋上に上がってユダ ベンハーとお母さんと妹の3人で見物するのです。 ところが妹の不注意で手摺(てすり)の瓦を落としてしまう。


それで。。。?


新総督は馬に乗っていたのだけれど、その馬の目の前に落ちる。馬は驚いて棒立ちになって新総督を振り落としてしまう。その衝撃で新総督は意識不明の重態になる。そう言う事を奈緒子さんは、ベラベラしゃべってしまうのですよう。



ねえ、ねえ、ねえ。。。あのテスリの瓦がおちるのよう。。。


ああああ。。。落ちたわァ~


。。。んで、新総督は意識不明になって。。。


それがもとで、ベンハーも、お母さんも妹も


牢屋に入れられてしまうのよう。 可哀想にィ~


デンマンさんが“黙れ!”と言えばいいじゃありませんかア!


言えませんよう。


どうしてでござ~♪~ますかァ?



(lum100.jpg)



奈緒子さんは、僕のアイドルのラムちゃんにそっくりなんですよう。



つまり、デンマンさんは奈緒子さんに嫌われないように黙っていたのですか?


僕だけじゃないですよう。。。 前列に座っていた20代の会社員風の男が、ムカついて振り向いたのですよう。 かなり頭に来たように奈緒子さんを睨(にら)んだ。 この男なら何か言いそうだなと僕も思った。 だから、僕の代わりに言ってくれ、と僕も祈るような気持ちで期待したのですよう。 うへへへへ。。。


。。。んで、ムカついたその男は奈緒子さんに“黙れ!”と怒鳴(どな)ったのでござ~♪~ますか?


ところが、ビックリして口をポケーと開けて、しばらく見とれてしまった。


マジで。。。?


僕も半分可笑しくなったり呆れたり。。。 でも、その男の気持ちが手に取るように分かりましたよう。


それで、その男は何も言わなかったのでござ~♪~ますか?


何も言えませんよう! んもおおおォ~♪~。。。 “一目惚れ”ってのがあるでしょう?。。。 その男も奈緒子さんがラムちゃんにそっくりなのに驚いたのですよう。。。つうかァ~、とんでもない美人を生まれて初めて目にしたように、コロッと表情が変わるほどに奈緒子さんに惹かれてしまったのですよう。


それで。。。?


暗闇に目が慣れているとは言え、映画館の中だから、はっきりと見えるわけじゃない。 5分ぐらいしたら、本物のラムちゃんかどうか? どうしても気になるらしくて、また振り向いているのですよう。


それで。。。?


奈緒子さんも映画の筋をベラベラしゃべりっぱなしだから、多少気になっていたんでしょうねぇ~。。。


奈緒子さんも、その男の人に文句を言われると思ったのでござ~♪~ますか?


そうですよう。 それで、半分照れるような。。。半分謝(あやま)るような。。。泣き笑いのような、崩れた笑いを浮かべたのですよう。


。。。んで?


かわゆい女の子が笑ったものだから、崩れた笑いにしろ、泣き笑いにしろ、“一目惚れ”した男の目には、心に染み込むような素晴しい笑顔に映ったらしいのですよう。 その男は、少しオツムが足りないところがあったようですよう。 奈緒子さんに好意をもたれたと勘違いしてニッコリ笑い返しているんですよう。


それで。。。?


馬鹿な男が居るものだと思って、僕は呆れましたよう。


。。。んで、それからも奈緒子さんは、いい所に差し掛かると筋をべれべらしゃべってしまったのでござ~♪~ますか?


そうですよう。 でも、そのうち誰もがシーンと静まるような場面に差し掛かった。


どの場面でござ~♪~ますか?


次のシーンですよう。



涙なくしては見られないシーン



(lonely15.jpg)


 


やがてエルサレムでの戦車競走で不敗のメッサーラに挑むことになるベン・ハー。


激闘の末、ライバルのメッサーラを倒したベン・ハーは、瀕死のメッサーラから思いもかけない言葉を聞くことになる……。


【ネタバレ注意!】


瀕死のメッサーラは、最後の力を振り絞ってベンハーに言うのだった。
オマエの母親と妹は死んだんじゃない。
犬が喰うようなエサを食べて長いこと地下牢で生きていた。
オマエが帰ってくるまでずうっとだ。


オマエが司令官の養子になって帰ってきたので
俺はビックリして部下にオマエの母親と妹がまだ生きているかどうか調べさせた。
どうなったと思う?
ライ病にかかっていたよう!
とても見られないほど顔が崩れていたと、部下が言ってたでぇ~。
まるでお化けだとよう。。。(苦痛の中の嘲笑)


オマエは俺に勝ったつもりだろうが、そうじゃない。
オマエは、これから俺以上に苦しむのさ。
俺はこれでおしまいだ。
でも、オマエの苦しみはこれから始まるのだ。


よく聞け!
オマエの母親と妹は町外れのライ病者の番外地で生きている。
廃人になって。。。お化けになって。。。
うふふふふ。。。


ベンハー!よく聞け!
これから苦しめ!
俺以上に苦しめ!


死ぬ前に、これだけオマエに言っておきたかった。
あばよ。
地獄で会おうぜ。。。


メッサーラから死ぬ前に会いたいと言う伝言を聞いたとき、
彼から謝罪の言葉を期待していたベンハーにとって、
彼の衝撃の言葉はベンハーを打ちのめした。


彼は苦悩した結果、ライ病に冒される危険を犯して
ライ病者の番外地へ行くことに決心した。
一目でもいいから母親と妹に会いたかった。


ある日、ベンハーはおぞましいライ病者の間を
母親と妹を探してさまよっていた。
その時、パンと果物を入れたカゴを持ってやって来るエスター(Esther)に偶然出くわすのだった。


 



(esther01.jpg)


 


もちろん、彼の母親と妹を世話するためだった。
エスターは死の病にかかる事を承知で、もう長いこと彼の母親と妹の面倒を見ていたのだった。


ベンハーは、母親と妹の元へ連れて行ってくれと頼む。
エスターはそれだけはできないと断わる。


“「もう死んだものと諦めてもらっていた方がいいのよ。このように変わり果てた姿を息子に見せる事は、さらに悲しみを与える事になるだけだわ」
お母様はそのように語って、あなたに会う事をかたくなに拒んだのよう。”


分かった。姿は見ないから、せめて声だけでも聞きたい。
そう言ってベンハーはさらにエスターに頼み込んだ。


「では、声だけね」
そういう条件でエスターは、しぶしぶ母親と妹の暮らす洞窟に連れて行くのだった。


「いつも悪いわねぇ。それで、息子は元気にしているの?。。。そう、良かったわ。一目でもいいから会いたいわ。でも、こんな姿になっては、とても会う勇気が湧かないわ。あの子がさらに苦しむのが見えるから。。。」



映画の中のベンハーは、この母親の言葉を聞いて、それ以上聞く事に耐えられず涙ながらに洞窟から抜け出すのですよう。そうしたら、奈緒子さんが感極まって泣き出すのですよう。んも~~。。。もちろん、ワンワン泣くわけじゃないけれど、前列のあの男が振り向くほどに声を出して泣くのですよう。



デンマンさんは。。。?


もちろん、僕だってビデオを一人だけで見ていれば声を出してまでは泣かないけれど、涙をあふれさせて観ていたでしょうね。 僕は、その時グッと涙をこらえていましたよう。 確かに感動的で、もらい泣きするような場面だったのですよう。


それで。。。?


あの男も涙ぐみながら奈緒子さんの様子を振り返ったままで、じっと見ているのですよう。


デンマンさんは。。。?


