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カテゴリ:世界の神話・世界史
2012年 04月 25日
群青の石とロマン(PART 1) ![]() (maid12.gif) ラピスラズリ ![]() ラピスラズリ (lapis lazuli) を僕がいつも使っている三省堂の国語辞典で引いても出てないんですね。 英辞郎 on the Webで引くと次のように出ています。 《鉱物》 ラピスラズリ 12月の誕生石 三省堂のコンサイス英和辞典には次のように出ています。 《鉱》 瑠璃; 青色顔料; 瑠璃色。 僕は瑠璃と言うのは聞いたことがありますが、ラピスラズリという言葉は知りませんでした。 この石が12月の誕生石だということも知りませんでした。 僕が初めてこのラピスラズリに出くわしたのはクレタ文明を調べていたときです。 参考書の中に出てきたlapis lazuliという単語が分からず、これを辞書で引いたら「瑠璃」と出ていたわけです。 「石」と言ってしまっては身も蓋もないんですよね。 実は、この石は宝石として最も古くから装飾に使われている石のひとつです。 ラピスはラテン語で石を意味します。 ラズリは青という意味です。 ですから「青い石」となりますね。 ラズリは、アラビア語の、天・空・青を意味する“allazward”から派生しました。 このアラビア語はペルシャ語の紺碧色に由来する“lazward”が語源です。 フランス語の“azur”は、“l” が冠詞であるかのように扱われ、ラテン語から脱落して生まれたものです。 スペイン語やポルトガル語で青を意味する“azul”もここから来ており、イベリア半島が8~13世紀半ばまでイスラム世界であった名残りです。 このラピスラズリの鉱物名はラズライト(lazurite)と呼ばれます。 産地が数カ所しかない貴重な鉱物で、変成作用を受けた石灰岩の中に見つけることが出来ます。 ![]() 青色の原因はイオウです。 ラズライト中にイオウが過剰に存在すると、イオウは鉄と結びついて金色の黄鉄鉱を形成します。 右側の標本の金色部分が黄鉄鉱です。 白色の部分は方解石です。 黄鉄鉱のみ含んでいるものが重宝されています。 いわゆる“金色の斑点が輝く群青の石”です。 このラズライトが取れる有名な鉱山がアフガニスタンのバダフシャン(Badakhshan)です。 この産地のバダフシャンは有史以前から知られており、現在も最良の原石が採れる最大の鉱山です。 長いあいだ唯一の鉱山でしたが、最近ではロシアのバイカル湖畔やチリの鉱山でも採取されています。 ラピスラズリは日本名を青金石といい、古くは瑠璃(るり)と呼ばれていました。 この瑠璃は星の瞬く夜空を連想させる美しい宝石であったようで、5000年以上も前から珍重されていたんですね。 ![]() エジプトでは、紀元前3000年頃の墳墓から、エジプトでは産出されないラピスラズリの装飾品や工芸品が数多く発見されています。 ナイル河畔の町ルクソールの対岸にある王家の谷で発見されたツタンカーメン王(紀元前1350年頃)の黄金マスクにもラピスラズリが使われ、当時のままの美しい金と青のコントラストを見ることができます。 また、太陽と再生のシンボルである虫スカラベやオシリス神の鷹の頭を持つ息子ホルスの目にラピスラズリが使われています。 古代エジプト人はラピスラズリの持つ超自然的な力が病気にも効くと考えたようです。 眼病や鬱病、頭痛などの際に粉末にして塗布したり服用したりしたということがパピルスに書かれています。 この薬としての効用が後に伝えられたようで古代ギリシャ人やローマ人は強壮剤として、または下剤として使用していました。 ![]() メソポタミアでは、紀元前2500年頃、チグリス・ユーフラテス河のデルタ地帯に存在したシュメール人の古代都市国家ウル(現在はイラク)の遺跡のプアビ女王墓からラピスラズリのネックレスが出土しました。 淳子さんにその模造品を身に着けてもらいました。 なかなか見ごたえがありますね。 でも、なんだか重そうですよね。(笑) ラピスラズリとカーネリアン(紅玉髄)のビーズが付いた黄金の頭飾りなども同じ墓から多数発見されました。 聖書の中にもラピスラズリのことが書かれています。 旧約聖書の出エジプト記には、祭司の装飾品のひとつである胸当てにはめ込む石として青い石(Sappir)ラピスラズリの記述を見ることができます。 また新約聖書のヨハネ黙示録には、世界が終末を迎えた後現れるとされる新エルサレムの都の神殿、東西南北12の礎にはそれぞれ12種類の石で飾られ、そのうちの2番目がラピスラズリであると書かれています。 この12種の石が現在の誕生石の元となったそうですよ。 ラピスラズリは12月の誕生石なんですね。 どうして12月なのか?そこまでは調べていません。 もし、分かったら教えてください。 古代ギリシャおよびローマ時代からルネッサンスにかけて、ラピスラズリは、永続性のある群青色の顔料を作るために、細かく砕かれ有名な油絵に使われました。 ただ残念な事に時とともに色が濃くなってしまいます。 古い油絵の多くが黒ずんで見えるのは、このためです。 ルネサンス期、ヨーロッパではラピスラズリは「ウルトラマリン(海の向こうから来た青)」と呼ばれたんですね。 群青色の顔料として珍重されました。 ラピラズリから抽出したこの顔料は他のものでは同じ色を出すことができず、金と等価で取引されるほど高価なものだったそうです。 画家たちはこの鮮やかな青を聖処女マリアと子イエス・キリストのローブのみに使っていた時代もあったほどです。 1828年にフランス人のJ.B.ギメ(西暦1795-1871)が人工的にウルトラマリンを合成することに成功してから、顔料としての需要は急速に衰退します。 ![]() 日本では、ラピスラズリは瑠璃と呼ばれ、仏教の七宝(金・銀・瑠璃・玻璃・しゃこ・珊瑚・瑪瑙)のひとつとされました。 真言宗の開祖、空海(西暦774-835年)は瑠璃を守護石としています。 奈良、正倉院の宝物庫には、紺玉帯と呼ばれるラピスラズリで飾られた黒漆塗の牛革製ベルトが収められています。 日本を目指したマルコ・ポーロ(西暦1254-1324年)はその著書「東方見聞録(原題/百万の書)」の中でラピスラズリについて、次のように書いています。 世界中でもっとも高品質なラピスラズリがこの地方の山で採れる。 (中略) そこへ行くには岩山の側面を切り出した細い小道を抜け、つり橋を渡らなければならなかった。 (中略) 銀の鉱脈のように縞状になってそれは現れた。 ラピスラズリは、中国では青金石、紺玉と呼ばれシルクロードを通って運ばれ絹などと取引されたわけです。 ところで、このシルクロードという言葉は1877年にドイツの地理学者リヒトホーフェンが東洋と西洋を結ぶ隊商ルートをこう命名したのです。 中国産の絹を中央アジアのオアシスを通じて、イラン、インド、大消費地国であった当時のローマへ運ぶ交易路の一大ネットワークであったわけです。 紀元前2世紀頃、前漢の武帝の匈奴討伐による西域の安定化がその後の活発な東西の交流をもたらしました。 しかし、これまでの話からも分かるように、絹がシルクロードを通じて東西世界を行きかうよりもはるか昔から交易路は存在していたんですね。 交易品としてのラピスラズリが、それまであった中国-インダス、インダス-メソポタミアの交易路をすでに結び付けていました。 絹の需要が交易品としてラピスラズリをはるかに上回るようになり、そのために“シルク・ロード”という名前が有名になっただけです。 そういうわけで、シルク・ロードより以前に“ラピスラズリ・ロード”があった事をここで述べようと思います。 ラピスラズリ・ロード ![]() ラピスラズリの原産地は限られていて、古来アフガニスタンの東北部に位置するバダフシャン地方が主要な産地でした。 なかでもアム・ダリアというアラル海に注ぐ大きな河があり、その支流のコクチャ川上流にあるサル・イ・サング(Sar-e-Sang)鉱山が有名です。 産出された原石は、北はコクチャ川からアム・ダリアを通ってソグディアナのサマルカンドやブハラ方面へ、また、南はヒンドゥークシ山脈を越え、カブールを経てインドやペルシャ、メソポタミア方面に運ばれていたのです。 ![]() ペルシアのペルセポリスの遺跡 ラピスラズリがなぜメソポタミア方面にもたらされたのかについては、紀元前500年前後にアケメネス朝ペルシアのダレイオス(ダーラヤワウ)1世が,現在のイラク国境近くにあるスーサに宮殿を造るためラピスラズリを運んだことが碑文に刻まれています。 そのラピスラズリはすべてバダフシャン地方からのものです。 また、紀元1世紀に書かれた『エリュトゥラー海案内記』という文献に、インドの貿易港でラピスラズリが輸出されていたことが記されています。 このラピスラズリも当然バダフシャン地方のものです。 こうしたことを裏付けるように、バダフシャン産出のものがエジプトやメソポタミアばかりでなく、アフガニスタンやイランをはじめとする中央アジアの遺跡から発見されています。 そのうち特に注目を浴びたのが1966年からイタリア調査隊のM・トスィが発掘調査を開始したシャフリ・ソフタの遺跡です。 シャフリ・ソフタはガズニやカンダハルを通る南ルートにあたるのですが、ここからラピスラズリの原石の塊と装飾品に加工するための道具が大量に発見されました。 そのことにより、ここがラピスラズリの一大加工場だったことが分かりました。 また、カーネリアン(紅玉髄)やトルコ石などの原石も多数出土しているので、ラピスラズリだけでなく、その他の貴石の加工もなされていたことも分かりました。 シャフリ・ソフタはイラン国内ですが、アフガニスタンとの国境近くにあります。 アフガニスタンの南部には東北から西南に向かってヘルマンド川が流れており、その下流域はスィースタン(バルーチスタン)地方と呼ばれています。 この地方は現在アフガニスタンとイランとに二分されていますが、シャフリ・ソフタは、そのイラン側のシースタン地方にある城壁に囲まれた都市遺跡です。 遺跡からは50数基の窯跡なども発見されたことから貴石だけでなく、土器の一大加工場であったことも分かりました。 では、バダフシャンよりも 東方については ラピスラズリがどのように 伝わったのか? ![]() 今度はそれを見てみようと思います。 ラピスラズリは中国の書物にも現れます。 1969年に現在の江蘇省の蘇州からいろいろな宝石がちりばめられた硯箱が発見されました。 それにラピスラズリが使われていたのです。 硯箱は重さ約3.5kgの豪奢なもので、現在南京博物館に保管されています。 ラピスラズリが使用された中国の傑作品の一つで、後漢時代(110年代)の明帝の墓から発見されたものです。 ![]() 莫高窟の大雄宝殿 ![]() 敦煌市街に立つ飛天像 ![]() それから莫高窟の321窟の宝雨経変図に使われている青い顔料を分析してみた結果、ラピスラズリであることが分かりました。 莫高窟のある敦煌が当時国際貿易都市として繁栄していたのです。 そのために顔料が手に入れ易かったのでしょう。 ラピスラズリが大量に使われたのは隋唐時代ですが、のちの西夏時代になると、これに代わって岩碌青という違った岩石が使われるようになりました。 中国のラピスラズリは、バダフシャン地方のものがパミール高原を越えて東トルキスタン即ち西域地方に伝わり、そこからさらに中原地方へもたらされたものと考えられます。 そうすると、バダフシャンと中国とを結ぶルートも、ラピスラズリの道として重要な交易路と言えます。 さらに東に眼を向けると どうなるでしょうか? ![]() つまり、中国を経由する日本への交易ルートです。 ![]() ところで、世界で最も古くガラスが作られたのは,紀元前2300年代以前にさかのぼると言われています。 また、カットによってガラス容器の表面を飾る技法は、紀元前8世紀ごろ始められたと言われています。 バビロニアのサルゴン王(紀元前722-705)の時代に透明なガラスが出来、カットの技法により削り出し、容器に仕上げる方法が発達しました。 この技法はペルシャのアケネメス王朝(紀元前558-331)のガラス工芸にも受けつがれ、素晴らしいガラス器を生み出すことになります。 ペルシャのササーン王朝時代(226-651)には、アケネメス時代のカットグラスが更に発展し、盛んに製作されるようになりました。 私たちが訪れる奈良の正倉院に現存する、上に示した紺瑠璃杯(こんるりはい)は、このササーングラスの一つです。 (現物はもう少し色が濃いです) ![]() 正倉院というのは、ご存知のように聖武天皇の宝物などを収めた校倉(あぜくら)造りの建物です。 同天皇が没した756年にはすでに建立されていたということが、最近の研究によって分かりました。 この上に示した紺瑠璃杯(こんるりはい)は4世紀か5世紀に作られたらしいのです。 従って、もし、4世紀に作られていたとすれば、それが、何百人かの商人の手を経て300年から400年かかって、上のシルクロードをたどりながらペルシャから大和へもたらされたことになります。 このガラスに顔料として使われているラピスラズリ(瑠璃)は当然それ以前にも交易品としてもたらされていたでしょう。 こうして見てくると、中央アジアのバダフシャン地方を中心にアジアから西方へ行くルートと東方へ延びる道が1本に結びつくラピスラズリ・ロードがあった事が良く分かります。 シルクロードとして知られる交易ルートがそれ以前にもラピスラズリを交易するためのルートとしてすでにあったと言うことはあまり知られていないようですね。 そう言う意味で、ラピスラズリを考えてみることは大切だと思います。 古代へのロマンをさらに膨らませてくれるのではないでしょうか? 初出: 『ラピスラズリとラピスラズリ・ロード』 (2005年6月17日) (すぐ下のページへ続く) 2012年 04月 25日
群青の石とロマン(PART 2) 【卑弥子の独り言】 ![]() ですってぇ~。。。 デンマンさんの歴史ロマンのお話でした。 もっと読みたい人はリンクを貼りましたから 面白そうなものを選んで読んでみてください。 ■『ラピスラズリと紺瑠璃杯』 ■『愛しの敦煌』 ■『ラピスラズリ と 美女アメニア』 ■『古代紫 Tyrian purple』 ■『飛鳥とペルシャ 石人男女像の謎』 ■『聖徳太子の母親はペルシャ人だった?』 ■『聖徳太子の個人教授にはペルシャ人が居た』 ![]() ■『なぜ厩戸王子なの?』 ■『飛鳥と中南米は海でつながっていた』 ■『バンクーバーとブリスベン』 ![]() あなたは最近、歴史の本を読みましたか? ええっ。。。歴史の本ってつまらないから読まないの? じゃあね、源氏物語を読んでみたら? ええっ。。。源氏物語って昔の言葉で書いてあるから読んでも分からないと、あなたは、のたまうのでござ~♪~ますか? 現代語で書いてある本もたくさんありますわよ。 あのねぇ~、結構エロい事が書いてあって、その辺に転がっているポルノ雑誌よりもインスピレーションを与えられて、めちゃエロい気持ちになったりして、すっご~♪~く癒されることがあるのでござ~♪~ますわ。 うふふふふふ。。。 ええっ。。。それは変態的な読み方だと、あなたは、のたまうのでござ~♪~ますか? とにかく、その辺で売っている週刊誌を読むのよりも、ずっと教養と文化の香りが身につくのですわ。 わりい事は言わないから、歴史の本を読まないのだったら、せめて源氏物語の現代語訳ぐらいは読んでくださいましね。 いづれにしても、興味深い記事が続くと思います。 だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいまし。 じゃあ、またね。。。 ![]() ![]() ィ~ハァ~♪~! メチャ面白い、 ためになる関連記事 ![]() ■ 『きれいになったと感じさせる 下着・ランジェリーを見つけませんか?』 ■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』 ■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』 ![]() ■ 『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』 ■ 『今すぐに役立つホットな情報』 ■『シルヴィー物語(2011年4月27日)』 ■『波乱の半生(2011年4月29日)』 ![]() ■『シルヴィーとネット革命(2011年5月6日)』 ■『シルヴィーとデヴィ夫人(2011年5月30日)』 ■『シルヴィーとケネディ夫人(2011年6月15日)』 ■『バンクーバー暴動と平和(2011年6月25日)』 ![]() ■『ビルマからの手紙(2011年7月3日)』 ■『ブッシュの戦争(2011年7月7日)』 ■『国際的愚か者(2011年7月11日)』 ■『あばたもえくぼ(2011年7月14日)』 ■『あなたも国際市民(2011年7月18日)』 ■『リビエラ夫人のハンバーグ(2011年7月22日)』 ■『芸術とブルックリン(2011年7月26日)』 ![]() ■『思い出のパリ(2011年7月30日)』 ■『海外志向とおばさんパンツ(2011年8月5日)』 ■『地球の平和(2011年8月9日)』 ■『愚かな写真狩り(2011年8月13日)』 ■『死の写真狩り(2011年8月17日)』 ![]() ■『キモい写真狩り(2011年8月21日)』 ■『生パンツと床上手(2011年8月25日)』 ■『ヌードと写真狩り(2011年8月29日)』 ■『あなたの平和と幸福(2011年9月2日)』 ![]() ■『あなたの平和な日々(2011年9月7日)』 ■『奈良の鹿と憲法9条(2011年9月11日)』 ■『文は人なり(2011年9月15日)』 ■『キモい戦争(2011年9月19日)』 ■『バカの歴史(2011年9月23日)』 ![]() ■『ムカつく検査(2011年11月1日)』 ■『アッシジからの平和(2011年11月5日)』 ■『中国からの怪電話(2011年11月9日)』 ![]() こんにちは。