その二人の様子を見ていたら、呆れたというか可笑しいというか。。。 映画を見た感動が半減しましたよう。。。とにかく、奈緒子さんには半分呆れたり、半分感心させられたり。。。


どうして。。。?


どうしてってぇ。。。さんざしゃべり続けて、静かになったと思ったら、今度は泣き出すのですよう。 しかも馬鹿な会社員の男が振り向いて、涙を浮かべながら、まるで奈緒子さんを慰めるように見つめているのですよう。 僕はもう、半分呆れて、馬鹿馬鹿しくなってきましたよう。


それで、奈緒子さんのどういう所に感心したのでござ~♪~ますか?


同じ映画を2度目に観て、あれだけ感極まって泣けるのだから大したものだと思ってねぇ~。。。 人の痛みに共感するというか。。。 感受性が豊かな女の子だと思ったのですよう。


それで、恵子さんは。。。?


恵子さんも僕も半分白けていましたよう。 馬鹿な会社員が涙を浮かべて、ずうっと奈緒子さんを見つめている姿は、白けないで見ていられませんよう。


恵子さんもマジで白けていたのでござ~♪~ますか?


涙を浮かべて奈緒子さんを振り返ったまま見つめている馬鹿な会社員を見ながら、恵子さんは笑いをこらえていましたよう。


それで。。。?


だからねぇ、その時以来、僕は映画を見るのは一人で観ることに決めたのですよう。


でも、ブルックリンでは、マリアさんとアンナさんの3人で『エマニエル夫人』を観たとおっしゃいましたわよう。


それは例外です。 「例外の無い法則は無い」、と言うほどですからね。。。何事にも例外はあるものですよう。



(laugh16.gif)


 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-06-15 04:26 | 国内旅行・名所・旧跡


 


映画とロマン@仙台 (PART 3 OF 3)



【卑弥子の独り言】



(himiko22.gif) 


ですってぇ~。。。


あなたは、どう思いますか?


ブルックリンで、デンマンさんがマリアさんとアンナさんの3人で『エマニエル夫人』を観たというエピソードも馬鹿バカしくて面白いのでござ~ますわァ。。。


古い記事なので写真が全滅して出てこないのです。。。


そのうちデンマンさんが更新すると思いますわァ。。。


検索エンジンで「デンマン マリア アンナ エマニエル夫人」と入れて検索すれば、けっこう沢山の記事が出てきます。


でも、写真が全く表示されません。。。


文字を読むだけでも面白いですわ。。。


ところで、現代のお話も面白いですけれど、


たまには、むかし、むかしのお話も読んでくださいませぇ~。。。


あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。


ぜひ お読みくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。
 


天智天皇は暗殺された 


定慧出生の秘密 


藤原鎌足と長男・定慧 


渡来人とアイヌ人の連合王国


なぜ、蝦夷という名前なの?


平和を愛したアイヌ人


藤原鎌足と六韜


古事記より古い書物が


どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は


日本人でないの?


マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。



(hand.gif)


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)



(surfing9.gif)




(sayuri5.gif)


ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。


卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(miya08.jpg)


『下衆のかんぐり』


『桓武天皇のママがネットで』


『ござが天皇とGOOGLE』


『エロ 建礼門院』


『一敗が三人に!』


『行田の黒い霧をはらう』


『ペルシャ人が飛鳥に』


『小柴垣草子』


『後白河上皇ダントツ』


『ブスと美人』


『エロい話が好き?』


『死んでも生きてる』


『失意の太田将宏』



(annasalleh.jpg)


『オルフェと聖徳太子』


『源氏物語とおばさんパンツ』


『霊仙はなぜ毒殺されたの?』


『紫式部が地獄へ』


『破戒僧円載』


『アショーカ王の愛と苦悩』


『どら平太の世界』


『三四郎とデンマンさん』


『ヒトラーの姪』


『ゴヤと三島由紀夫』


『仏陀とキリストと娼婦』



(zurose2.jpg)


『ズロースと戦争』


『伊藤若冲ブーム?』


『ブッダと物理学』


『加藤清正ブーム?』


『愛憎と三輪山』


『松原智恵子 お尻ペンペン』


『坂本龍馬は流れ者か?』


『野ざらし』


『紫式部堕獄説』


『日本最古のポルノ?』


『源氏物語の性描写』


『寅さんの本棚と急行まつしま』


『ヒトラーは草食系?』


『ブッダとキリストと娼婦』


『顔文字とオナラ』



(hama10.jpg)


『宝暦の恨みを明治維新で』


『デウキと紅葉@行田』


『薄い陰毛と紅のボートピープル』


『江戸の閨房術』


『ずるがしこい現代人』


『春画@源氏物語』


『千早振る』


『あれっ、松本清張』


『キスと源信』


『伎楽は呉から…?』


『紺瑠璃杯に魅せられて』


『神聖娼婦 マリア』


『安徳帝は生きていた』


『白石川の桜』


『ブログ村のマリア様』


『萌える済子女王』


『ピンク桃色@徒然』


『富沢金山の桜』


『ピンク桃色村』


『紫式部@徒然』


『絵里香@ペルー』


『ペルシャ人の楊貴妃』


『ん?佐伯今毛人』


『文学と歴史とウソ』


『百人一首ミステリー』


『芭蕉と遊女再び』


軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)



(byebye.gif)


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by denman705 | 2017-06-15 04:24 | 国内旅行・名所・旧跡


 


車掌さんの松島音頭 (PART 1)


 



(mondo02.jpg)





(kato3.gif)


デンマンです。。。 お元気ですか?
僕が記事を投稿するのは たいていバンクーバー時間でお昼頃になります。


投稿する前日に 草稿を書き終えており、
バンクーバー図書館は午前10時が開館なので、
その頃、パソコンに向かうと 先ず前日に書いた草稿を読み始めるわけです。。。


誤字や脱字を直しながら、
一通り読み終えると、
プレヴューで記事を読みながらリンクが正しく表示されるかをチェックします。


推敲して、特に誤りがなければ、投稿します。


それから Denman Blog のアクセス解析を見ることになります。


例えば、日本時間で6月10日ならば、次のような画面が表示されます。



(wp70610a.png)


『拡大する』



この時 日本時間では6月10日の午前4時27分になっていますが、
バンクーバー時間は、夏時間では16時間遅れているので9日の午後12時27分です。。。


だいたい、この頃 記事を投稿し終わって、ソフトカメラで画面を撮ることになります。
上の画面を見て、僕は『車掌さんが歌った松島音頭』に目が留まったのです。


バスガイドでも観光ガイドでもないのに国鉄の車掌さんが車内のマイクを使って『松島音頭』を歌う。
50才ぐらいの男の声でした。
決して歌がうまい訳ではない。
でも歌い慣れているのを感じました。


しかし、NHKの喉自慢に出ても合格の鐘はならなかったでしょうね。
ただし、そのサービス精神の旺盛な事には驚かされました。


僕も旅行が好きですから、日本のあちらこちらを旅行しましたが、
国鉄の車掌さんが車内のマイクを使って歌うのを聞いたのは、それが初めてで最後でしたね。


ところで、『松島音頭』の歌詞を調べたら、なんと北原白秋が書いたのですよ。
作曲が山田耕筰です。
知りませんでしたね。


 



松島音頭 北原白秋



(5daidou.jpg)


 


松は松しま、


磯馴の松の


松のねかたに、桔梗が咲いた。


  見たよ、見ました、


      一もと桔梗。


  や、ほうれ、ほうい


   舟ばたたゝいて


  や、ほうれ、ほうい。




『d-score 楽譜 - 松島音頭』より



(matsu456.jpg)



急に、懐かしさが込み上げてきて、その当時の車内の情景、車外の情景がありありと思い浮かんできました。
車掌さんが歌い始めて、まもなくしてJR仙石線の松島海岸駅に着いたのでした。


電車から降りると、度肝(どぎも)を抜かれるような駅内放送がありました。
なんと、駅員さんがマイクで次のように放送したのです!