ジューンです。 ラピスラズリは和名では瑠璃(るり)ですよね。 あなたも「浄瑠璃」という言葉を 聞いたことがあるでしょう? どうして「浄瑠璃」に「ラピスラズリ」が 入っているのでしょうか? 「浄瑠璃」の起源は、 中世末期ごろの御伽草子の一種 『浄瑠璃物語』であるそうです。 その物語は浄瑠璃御前と 牛若丸の情話に薬師如来など 霊験譚をまじえたものです。 その物語を語って神仏の功徳を 説いた芸能者があったということで、 そこから「浄瑠璃」の名が生まれたようです。 要するに、浄瑠璃御前の名前から とったということなんですよね。 「群青の空の色」のように、 「紺瑠璃杯」のように、 きれいな、きれいな御前だったのでしょう。 源義経といえば、「静御前(しずかごぜん)」ですよね。 義経が兄の源頼朝と対立して京を落ちて 九州へ向かう際に静御前も同行するのです。 ところが、義経の船団は嵐に遭難して岸へ戻される。 静御前は吉野で義経と別れ京へ戻るのですが、 途中で従者に持ち物を奪われ山中をさまよいます。 その時に、山僧に捕らえられ 京の北条時政に引き渡されるのです。 そして、母の磯禅師とともに鎌倉に送られます。 静御前は頼朝に鶴岡八幡宮社前で 白拍子の舞を命じられます。 そのときに詠(うた)った和歌が次の2つでした。 「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」 「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」 要するに、義経を慕う歌を唄ったのです。 その歌が頼朝を激怒させます。 静御前は殺されそうになりますが、 妻の北条政子が「私が御前の立場であっても、 あの様に謡うでしょう」と取り成して 命を助けたというエピソードが残っています。 この時、静御前は義経の子を妊娠していました。 頼朝は女子なら助けるが、男子なら殺すと命じます。 静御前は男の子を産みます。 安達清常が赤子を受け取ろうとしますが、 静御前は泣き叫んで離しませんでした。 しかし、母の磯禅師が赤子を取り上げて 清常に渡しました。 赤子は由比ヶ浜に沈められたそうです。 悲しいお話ですわ。 ところで、卑弥子さんが面白いサイトを やっています。 興味があったら、ぜひ次のリンクをクリックして 覗いてみてください。 ![]() ■『あなたのための笑って幸せになれるサイト』 とにかく、今日も一日楽しく愉快に ネットサーフィンしましょう。 じゃあね。バーィ ![]() ![]() 2012年 03月 21日
Notre Dame(PART 1 OF 3) ![]() (hunch04.jpg) ![]() (hunch01.jpg) ![]() (hunch05.jpg) ![]() (diane25.jpg) Subj:London Theatre Here We Come ! ![]() (covent06.jpg) From: diane@vancouver.ca To: barclay1720@aol.com Date: Wed, Mar 14, 2012 9:41 pm. Pacific Daylight Saving Time Hello, Kato ! We've returned now from our whirlwind theatre tour of London... whew! I'm exhausted and recouperating, but it was a good experience overall. We managed ten plays in the same number of days, different venues and different themes. Overall, I'd say they were no more superior than what is offered right here in Vancouver. Before we left, we saw "The Hunchback of Notre Dame" and a few weeks before that we saw Dostoesky's "The Idiot" at UBC. ![]() (hunch06.jpg) "The Hunchback of Notre Dame" at Vancouver Playhouse Both were very professional and provacative and exciting. But we did see a wonderful play about Shakespeare's life after retirement called inexplicably "Bingo." Shakespeare was played by Patrick Stewart of Star Trek fame and he did a fabulous job. I could go on and on about the plays, of course, and the city itself and Covent Gardens and Hamstead Heath and Borough's Market and Carnagy Street and Picadilly Circus and St.Paul's Cathedral and the museums and pubs and such, but it would take too long. My boyfriend was great for the most part (a bit of a know-it-all sometimes) and tried to make sure it was a good experience for me. He's not as good to travel with as my Bob was, but guess I'll have to put more effort into training him, don't you think? I enjoyed the interesting clips you found there on Fatal Attraction. Certainly, it was one movie that stayed with us all, don't you think? Who knows how many hundreds of thousand of possible straying husbands? God it was scary. Fatal Attraction (Trailer) ![]() (fatal001.jpg) I never thought about the Madame Butterfly theme, but can see it now. Michael Douglas looks so young in those clips, so does Glen Close. Here in Vancouver, I saw Glen just recently in the film Albert Nobbs and she was excellent, truly excellent in that role. So when is the end not the end? I never knew that what we saw was actually the second ending. All considered, they made the right decision to change the ending I would say. It is such a powerful, powerful film. Thanks for digging up this juicy information, Kato. ![]() (fatal003.jpg) "Fatal Attraction's" Alternate Ending I sent you a cool postcard from London, and loved the stamps I got which were designed especially for postcards and are really brilliant in my opinion. Of course, I do have a thing for postcards so that could be just my opinion. Thanks for all of this, Will see you soon I hope at (of course) the VPL ![]() Love, Diane ~ ![]() Welcome back, Diane. ![]() Thank you, Kato... I'm very glad to be here with you. My pleasure...so, Diane, you saw "The Hunchback of Notre Dame" at Vancouver Playhouse before you hit the road to London, didn't you? Yes, I did. How did you like it? Oh, marvellous!... so exciting!...I wish you'd been there with me. I know...I know... How do you know? Well...I read one of the audience reviews. Tell me about it, Kato. It goes like this: ![]() (hunch02.jpg) “I have to thank you so much for an incredible evening last night at opening night of Hunchback. The production was absolutely incredible. Craig and I were so impressed by those hugely talented performers and also by the creativity displayed in the sets and costumes. It was a wonderfully progressive and contemporary production of an old classic (that I had never seen before - gasp!)… I took great pleasure seeing the due pride and excitement on the performers’ faces as they took their bows. They knew it was an awesome show and they earned ALL of the applause!” SOURCE: "Reviews for the hunchback" ![]() At first, I thought you'd jotted it down. ![]() What made you think so? ...'Cause you told me exactly the same review. Kato, don't you like "The Hunchback of Notre Dame"? Yes, of course, I do. Everybody seems to enjoy the play or the movie for that matter. "The Hunchback of Notre-Dame" The story begins on Epiphany (6 January), 1482, the day of the 'Feast of Fools' in Paris, France. ![]() (hunch02.jpg) Quasimodo, the deformed hunchback bell-ringer of Notre Dame, is introduced by his crowning as King of Fools. ![]() (hunch04.jpg) Esmeralda, a beautiful Gypsy with a kind and generous heart, captures the hearts of many men, including those of a Captain Phoebus and a poor street poet, Pierre Gringoire, but especially those of Quasimodo and his adoptive father, Claude Frollo, the Archdeacon of Notre Dame. Frollo is torn between his obsessive love and the rules of the church. He orders Quasimodo to kidnap her, but the hunchback is suddenly captured by Phoebus and his guards who save Esmeralda. Quasimodo is sentenced to be flogged and turned on the pillory for one hour, followed by another hour's public exposure. He calls for water. Esmeralda, seeing his thirst, offers him a drink. It saves him, and she captures his heart. Esmeralda is later charged with the attempted murder of Phoebus, whom Frollo actually attempted to kill in jealousy, after seeing him about to have sex with Esmeralda, and is tortured and sentenced to death by hanging. As she is being led to the gallows, Quasimodo swings down by the bell rope of Notre Dame and carries her off to the cathedral under the law of sanctuary. Clopin, a street performer, rallies the Truands (criminals of Paris) to charge the cathedral and rescue Esmeralda. Frollo asks the king to remove Esmeralda's right to sanctuary so she can no longer seek shelter in the church and will be taken from the church and killed. When Quasimodo sees the Truands, he assumes they are there to hurt Esmeralda, so he drives them off. Likewise, he thinks the King's men want to rescue her, and tries to help them find her. She is rescued by Frollo and her phony husband, Gringoire. But after yet another failed attempt to win her love, Frollo betrays Esmeralda by handing her to the troops and watches while she is being hanged. When Frollo laughs during Esmeralda's hanging, Quasimodo pushes him from the heights of Notre Dame to his death. Quasimodo then goes to the vaults under the huge gibbet of Montfaucon, and lies next to Esmeralda's corpse, where it had been unceremoniously thrown after the execution. He stays at Montfaucon, and eventually dies of starvation. About eighteen months later, the tomb is opened, and the skeletons are found. As someone tries to separate them, Quasimodo's bones turn to dust. SOURCE: "The Hunchback of Notre-Dame" Wikipedia, the free encyclopedia (To be continued) 2012年 03月 21日