 


落ちる人が死んでから


乗ってけーさい


 


もちろん、僕の耳には、そのように聞こえたのですが
地元の人には次のように聞こえたはずです。。。


 


“落ツ(降り)る人が済(スィ)んでから


乗ってけーさい(ください)”


 


仙台地方の方言に慣れてない僕の耳には
「電車から落ちて死んだ人を見定めてから電車に乗ってください」


そんな風にかんぐってしまったのですよ。。。 (モナリザの爆笑)


 



(monalaugh.jpg)


 



(fukiage7.jpg)


 


どうですか?
あなたも温泉につかって
さっぱりして、身も心も癒されたいと思いませんか?
上の写真は滝つぼで泳いでいる訳ではないのですよ。


これ、温泉なんです。
自然のお湯が流れているのですよ。
驚きでしょう?
ちょっと温(ぬる)めですけれどね。。。


でも、立派な露天風呂です。
宮城県鬼首(おにこうべ)温泉郷、吹上温泉の旅館峯雲閣にある湯滝です。
男女混浴の露天風呂なんですよ。


仙台からそう遠くありません。
宮城県大崎市にあります。


鳴子温泉郷とも呼ばれます。
陸羽東線鳴子温泉駅よりバスで約30分で着きます。


この温泉については次の記事で書きました。


■ 『七夕の起こりって? (2007年7月7日)』


興味があったら読んでみてください。


でも、仙台と聞いてすぐに思い浮かぶのはやっぱり松島でしょうね。


“松島や ああ松島や 松島や”



(matsu2.jpg)


 


松島湾内外にある大小260余りの小さな島が奇妙な形を見せてあなたの目を楽しませてくれるのですよ。
日本三景の1つだから、あなただって名前だけは聞いたことがあるでしょう?
芭蕉もこの地を訪れたのですよ。


あまりにも素晴しい景色を前にして芭蕉は俳句が浮かんでこない。
それで、思い余ってその感激を上の句として書いたということを僕は中学校の国語の時間に聞いた覚えがあるのですよ。



(matsu-map2.gif)



(niou3.jpg)


     仁王島


 


でもね、上の俳句は芭蕉が作ったのではないらしいのですよ。
実は、僕もこの記事を書く前まで知らなかったのですよ。
でも、念のために調べたら次のように書いてあるじゃないですか!


 




(basho3.jpg)


 


松尾芭蕉が『奥の細道』で松島を訪れた際に、あまりに絶景なので句が浮かばず、
「松島やああ松島や松島や」と詠んだという逸話があるが、
この川柳は後世の狂歌師田原坊の作で、芭蕉の作ではないとされる。


ただし、その場で句が思い浮かばなかったのは事実らしく、
『奥の細道』には、同行した弟子の河合曾良の次の句が掲載されている。


「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」


また別の説では、句は詠んだが景色に釣り合うよいものができなかったともいわれる。


アインシュタインが訪れた際に同行者に次のように言ったと伝えられている。


「どんな名工の技も、この美しさを残すことはできない」




出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


実は、あの有名なアインシュタインが松島を訪れていたのですよ。


1922年(大正11年)12月3日のことでした。


アインシュタインは月見をするため松島を訪れたのです。



(einstein90.gif)



(sentrain01.jpg)



(godaido88.jpg)


東北本線で仙台駅から(初代)松島駅に到着し、


松島電車(路面電車)に乗り換えて


五大堂前電停に着いたのは午後4時を過ぎた頃で、


すでに十三夜の月が上っていたそうです。


それを見たアインシュタインは、


「おお月が…おお月が…」と言ったまま絶句したというのです。



(moon77.jpg)


その後、気持ちが落ち着いた時に言ったのです。


「どんな名工の技も、この美しさを残すことはできない」


それほど松島は素晴らしいということです。


あなたは、松島に出かけたことがありますか?


一生に一度は訪れてみるだけの価値がありますよ。


アインシュタインも芭蕉も、そのすばらしい景色に感動したのでした。


 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-06-13 02:54 | 国内旅行・名所・旧跡



 


車掌さんの松島音頭 (PART 2)



【ジューンの独り言】



(bare02b.gif)


ですってぇ~。。。


わたしも松島に行ったことがありますわ。


やはり、ちょっと他の国では見かけないようなすばらしい景色ですよねぇ~。。。



(matsu3kei2.jpg)



どうですか?


まだ松島に行ったことがない人は行きたくなったでしょう!?


時間を作ってぜひ行ってみてくださいね。


では、また。。。



(byebye.gif)


メチャ面白い、


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■ 『夜道のルート66』


■ 『上を向いて歌おう』


■ 『霧積温泉のロマン』


■ 『明けましておめでとうございます』



(bellyan15.gif)



(hand.gif)


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by denman705 | 2017-06-13 02:53 | 国内旅行・名所・旧跡

 


行田物語 ピラミッド (PART 1)


 



(oshijo09b.jpg)



(pyramid82.jpg)



(pyramid81.jpg)



(pyramid83.jpg)



(daibuts85.jpg)




(sayuri55.gif)


デンマンさん。。。行田市に まさかピラミッドができたのではないですよねぇ~!?



(kato3.gif)


もちろん行田にピラミッドなどありません。。。 観光名所にピラミッドを作る計画もないようです。


それなのにどういうわけでピラミッドを持ち出してきたのですか?


あのねぇ~ 小百合さんは忘れてしまったかもしれないけれど、かつて僕が迷子になった道を 小百合さんが三菱の軽トラを運転して僕が助手席に乗りながら通ったことがあったのです。 その時 小百合さんが次のように言ったのですよ。


「この辺で昔、ピラミッドのようなものを


見かけたことがあるのですわァ」


そのデンマンさんが迷子になった道と言うのはいったいどの道のことですかァ?


かつて記事を書いたので、ここに書き出します。 小百合さんも読んで思い出してください。





(daibutsu7.jpg)


Subj:今日の小百合物語は


題して『思い出を食べる』でした。


読んでみてね。


ヽ(´ー`)ノキャハハハ。。。


Date: 28/03/2008 10:32:22 PM
Pacific Daylight Saving Time
日本時間 3月29日午後2時32分
From: barclay1720@aol.com
To: fuji@adagio.ocn.ne.jp


『思い出を食べる@麻布』




突然 ゼリーフライが食べたくて、
行田に行ってきました。


「かどや」 で食べると決めてたのに
行ったら 休みで、
どうしよう と思っても
お店の紹介してあったパンフをわすれました。



(zenifry3.gif)



地元の人はうまい店を知っているものですよ。
僕のお袋も知っているはずですよ。
電話して尋ねてみたらよかったですね。


僕の弟もうまいフライ屋で買ってくる事がありますよ。



おろおろ しながら 大長寺の橋をわたり、
人に尋ねて商工会センターの建物を見つけて 
パンフをもらい かねつき堂
という店を 探すのですが
これがまた 見つからず子供達もあきれ顔。
ちょっと 見つけずらかった