Notre Dame(PART 2 OF 3) ![]() So, you know the story, don't you? ![]() Yes, of course, I do. It's a world-famous novel written by Victor Hugo. It was published in 1831. In the English-speaking world, it is known by that title, but in French it means "Our Lady of Paris (Notre-Dame de Paris)." So, naturally, the story is centered around the Notre Dame Cathedral---one of the largest and most well-known cathedrals in the world. ![]() (hunch01.jpg) ![]() But you seem to be against the above review. ![]() You know, Diane, I was kinda preoccupied with the 1939 movie: The Hunchback of Notre Dame Trailer (1939) ![]() (hunch05.jpg) ![]() So, you like this movie more than any play or any other film, don't you? ![]() Yes, I do. How come? Well... simply 'cause I saw this movie for the first time in my life as far as "The Hunchback story" is concerned. So, this old classic has imprinted the unforgettable impression on your mind ever since, hasn't it? You're right on, Diane. I like Laughton as Quasimodo and Maureen O'Hara as Esmeralda. ![]() (hunch05.jpg) ![]() The 1939 film is considered by some reviewers to be the best of the many film versions of Victor Hugo's classic novel. ![]() Do you think so, too? Yes, I do. As a matter of fact, this movie later strongly influenced the 1996 version of The Hunchback of Notre Dame, produced by Walt Disney Feature Animation. ![]() (hunch07.jpg) 1996 Animation Trailer ![]() But kato, do you know that the 1939 movie is quite fifferent from the original novel? ![]() Oh...quite different?...in what way? Well... The main differences are that Esmeralda and Quasimodo remain alive at the end, unlike in the novel, in which Esmeralda is hanged and Quasimodo is presumed dead, but two years later a hunchback skeleton is found at her grave site. Is that right? Besides, the character of Frollo was heavily changed. Instead of being an archdeacon, he is a judge and a close advisor of King Louis XI, while in the novel they do not meet each other. Frollo's death was portrayed close to the original one, but a major difference is that in the novel he was watching Esmeralda's execution when Quasimodo killed him. Oh, was he? Furthermore, Phoebus, who is only wounded by Frollo in the novel, is killed by him in this 1939 film version. Therefore, as in the novel, Esmeralda is wrongly accused for the crime, but her attraction for Phoebus is not explored by the film after the incident. I see... The personal history of Esmeralda is ignored by the film. In the novel, it is revealed that she was not born as a gypsy and her mother is a recluse in Paris. In the film, her mother is not portrayed and neither is her background. Gee... Amazing!... Diane, you're quite knowlegeable. At the end of the film, Esmeralda is pardoned and is freed from hanging and then leaves with Gringoire and a huge crowd out of the public square. In the novel, Gringoire left Esmeralda with Frollo capturing her and saves her goat instead, resulting in Esmeralda's death. The film also makes it clear that Esmeralda eventually comes to love Gringoire, whereas in the novel, she merely tolerates him. I didn't know that you're such a keen reseacher and cinefile. Don't pull my leg, Kato. You can easily obtain such infomation on the Net. Tell me, Diane, if the hunchback was based on the real figure at the time or not. Good point, Kato,... well, In 2010, British