行田の町は、もともとが城下町ですからね、
道が分かりにくいように作られているのですよ。
つまり、攻め込まれて来た時に敵が道に迷うようにできていた。


明治の頃から市内の道路は、ほとんどが昔のままですよ。
舗装されたけれど、道筋(みちすじ)は昔のままのところが多いのです。


行田のフライ屋もゼリーフライ屋も、ほとんどが市内にありますからね、
本町や新町(あらまち)通りから一歩入ると、僕でも、どこだか分からなくなってしまう事がありますよ。


どうして碁盤の目のようにしないのか不思議でなりません。
2006年、帰省した時にもネットカフェの『みるみる』をつかったのですよ。


たいてい自転車で産業道路を通って『みるみる』へゆくのですが、
いつも同じ道では退屈するので、JRの行田駅から市内に向かう広い道路を使ってみたのですよ。



(gyodast03.jpg)


初めてその道路を使った。
僕が子供の頃には無かった道です。


欧米の都市のように新しい道路を碁盤の目のように造ればいいのですよ。
ところが、そうなっていないのですよね。


4車線もある道路なのに、弓なりに曲がったりしている。
夜だった事もあって、すっかり道に迷ってしまいました。
道路が妙に曲がっているので、走っているうちに方向感覚が全くなくなってしまったのですよ。
30分も自転車をこげば帰れるのに2時間以上もかかって、やっと実家にたどり着いたのですよ。


アメリカでもカナダでも北か南か東か西か走っている方向はまず間違いなく分かる。
道路標識もちゃんとしているし、どのような道にもストリート名がある。
だから、道に迷っても、教えやすいし、言われても分かりやすい。
“何ブロック行って西に曲がれば、○○○ストリートに出られる”


ところが、行田はそうではないのですよね。新しい道路なのに、
全く計画性が無く造られていて、
“この道を○○店まで行って右に曲がって。。。”
こういう教え方をする。


しかし、夜だから、店は閉まっていて分からない。
意外に街灯が少ないのですよね。
ほぼ真っ暗です。


急に外国に来たような気分になってしまいましたよ。
うへへへへ。。。


生まれ育った町で迷子になろうとは夢にも思っていませんでした。
それほど、道路が無計画に作られている!




『思い出のフライ』
(2008年3月31日)



そうです。。。 そうです。。。 もう10年ほども前になるのですわねぇ~。。。 思い出しましたわァ。。。



僕は、その時 小百合さんに言ったものですよ。


「小百合さんがいつ行田にやって来たか


知らないけれど、この道は僕が子供の頃は


なかったのですよ。


JR行田駅ができたので


造られた道なのだから…


僕が迷子になったくらいだから


それは確かです。」


そうでしたわ。 デンマンさんは私の話を全て否定したのですわァ。 確かに私が見たのはずいぶん昔のことでしたわァ。 館林の女子校を卒業して初めて就いた仕事が広告代理店の営業で、出来上がったチラシを行田のお客様の所へ届けに行った途中で見たのですもの。。。


でも、小百合さんがピラミッドのようなモノと言ったので、僕にはすぐに思い当たるモノがあった。 清善寺の無縁塚ですよ。。。



新兵衛地蔵尊



(shinpei04.jpg)


昭和7年5月8日、清善寺無縁塚の上に、新兵衛地蔵尊が開眼供養された。
早いもので48周年を迎える。


大正13年5月に、大澤龍次郎翁が亡父13年忌供養に丈余の無縁塔を建立し、成田家、阿部家家臣の天文年間より天保年間300年の香煙絶えて久しき無縁の精霊を慰め供養し、次いで無縁の墓石を集め無縁塚としたのは昭和6年である。


今でこそ無縁塚を建立するのは珍しくないが---今の無縁塚は、無縁の墓が多く邪魔なので片付ける為に塚にしたというのが多い---初め立派な供養塔を建て8年間供養してから、これらを集め塚としたという仏心による無縁塚建立という例は、全国でも例をみない本当の無縁塚であろう。


そして無縁を慰める菩薩は地蔵尊しかない。
幸いに、父新兵衛が念持していた地蔵を拡大鋳造して安置して、相州大雄山最乗寺山主大石観法老師によって新兵衛地蔵尊と名付け開眼されたことは仏道にのっとり、無縁の精霊の供養に範とする処で、新兵衛地蔵尊の真意はここにあることを強調したい。



(shinpei03.jpg)


昭和7年頃の清善寺を想い出して貰いたい。
今の赤門は、大沢証券の前にあって、左側には大きな樹が昼なお暗く繁り今の城東会館の処は、田と沼で、朽ちた鐘楼が見え、今の道の上に愛染堂があり茶畑にかこまれていた。
夜は墓地に人魂が飛ぶといわれた程さびしいというよりこわい古刹だった。


名誉市民 大澤龍次郎翁は郷土発展の為に数え切れない程 たくさんな施策をしたが、その中で特記すべき一つに地味ではあるが、大事業であった、今の天満から内行田に抜ける道を拓いたことをあげることが出来よう。


昭和7年 新兵衛地蔵尊開眼、その東の延命苑の造園、新兵衛地蔵尊通りの開通の着手、そして西條八十詩 中山晋平作曲、勝太郎の吹込の『行田音頭』レコードと、東京より直通列車による地蔵講参拝団の来訪と、昭和初期の大不景気のさ中に、行田では華々しさを物語っている。
5月8日の新兵衛地蔵尊の祭日は、参拝後、水城公園に廻って行田音頭の記念碑でもみて、あなたの頭の中に40数年前のタイムカプセルを浮べて下さい。



(katsuta02.jpg)


   『行田音頭』



(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




239-241ページ 『行田史跡物語』
著者: 大澤俊吉
1979(昭和54)年12月20日 初版発行
発行所: 歴史図書社



そうです。。。 そうです。。。 デンマンさんがわざわざこの場所へ連れて行って見せてくれたのですわァ。。。 でも私は、これと同じようなピラミッドを確かにデンマンさんが迷子になった道で見たのですわァ。。。



ここ以外に小百合さんが言うピラミッドのようなモノは絶対にない!と云う事を示すために僕は小百合さんを連れて行ったのですよ。


でも。。。、でも。。。、私は見たのですわァ。。。


だってぇ~、僕が迷子になった道は 小百合さんが通ったという時にはなかったのだから。。。 そう言っても小百合さんは同じことを繰り返して言うのですよねぇ~... 清善寺とは違う所でピラミッド型の無縁冢を確かに見たと。。。


だってぇ私は確かに見たのですわァ。 夢ではありませんでしたァ。


それで、去年の秋でした。 僕が行田に帰省した時に、小百合さんが行田の古代米カレーが食べたいということで行田駅のすぐ近くのCafe Cozyへ行ったのですよ。



(cafecozy01.jpg)



(cafecozy02.jpg)


『古代米カレー』



Cafe Cozy はシャレた店だったですわねぇ~。。。



残念ながら古代米がきれていたので白いご飯だったけれど一応満足しました。。。 その帰りに市内に向かう途中で小百合さんが道端にある藁屋根の古い民家に気付いて、ちょっと見てみようということになって車から降りたのですよ。



(boroya02.jpg)



見かけよりもかなりボロだった。



そしたら、私は見覚えのある風景に出くわしたのですわァ。。。この辺に来たことがあることをはっきりと思い出したのです。。。 それで思い出を手繰り寄せながら歩いて行ったら お寺があって見覚えのあるピラミッド型の無縁塚が現れたのですわァ。。。



(josho02.jpg)



(gyodamap90.png)


『拡大する』



僕も、この時ばかりはエジプトのピラミッドが現れたのではないか!?。。。と思ったくらいに唖然としましたよ!