archivist Adrian Glew discovered references to a real-life hunchback who was a foreman of a government sculpting studio in Paris in the 1820s. This person worked on post-Revolution restorations to the Cathedral. Hugo might have picked up this man as a model of Quasimodo. I see... You know, Kato, it was the first novel to have beggars as protagonists. Besides, it was the fist fiction to encompass the whole of life, from the King of France to Paris sewer rats, in a manner later co-opted by Balzac, Flaubert and many others, including Dickens. The enormous popularity of the book in France spurred the nascent historical preservation movement in that country and strongly encouraged Gothic revival architecture. Ultimately it led to major renovations at Notre-Dame in the 19th century led by Eugène Viollet-le-Duc. Much of the cathedral's present appearance is a result of this renovation. Quite interesting! Furthermore, the name Quasimodo has become synonymous with "a courageous heart beneath a grotesque exterior." Diane, you just reminds me of the 1980 film "Elephant man." ![]() (elephan2.jpg) Frederick Treves (Anthony Hopkins), a surgeon at the London Hospital, discovers John Merrick (John Hurt) in a Victorian freak show in London's East End, where he is managed by the brutish Bytes (Freddie Jones). Merrick is so deformed that he must wear a hood and cap when in public, and Bytes claims he is an imbecile. Treves is professionally intrigued by Merrick's condition and pays Bytes to bring him to the Hospital so that he can examine him. There, Treves presents Merrick to his colleagues in a lecture theatre, displaying him as a physiological curiosity. Treves draws attention to Merrick's most life-threatening deformity, his oversized skull, which compels him to sleep with his head resting upon his knees, as the weight of his skull would asphyxiate him if he were to ever lie down. The ward nurses are horrified by Merrick's appearance, so Treves places him in a quarantine room under the watchful care of the formidable matron, Mrs. Mothershead (Wendy Hiller). Mr. Carr-Gomm (John Gielgud), the hospital's Governor, is reluctant to house Merrick (who has thus far remained mute), as the hospital is not designed as a residence for "incurables". To persuade Carr-Gomm that Merrick has potential, Treves coaches him to recite a few polite phrases. Carr-Gomm sees through the ruse, but as he walks away, both men are astonished to hear Merrick recite the 23rd Psalm. Shocked by this display of intelligence, Carr-Gomm allows Merrick to remain. Merrick is gradually revealed to be sophisticated and articulate. Carr-Gomm arranges a suite of rooms for him to reside in at the hospital, and Merrick passes his days reading, drawing and making a model of a church visible through his window. One day, Treves brings him to take afternoon tea at home together with his wife, Ann (Hannah Gordon). Merrick, overwhelmed by the familial love he perceives in the domesticity about him, shows them his most treasured possession, a picture of his mother, and expresses his wish that she would love him if she could only see what "lovely friends" he now has. ![]() (elephan4.gif) Phoebe Nicholls as John's mother Later, Merrick begins to receive society visitors in his rooms, including the celebrated actress Madge Kendal (Anne Bancroft). ![]() (elephan3.jpg) Anne Bancroft He becomes a popular object of curiosity and charity to high society. As these connections and visits increase, Mrs. Mothershead (who has charge of Merrick's daily care) complains to Treves that he is still being treated as a freak show attraction, albeit in a more upper class, celebrated style. Bytes abducts Merrick to continental Europe, where he is once again put on show and subjected to