デンマンさんが、そんな道はない!。。。と自信を持っ言ったので私は思い違いだと考えたほどでした。。。 でも、心のどこかに確かに見たという思いがあったのですわ。。。


考えてみたら僕は無縁塚があるこのお寺を初めて見たのですよ。。。 そもそも、子供の頃、この辺に来たことがなかった。



成正寺



(josho01.jpg)


 


成正寺(じょうじょうじ)は、埼玉県行田市にある


浄土真宗本願寺派の寺院である。


文政6年(1823年)、桑名(三重県)から


忍(現在の行田市)に移封した


松平忠堯の家老、加藤大炊が、


浄土真宗本願寺派の寺院が無いことに気づき、


築地本願寺(本願寺の別院)の出張道場として


開基に賢随を迎え建立したという。


 



(josho02.jpg)




出典: 「成正寺 (行田市)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



つまり、もともと細い道路があったのですわよ。。。 JR行田駅ができたので道路を広げて駅まで延ばしたのですわ。



僕も、こうして改めて成正寺の無縁塚を見ると、僕が子供の頃にも細い道路があったのだと納得することができました。


要するに、この事を言うために“行田物語 ピラミッド”というタイトルを付けて私を呼び出したのですか?


いや、そればかりじゃありません。。。 ちょっと次の小文を読んで見てください。。。



13歳の少女と「武士」の出会い



(kiyomasa.gif)


旅の始まりで『更級日記』にふれます。
父の任地である東国で生まれた13歳の少女が、任期が満ちて京に帰る父に連れられて草深い武蔵野国を通ったのは寛仁四(1020)年のことでした。
たまたま望見した名も知らぬ人物について書き記します。


「馬に騎りて弓持(もち)たる」人物についてです。
広々とした空の下、馬に乗った武人はやがて草むらに消えて行きます。
点景のように草原に現れたこの人物のことを彼女が書きとどめたのは、よほどそのときの光景があざやかだったからに違いありません。
さりげなく書かれたこの一節が司馬さんの記憶に止まります。
そしてその時代から一挙に時間を360年ほど溯(さかのぼ)ります。


それより360年前の西暦663年。
朝鮮半島。
百済(くだら)が滅亡の危機に瀕(ひん)していました。
百済の救援に向かった約二万七千の日本軍は白村江(はくすきのえ)の海戦で大敗北。敗戦の混乱の中で多くの百済遺民を伴って帰国します。
百済人は長年、ツングース系の高句麗騎兵と戦っており、騎射に長じていました。
司馬さんの想像力は、少女が見た「馬に騎りて弓持たる」人物が、土着人と混血した360年後の百済人の子孫ではないかと見るのです。当時、武蔵野には二千余人の百済人が移住し、土着しました。
そして、中国的な国家の「かたち」である律令制を倒し、1192年に鎌倉幕府という日本的な政権を作った新興勢力である坂東(ばんどう)武士団とは、この人たちの後裔(こうえい)ではないかと考えるのです。



「この集団が、日本史上、われわれが誇る、最も典型的な日本人集団とされる坂東武者に変わってゆくことを思うと、東アジアの人間の交流や、文化の発生にかぎりないおもしろさを覚える。」(『街道をゆく』1)


日本人の原型体質とは、坂東武士団の中から結晶のように煮詰って現われ出た生き方であり、その広がりはアジア的スケールを持っていたかもしれないのです。
かれら坂東武士団のモラルこそ、「名こそ惜しけれ」でした。「坂東」とは箱根の東ということです。




(84-87ページ) 『司馬遼太郎の「武士道」』
著者・石原靖久 発行・平凡社
2004年8月25日 初版第一刷発行




『セレブと碓氷峠』より
 (2008年9月7日)


 




司馬さんが『街道をゆく 1』の中で言っているように、僕も「東アジアの人間の交流や、文化の発生にかぎりないおもしろさを覚える」のですよう。



でも、小百合さんがどのように関わってくるのでござ~♪~ますか?


実は、小百合さんの祖先も僕の祖先と一緒に百済からやって来たのですよう。ちょっと読んでみてください。



デンマンの祖先は百済からやって来た



(oshi1.jpg)


 



僕の家は徳川時代には忍城下で“木のくりもの屋”をしていた。僕の祖父の代までこれが続いて、大正時代に作品の品評会があって、これに出品して埼玉県知事からもらった2等賞の賞状が家宝のようにして2階の床の間に飾ってありましたよう。つまり、僕の祖父は腕のいい木工職人だったのですよう。家にも祖父が作ったと言う置物がたくさんありました。僕のオヤジが行田市の博物館にすべて寄付したようです。



それで徳川以前はどうだったのでござ~♪~ますか?


後北条氏に仕えていた騎馬武者だった。つまり、『更級日記』の作者が見たと言う騎馬武者の末裔(まつえい)だったのですよう。


つうことわあぁ~。。。デンマンさんの遠い祖先は百済から逃げてきた難民だったのでござ~♪~ますわね?


難民と言うと響きは悪いけれど、唐と新羅の連合軍と戦った騎馬隊の一員だった訳ですよう。


それで、戦いに負けて百済の国が滅びてしまったので仕方なしに日本へ逃れて来たと言うことでござ~♪~ますか?


そう言う事ですよう。


。。。んで、デンマンさんのご実家には家系図が残っているのですか?


そんなモノは残っていませんよう。


。。。んで。。。、んで。。。、どうして上のような事を、さも史実のように言うことができるのでござ~♪~ますか?


僕の体の中にある DNA に僕の祖先から伝わっている遺伝子が刻み込まれているからですよう。


その。。。その遺伝子って。。。いったい、どういうモノでござ~♪~ますか?


“海外飛躍遺伝子”ですよう。うしししし。。。


つまり、デンマンさんの遠い祖先は戦い敗れて百済から“海外”である日本へ渡ってきた。それから、京都に下って行ったけれど、生活の糧を得るためには畑仕事でもして食料を得なければならない。でも、近畿地方には土地がないので開拓団に入って関東まで落ちていったのでござ~♪~ますか?


そうですよう。


でも、結局、後北条氏に仕えたけれど、秀吉の小田原征伐で後北条氏が滅びると、騎馬武者から“くりもの屋”になって忍城下でお店を開いたのでござ~♪~ますか?


その通りですよう。


。。。んで、その“くりもの屋”が大正時代まで続いて、デンマンさんの代になると、1400年近く眠っていた“海外飛躍遺伝子”が眠りから覚めて、デンマンさんは34カ国を放浪した末に、カナダに安住の地を求めて定住した、と言う訳でござ~♪~ますか?


全く、その通りですよう。。。うしししし。。。どうですか?。。。これが、僕のつむぎだした壮大な叙事詩ですよう。




『セレブと碓氷峠 (2008年9月7日)』より



。。。んで、小百合さんの祖先も百済からやって来て武蔵国に定住したのでござ~♪~ますか?



そうですよう。 おそらく、百済から当時の平城京(現在の奈良市)に行ったけれど、土地があまりなさそうなので開拓団に加わって一緒に武蔵国まで行ったのですよう。


どうして、そのような事が分かるのでござ~♪~ますか?


小百合さんの実家は館林にあるのですよう。 僕の実家から車で20分から30分ですよう。 目と鼻の先ですよう。


そのような近くに住んでいたのにデンマンさんは日本で小百合さんにお会いした事は無かったのでござ~♪~ますか?


不思議な事に小百合さんと僕が初めて出会ったのはカナダのバーナビー市で小百合さんが13年間借りていた“山の家”だったのですよう。



(burnamap2.gif)


バーナビー市というのはバンクーバー市の東隣にある町です。上の地図の赤い正方形で示した部分を拡大すると次のようになります。



(burnamap3.gif)


この地図の Deer Lake (鹿の湖)の畔(ほとり)に小百合さんが借りていた“山の家”があるのですよう。



(deerlak3.jpg)



(house22.jpg)



(house23.jpg)



この家でデンマンさんは10数年前に小百合さんと初めてお会いになったのでござ~♪~ますか?



そうですよう。 次のように小百合さんの“山の家”の応接間で会ったのですよう。



(room007.jpg)



これって、またデンマンさんがコラージュしてでっち上げたのでござ~♪~ますわね?



確かに、上の写真は僕がでっち上げたのだけれど、現実でもねぇ、僕は、こうやって小百合さんと会ったのですよう。


でも、どうして小百合さんの祖先とデンマンさんの祖先が一緒に百済からやって来たと分かるのですか?


小百合さんの DNA にも“海外飛躍遺伝子”が焼きついているのですよう。僕と同じようにして、その DNAの飛躍遺伝子が1400年の眠りから覚めて、小百合さんは佐野からカナダのバーナビーに渡ったわけですよう。 そして僕と“山の家”で出会ったのですよう。


ただ、それだけの事でござ~♪~ますでしょう?


ただ、それだけじゃないですよう。ちょっとジューンさんの言ったことを思い出してくださいよう。




(chiwawa5.gif)


こんにちは。ジューンです。


袖触れ合うも他生の縁


(そでふれあうもたしょうのえん)


聞いたことがあるでしょう?


なかなか味わいのある諺ですよね。


袖が触れ合うようなちょっとしたことも、


前世からの深い因縁によって


起こるものである、と言う事です。


わたしは、初め、“袖触れ合うも多少の縁”


だと思ったのですわ。うふふふふ。。。


つまり、袖が触れ合ったのは、


全く偶然ではなくて、少しは


そうなる運命にあったのよう。。。


私は、そのように思い込んでいたのです。


でも、「多少」じゃなく「他生」だと。。。


「他生」というのは「前世」の事だと、


デンマンさんに教わったのですわ。


調べてみたら、「他生」とは


「前世」と「来世」の事を言うのですって。


上の諺では、文脈から「前世」となる訳ですよね。


この世の事は「今生(こんじょう)」と言うのです。


そう言えば「今生の別れ」と言う語句を


何度か耳にしたことがありました。


仏教の輪廻(りんね)と関係のある諺なのでしょうね。


わたしは英語ではこの諺は無いと思っていたのですけれど、


調べてみたら、次のようなものがありましたわ。


A chance acquaintance is a divine ordinance.


Even a chance meeting is


due to the karma in previous life.


つまり、「偶然の出会いは神の定め」と言う事なのです。


多分、日本の諺を英訳したのでしょうね。


カナダでは耳にしたことがありませんわ。



(miroku3.jpg)


ところで、英語の面白いお話を集めました。


時間があったら、ぜひ覗いてくださいね。


■ 『あなたのための 楽しい英語』


とにかく、今日も一日楽しく愉快に


ネットサーフィンしましょうね。


じゃあね。



(june96.gif)




『出会い系の悪魔』より
 (2008年9月10日)



僕と小百合さんの出会いは、偶然の出会いのように見えて偶然ではないのですよう。 つまり、小百合さんと僕に共通するモノが実にたくさんあるのですよう。



“海外飛躍遺伝子”でござ~♪~ますか?


それも一つですよう。 まず、車で30分も走れば会える距離に住んでいたのに、僕と小百合さんが初めて出会ったのは、何千キロも離れたバーナビーだった。 僕の祖先と小百合さんの祖先が1400年程前に百済から日本に一緒に渡ってきた事が分かるような気がしますよう。 小百合さんの祖先の娘は、やがて武蔵国から現在の栃木県の栗山村へ嫁にゆき、上の昔話を伝える事になったのですよう。 どうですか?


確かに、そのような可能性があったかもしれませんわ。 だってぇ~、デンマンさんの祖先の中には、きっとお話に出てくるような「ばか息子」が居たでしょうからねぇ~。。。 うしししし。。。


一人ぐらい変わり者が居たかもしれませんよう。。。 とにかく、このように見てゆくと、すべての話がここで丸く収まるのですよう。 卑弥子さんも、そう思いませんか?




『愛とロマンと昔話』より
(2008年9月11日)



車で30分も走れば会える距離に住んでいたのに、僕と小百合さんが初めて出会ったのは、何千キロも離れたバーナビーだったのですよ。。。 でもねぇ~考えてみたら小百合さんと行田は、僕とバーナビーで会う前から どこかでつながっていたのですよ。



要するに、デンマンさんと私は昔から見えない赤い糸で結ばれていたと言いたいのですわねぇ~。。。


いや。。。 僕は言ってませんよ。。。 小百合さんは、そう思うのですかァ?


デンマンさんがそう言うように仕向けているのですわァ~。。。


小百合さんが先に言ってくれたので僕は助かりましたよ。 (微笑)


デンマンさん。。。、こういう個人的なお話は読んでいるネット市民の皆様を白けしらけさせるのですわァ。。。 ホー厶・ムービを見せられたような気分になってウンザリするのです。。。 恐らく、もう他のブログへ飛んでいますわァ~。。。


そうでしょうかァ?


当たり前ですわァ。。。 んもおおおォ~。。。



(laugh16.gif)


 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-05-19 03:14 | 国内旅行・名所・旧跡

 


行田物語 ピラミッド (PART 2)



【卑弥子の独り言】



(himiko22.gif)


そうですわよねぇ~~


あなたも半ば白けたでしょう?


では、ここであなたの気分を爽快にするために次の曲を聴いてくださいまし。。。



(whitecliff.jpg)



いかがでしたかァ~。。。?


ところで、小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれているのですわァ。


なぜ。。。?


ご存知でござ~♪~ますか?


実は簡単な事なのですわよう。


小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。


小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。


分からない事ではござ~ませんわ。


そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。


現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。



(suikyu9.jpg)


それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。


そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。


軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。



(hand.gif)



(surfin2.gif)


ィ~ハァ~♪~!


メチャ面白い、


ためになる関連記事




(linger65.gif)


■ 『きれいになったと感じさせる


下着・ランジェリーを見つけませんか?』


■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』


■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』



(house22.jpg)


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別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』


軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)


■ 『蕎麦屋と軽井沢タリアセン夫人』


■ 『おしまいでございます』


■ 『軽井沢タリアセン夫人 愛の写真』


■ 『菊ちゃんと阿部忠秋』


■ 『菊ちゃん、知恵伊豆、忠秋』


■ 『丸墓山は誰の墓?』


■ 『外国人SEXデンマン再訪』


■ 『日本最高?』


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■ 『バレンタイン@行田』


■ 『軽井沢タリアセン夫人@遠藤家』


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■ 『愛のジェローを探して』


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■ 『愛の馬車道』


■ 『亀姫と香芽子さん』


■ 『愛の夕顔を探して』


■ 『ケネディ暗殺の謎』



(bare02b.gif)


こんにちは。ジューンです。


「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは


何だったのでしょうか?


通説によると、1963年の春、


アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、


異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった


日本の曲をオンエアーしたところ、


リスナーからリクエストが殺到したために


人気に火がついたと言われています。


果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?


アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして


最初に発売したレコード会社はキャピトルです。


同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが


ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。


ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。


では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして


発売したのでしょうか?


その発売を決定した人の名前が


デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。



(qchan90.gif)


デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。


「A&Rマン」と言われていた人で、


売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、


制作を担当する仕事をしていた人です。


ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて


「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、


さっそく自分でも聞いてみたそうです。



(qchan03.jpg)


九ちゃんが日本語で歌っているので


詞の内容は理解できなかったけれど、


これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。


つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、


九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に


ヒットすると思ったのだそうです。


ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて


次のサイトを立ち上げました。


時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。


『夢とロマンを持って前向きに生きる


小百合さんの物語』


では、今日も一日楽しく愉快に


ネットサーフィンしましょうね。


じゃあね。



(ebay5.jpg)



(byebye.gif)


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by denman705 | 2017-05-19 03:13 | 国内旅行・名所・旧跡

亀姫と香芽子さん(PART 1)



 


亀姫と香芽子さん(PART 1)


 



(ran103g.jpg)



(kame90.jpg)



(kane001.jpg)




(sayuri55.gif)


デンマンさん。。。 香芽子さんというのはデンマンさんが行田市の「古代蓮公園」でナンパした女性ですか?



(kato3.gif)


どうして僕が「古代蓮公園」で香芽子さんをナンパしたと小百合さんは思うのですか?


だってぇ~、「古代蓮公園」のハスが写っていますわァ~。。。



(lotus101.jpg)



(ran103g.jpg)



確かに「古代蓮公園」のハスが香芽子さんの背景に写っているように見えるけれど、同じように見えるハスなど 日本全国の各地にありますよう。。。 でもねぇ~、何もハスを見ながらナンパするほど僕は野暮じゃありません。。。



じゃあ、どこで香芽子さんをすけこましてきたのですか?


あれっ。。。、小百合さんは、意外に言い難い事をサラリと言ってのけるのですねぇ~。。。 僕はナンパもスケコマシもやらない人なのですよ。。。


じゃあ、いったい どういうわけで「亀姫」と香芽子さんを並べたのですか?


次のリストを見たからですよ。。。


ライブドアの『徒然ブログ』の日本時間で4月19日の午後8時22分から午後11時5分までの約2時間半の「生ログ」の1部
(liv70421a3.png)



『拡大する』


『かねつき堂と亀姫』



これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で4月19日の午後8時22分から午後11時5分までの約2時間半の「生ログ」の1部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所に注目してください。。。



4月19日の午後9時11分にGOOGLEで検索して『かねつき堂と亀姫』を読んだネット市民が居たのですわねぇ~。。。


そうです。。。 実は、この記事を読んだのが大阪市に住んでいる金田 香芽子(かねだ かめこ)さんなのですよ。。。


つまり、IPアドレスを調べて香芽子さんを特定したのですか?


そうです。。。


大阪市に住んでいる金田 香芽子(かねだ かめこ)さんのIPアドレス:118.11.217.148
(ip217148b.png)


『拡大する』



でも、IPアドレスを調べてもプライバシーを守るために アクセスしたネット市民までは特定できないのですわァ~。。。



小百合さんも結構ネットに詳しいのですねぇ~。。。


その程度のことは常識ですわァ~。。。


あのねぇ~、実は、僕も香芽子さんのプライバシーを守るために仮名を使っているのですよ。。。 だから、小百合さんも そのように目くじらを立ててすごまないでくださいねぇ~。。。


分かりましたわァ~。。。 で、香芽子さんはどのようなキーワードを入れて検索したのですか?


次のようにして検索したのですよ。。。


日本のGOOGLEで「かねつき堂 亀姫」と入れて検索した結果
(gog70428b.png)



『拡大する』


『かねつき堂と亀姫』


『現時点での検索結果』



でも。。。、でも。。。、私は大阪市に住んでいる金田 香芽子(かねだ かめこ)さんが「かねつき堂 亀姫」と入れて検索したとは信じられませんわァ。。。



どうしてですか?


だってぇ~、上の検索結果のリストの緑の枠で囲んだリンクをクリックすれば行田市の「かねつき堂」が出てくるのですわァ。。。


行田市の「かねつき堂」ゼリーフライの店
(kane01.png)



『拡大する』


『実際のページ』



大阪市に住んでいる金田 香芽子(かねだ かめこ)さんが行田の「かねつき堂」を入れて検索するはずがないではありませんかァ!



あのねぇ~、大阪市にも「かねつき堂」があるのですよ。。。 ちょっと次の検索結果を見てください。。。


日本のGOOGLEで「かねつき堂 大阪市」と入れて検索した結果
(gog70429b.png)



『拡大する』


『現時点での検索結果』



赤枠で囲んだ箇所を見てください。。。 大阪の四天王寺に“鐘つき堂”があるのです。。。


大阪の四天王寺の 黄鐘楼 鐘つき堂
(kane05.png)



『拡大する』


『実際のページ』



でも。。。、でも。。。大阪の四天王寺の“鐘つき堂”と亀姫が関係あるのですか?



あのねぇ~、大阪の四天王寺と言えば聖徳太子が建てたお寺として地元の人は知らない人は居ないのですよ。。。 だから、当然 金田 香芽子(かねだ かめこ)さんも知っているのです。。。


だから、その聖徳太子が建てたお寺と亀姫が関係あるのですか?


亀姫に興味を抱いていた金田 香芽子(かねだ かめこ)さんも そのような疑問を持ったのですよ。。。


それで四天王寺と亀姫の間に何か関係があるのだろうか?。。。 そう思って「かねつき堂 亀姫」と入れて金田 香芽子(かねだ かめこ)さんはGOOGLEで検索したのですか?


その通りですよ。。。


。。。で、答えが見つかったのですか?


見つかったのです。。。 行田の「かねつき堂」というのは名前ばかりで 実際には鐘はない。。。 ただ、鐘を吊っていた古い鐘楼だけがあるだけで、それを看板代わりにして 行田名物の“ゼリーフライ”を売っているということが解ったのです。



(kane001.jpg)



(kane002.jpg)



香芽子さんは、それだけで満足したのですか?



もちろん、それは“おつり”のようなものですよ。。。 あとで機会があったら、ぜひ行田市の亀姫ゆかりの東照宮を訪ねて ついでに近くの「かねつき堂」に寄って“ゼリーフライ”を食べてみたいと思ったのです。。。 ただ、亀姫に興味を持っていた香芽子さんは次の記事を読んで なるほどと思ったのですよ。。。



行田市の東照宮



(toshogu2.jpg)


例祭は 4月17日。


祭神は家康公、松平忠明、それから八幡大神が祀られており、大坂夏の陣後の復興に尽力した家康公の長女・亀姫の 4男である松平忠明が、元和3年(1617) 4月、大坂城外の川崎に創建したのがはじまりという。


この川崎東照宮(廃絶)は、2代将軍秀忠により、姉である亀姫に伝えられた家康公の木像を御神体とした。



(ieyasu90.jpg)