cruelty and neglect. Treves, consumed with guilt over Merrick's plight, takes action against the night porter with the help of Mrs. Mothershead. Merrick escapes with the help of his fellow freak show attractions, and makes it back to London. However, he is harassed by a group of boys at Liverpool Street station, and accidentally knocks down a young girl. He is chased, unmasked, and cornered by an angry mob, at which point he cries out: "I am not an elephant! I am not an animal! I am a human being! I ... am ... a ... man!", before collapsing. When the police return Merrick to the hospital, he is reinstated to his rooms. He recovers a little but it is soon clear he is dying from chronic obstructive pulmonary disease. As a treat, Mrs. Kendal arranges an evening at the musical theatre. Resplendent in white tie, he rises in the Royal Box to an ovation, having had the performance dedicated to him from Mrs Kendal. That night, back at the hospital, Merrick thanks Treves for all he has done and finishes his model of the nearby church. Imitating one of his sketches on the wall—a sleeping child—he removes the pillows that have allowed him to sleep in an upright position, lies down on his bed and dies, consoled by a vision of his mother, Mary Jane Merrick, quoting Alfred Lord Tennyson's "Nothing will Die". The Elephant Man 1980 Film Trailer SOURCE: "The Elephant Man (film)" Wikipedia, the free encyclopedia ![]() Do you like "The Elephant Man" more than "The Hunchback of Notre Dame"? ![]() Well... I like both movies, but the elephant man impressed me greatly. Oh...? Like what? At the end, Merrick’s mother is smiling beautifully, staring at the camera, reminding Merrick, called “John,” and reminding me that nothing will die. Death is not an ending. It is just another change. He could move from a nightmare to a dream. I see... the name Quasimodo has become synonymous with "a courageous heart beneath a grotesque exterior." So, Kato, how about the name John Merrick? Well,... I'd say, the name John Merrick has become synonymous with "a noble heart beneath a grotesque exterior." 【Himiko's Monologue】 ![]() The elephant man's real name is not John Merrick, but Joseph Merrick. He was born in Leicester and began to develop abnormally during the first few years of his life. His skin appeared thick and lumpy. He developed an enlargement of his lips, and a bony lump grew on his forehead. One of his arms and both feet became enlarged and at some point during his childhood he fell and damaged his hip, resulting in permanent lameness. When he was 11, his mother died and his father soon remarried. Merrick left school at 12, and had difficulty finding employment. Rejected by his father and stepmother, he left home. In 1884, Merrick contacted a showman named Sam Torr and proposed that Torr should exhibit him. Torr agreed, and arranged for a group of men to manage Merrick, whom they named the Elephant Man. In any case, I'd like to meet my "Romeo"---a decent man in my future life. How come I'm always a loner? I wish I could meet a nice gentleman at the library in my town as Diane met Kato. Well, they say, there is a way where there is a will. I hope Kato will write another interesting article. So please come back to see me. Have a nice day! Bye bye ... ![]() (To be continued) 2012年 03月 21日