又、亀姫は父・家康公の肖像画も頂いており、のちに忠明に伝えられている。


忠明は大和国郡山へと移ると、寛永2年(1625)には大和郡山城内にも社殿を造営して、家康公の肖像を安置したといわれ、以来、藩主・藩士崇敬の社となった。


その後、移封の都度に東照宮は遷座された。


文政6年(1823)、忠明の子孫・松平忠尭(ただたか)は伊勢桑名から忍へと移封するにあたり、忍城内の下荒井の地へ東照宮を勧請した。


社領は、大和郡山当時より100石を受け継ぎ、明治維新まで続くことになるが、その地は埼玉古墳群(さきたまこふんぐん・行田市埼玉)の辺りであったと伝えられている。


又、慶応4年(1868)、鳥羽伏見の戦いの引揚げに際して、時の藩主・松平忠誠は大坂蔵屋敷内の川崎東照宮の御神体であった家康公の木像を、忍東照宮に遷座したと伝えられている。


その後、明治 4年(1871)に藩主が東京に移住したため、忍東照宮は祭祀断絶の危機を迎えるが、旧藩士らにより、同 7年(1874)に下荒井の地より、忍城本丸の一部である諏訪郭内の諏訪神社境内に忍東照宮の本殿を移し、同33年(1900)には藩祖である松平忠明を配祀、現在に至っている。


尚、現在の拝殿は昭和5年(1930)に造営されたもので、又、亀姫から松平忠明に伝わった、家康公の肖像画(徳川家康画像・県文化)は、現在も忍東照宮にある。



(ieyasu91.jpg)




出典: 『忍東照宮』


(写真はデンマンライブラリーより)



亀姫の 4男である松平忠明が、元和3年(1617) 4月、大坂城外の川崎に創建したのが東照宮のはじまりということが解った。。。 つまり、ここに大阪と亀姫のつながりを見つけたのですよ。



要するに、香芽子さんは亀姫と大阪とのつながりをネットで見つけようとしていたのですか?


もちろん、それは単なる興味以外の何ものでもなかった。。。 ひょっとして亀姫と大阪に何か関係あるのかなァ~?。。。 そう思っただけですよ。


ただ、それだけのことですか?


いや。。。それだけじゃありません。。。 さらに記事を読んでいったら小百合さんと僕との次の対話に出くわしたのです。。。




どうして亀姫が家康の肖像を持っていたのですか?



亀姫は家康の長女でもあり、やはり何かと気遣っていたらしい。 嫁いでから久しぶりに会った亀姫に、家康が「何か望む物があったら、何なりと申せ」と言ったらしい。


それで、亀姫は何と答えたのですか?


健気(けなげ)にも、亀姫は「父上とは しばしばお会いすることができないので、どうか肖像画をくださいませ。 そうすれば、父上といつも一緒に居られるような気がいたします」と言ったらしい。


亀姫のその気持ち、何となく分かりますわ。 私は一人っ子で、父には大変可愛がられたので、結婚してからも、父と撮った写真は大切にしていますから。。。


ほおォ~。。。 そうだったのですか? 僕は亀姫の話を聞いた時に、なんだかゴマをすってぇ、あとでもっと高価なものをねだるのではないか?! 僕は、そう思ったのですけどねぇ~。。。


それで、家康は娘の求めに応じて御用画家に自分の肖像画を描かせたのですか?


そうなのです。。。それが行田の東照宮に伝わる肖像画ですよ。 家康には“狸オヤジ”というような悪賢いイメージがあってぇ、現在に伝えられている家康の肖像画は、まさに“狸オヤジ”を想わせるような肖像画が多いのですよ。



(ieyasux.jpg)



上の家康の肖像も“狸オヤジ”というイメージです。 でも実物は、亀姫に持たせた肖像画のように、それほど悪いイメージではなかったらしい。 家康が生前に描かせた肖像画というのは、行田市の東照宮に伝わっている肖像画だけだということですよ。



つまり、行田の東照宮に伝わっている肖像画が家康にもっとも似ているということですか?



(ieyasu91.jpg)



そういうことになりそうです。



でも、御用画家が気を遣って、実物よりも良い男に描いたのではありませんか?


うん、うん、うん。。。 そのような可能性も充分にありますよねぇ~。。。




『かねつき堂と亀姫』より
(2014年11月25日)



つまり、亀姫のお父さんの肖像画のうちで 最も似ているモノが行田の東照宮にあるということが判って香芽子さんも それを見てみたいと思ったのですか?



そうですよ。。。 それで上の肖像画を見ながら いつか暇ができたら行田市に行って「かねつき堂」で“ゼリーフライ”をぜひ食べようと心に決めたのです。。。


それは、デンマンさんの推測でしょう?


いや。。。 ここまで読んでくれば、誰でも「かねつき堂」の“ゼリーフライ”が食べたくなるはずです。。。



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 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-05-01 03:49 | 国内旅行・名所・旧跡

亀姫と香芽子さん(PART 2)




 


亀姫と香芽子さん(PART 2)



【卑弥子の独り言】



(himiko22.gif)


ですってぇ~~


あなたも 「かねつき堂」の“ゼリーフライ”が食べたくなりましたか?


では、あたたのために行田のゼリーフライのクリップをここに貼り出します。。。



(ran103g.jpg)



(kane002.jpg)



いかがですか?


あなたも、機会があったら、ぜひ行田を訪れて“ゼリーフライ”を食べてくださいませぇ。。。


ところで、小百合さんがどうして「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?


ご存知でござ~♪~ますか?


実は簡単な事なのですわよう。


小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。


小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。


分からない事ではござ~ませんわ。


そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。


現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。



(suikyu9.jpg)


それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。


そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。


軽井沢・雲場池の紅葉



軽井沢のイルミネーション



秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩



とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。



(hand.gif)



(surfin2.gif)


ィ~ハァ~♪~!


メチャ面白い、


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こんにちは。ジューンです。


「上を向いて歩こう」がアメリカで人気が出るきっかけは


何だったのでしょうか?


通説によると、1963年の春、


アメリカ西海岸のローカルラジオ局のDJが、


異国情緒を味わってもらおうと、たまたま手元にあった


日本の曲をオンエアーしたところ、


リスナーからリクエストが殺到したために


人気に火がついたと言われています。


果たして、その話はどこまで本当なのでしょうか?


アメリカで「上を向いて歩こう」をシングルとして


最初に発売したレコード会社はキャピトルです。


同じ時期にキャピトルはイギリスの親会社であるEMIが


ビートルズのシングルを出すようにと要請してきたのです。


ところがアメリカでは人気が出ないと断っているのですね。


では、いったい誰が「上を向いて歩こう」をシングルとして


発売したのでしょうか?


その発売を決定した人の名前が


デンマンさんが描いた次のチャートに出ています。



(qchan90.gif)


デイブ・デクスター・ジュニアさんなのです。


「A&Rマン」と言われていた人で、


売れる可能性のあるアーティストを発掘し、契約を結び、


制作を担当する仕事をしていた人です。


ローカルラジオ局のDJからある日電話がかかってきて


「上を向いて歩こう」が人気が出ていると聞いて、


さっそく自分でも聞いてみたそうです。



(qchan03.jpg)


九ちゃんが日本語で歌っているので


詞の内容は理解できなかったけれど、


これならイケそうだと直感して売り出すことに決めたそうです。


つまり、ビートルズの曲はヒットしないと蹴ったけれど、


九ちゃんの「上を向いて歩こう」は直感的に


ヒットすると思ったのだそうです。


ところで、デンマンさんが小百合さんの記事をまとめて


次のサイトを立ち上げました。


時間があったら下のリンクをクリックして覗いてみてくださいね。


『夢とロマンを持って前向きに生きる


小百合さんの物語』


では、今日も一日楽しく愉快に


ネットサーフィンしましょうね。


じゃあね。



(ebay5.jpg)



(byebye.gif)


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by denman705 | 2017-05-01 03:48 | 国内旅行・名所・旧跡