Notre Dame(PART 3 OF 3) ![]() If you've got some time, Please read one of the following artciles: ![]() ■"Hello Diane!" ■"I wish you were there!" ■"Jane Eyre" ![]() ■"Jane Eyre Again" ■"Jane Eyre in Vancouver" ■"Jane Eyre Special" ■"Love & Death of Cleopatra" ■"Nice Story" ![]() ■"Scrumdiddlyumptious" ■"Spiritual Work or What?" ■"What a coincidence!" ![]() ■"Wind and Water" ■"Yoga and Happiness" ■"You're in a good shape" ![]() ■"Hellelujah!" ■"Ecclesiophobia" ■"Uncorruptible" ■"Net Travel & Jane" ![]() ■"Net Love" ■"Complicated Love" ■"Electra Complex" ■"Net Début" ■"Inner World" ![]() ■"Madame Riviera and Burger" ■"Roly-poly in the North" ■"Amazing Grace" ■"Diane in Paris" ■"Diane in Montmartre" ![]() ■"Diane Well Read" ■"Wantirna South" ■"Maiden's Prayer" ■"Bandwidth" ■"Squaw House and Melbourne Hotel" ![]() ■"Tulips and Diane" ■"Diane in Bustle Skirt" ■"Diane and Beauty" ■"Lady Chatterley and Beauty" ■"Victorian Prudery" ![]() ■"Diane Chatterley" ■"From Canada to Japan" ■"From Gyoda to Vancouver" ■"Film Festival" ■"Madame Taliesin" ■"Happy Days" ■"Vancouver Again" ■"Swansea" ![]() ■"Midnight in Vancouver" ■"Madame Lindbergh" ■"Dead Poets Society" ■"Letters to Diane" ■"Taliesin Studio" ![]() ■"Wright and Japan" ■"Taliesin Banzai" ■"Memrory Lane to Sendai" ■"Aunt Sleepie" ■"Titanic @ Sendai" ■"Birdcage" ![]() (sylvie121.jpg) ■"Roly-poly in the wild" ■"Silence is dull" ■"Zen and Chi Gong" ■"Piano Lesson" ■"Dangerous Relation" ■"Electra Complex" ![]() (juneswim.jpg) ■"Covent Garden" ■"Fatal Relation" ![]() ![]() Hi, I'm June Adames. Joseph Merrick died on 11 April 1890, aged 27. The official cause of death was asphyxia, although Treves, who dissected the body, said that Merrick had died of a dislocated neck. He believed that Merrick, who had to sleep sitting up because of the weight of his head, had been attempting to sleep lying down, to be like other people. The exact cause of Merrick's deformities is unclear. The dominant theory throughout much of the 20th century was that Merrick suffered from neurofibromatosis type I. In 1986, a new theory emerged that he had Proteus syndrome. In 2001 it was proposed that Merrick had suffered from a combination of neurofibromatosis type I and Proteus syndrome. DNA tests conducted on his hair and bones have proven inconclusive. In 1979, Bernard Pomerance's play about Merrick called The Elephant Man débuted and David Lynch's film, also called The Elephant Man, was released the following year. ![]() ところで、愛とロマンに満ちた レンゲさんのお話をまとめて 『レンゲ物語』を作りました。 もし、レンゲさんの記事をまとめて読みたいならば、 次のリンクをクリックしてくださいね。 ■『愛とロマンのレンゲ物語』 ![]() ■『軽井沢タリアセン夫人 - 小百合物語』 とにかく、今日も一日楽しく愉快に ネットサーフィンしましょうね。 じゃあね。 ![]() (sylvie122.jpg) ![]() 2011年 09月 09日
美尻(PART 1) ![]() 広場にいた中年の女性が、1950年代に、ある美しい女性歌手が酔っ払いにからまれた時の話をしてくれた。 酔っ払いは「俺はあんたとやろうかなと思っている」と叫んだ。 歌手は酔っ払いに向かって指を振ると答えた。 「あらっ、そう、知らなかったわ……」さすがである。 ストリの男性たちはこういう女が好きだ。 だが、男たちの関心をひくのはいわゆる美人ではない。 美女には想像力がいらない。 本当の喜びは、誰にも注目されていない女性の中にすばらしい美しさを見出したときに得られるのだ。 広場で一人の女性を見つめている男がいて、その男は本当にその女性のことしか見ていなかった。 いくら想像力を働かせてみても、私は男がその女性のどこにひかれているのかわからなかった。 女性は小柄で、髪は薄くなっていたし、上半身は中世のイタリア女性よりも少年に近いといっていい。 プロポーションは完璧とは言いがたく、しかもどうしたことか尻だけがとても大きいのだった。 日曜日の朝、ニコラーラと一緒に広場にいると、大聖堂から戻ってきたその女性が通りかかった。 崇拝者は広場の反対側にいて、情熱のおもむくままにその女性をじっと見つめている。 いやらしい目つきではなかったが、端から見てもわかるほど堂々と見ていた。 女性がほとんど広場を横切った頃、私はニコラーラが女性に微笑みかけているのに気づいた。 その時突然、私は二人が女性の何にひかれているのかがわかった。 大きな尻だ。 身体のほかの部分とのバランスとか、他の女性の尻との比較ということを考えず、つまりただ純粋にその尻の形だけを見ると、それはすばらしく美しいのである。 そこには秘められた豊かささえ感じられた。 (注: 赤字はデンマンが強調) 166 - 167ページ 『イタリアの田舎暮らし』 著者: マイケル・リップス 越智めぐみ・訳 2002年7月20日 初版発行 発行所: 株式会社 角川書店 ![]() デンマンさん。。。あんさんは「おいど」に拘(こだわ)ってますやん。 ![]() わてが「おいど」に拘っているように、めれちゃんには見えるのか? そやかてぇ「美尻」というタイトルをつけはって、さらに「大きな尻」を引用してはりますやん。 あのなァ~、わては「おいど」に拘っているのではないねん。 『イタリアの田舎暮らし』を読み始めて上の箇所にたどり着いた時に、ふいに高校時代の英語の先生のことが思い出されたのやがなァ。。。 どないな思いでやのォ~? すでに記事に書いたことやけど、めれちゃんのためにここに書き出すよってに、じっくり読んでみたらええやん。 自由で開放的な 授業の雰囲気 ![]() 英文法の先生で、とてもユニークな先生が居ましたよ。ユニークと言っても、このエピソードがあったから、僕はこの先生がユニークだと思うようになったのですよう。寺田先生と呼ぶ事にします。僕は名前を忘れてしまったのですよ。思い出せません。まだ入学して日の浅い頃でした。春から夏になる頃の話です。 ![]() その寺田先生は女性でござ~♪~ますか? もちろん、男の先生ですよ。女性の先生は一人も居ませんでした。当時、埼玉県の有名校は別学だったのですよ。熊校(県立熊谷高校)は男子校でした。 その先生は、どのような感じの先生でござ~♪~ますか? 山岳部の顧問をしている先生でした。また、油絵を描くのが趣味でしたよ。どちらかと言えば寺田先生は、あまりパッとしない先生なのですよ。40代だったでしょうか。。。山岳部の顧問と言う響きから山男か?というと、そういう印象でもない。がさつな感じでもない。そうかと言って繊細で洗練されている印象でもない。ざっくばらんで自然体、と言う感じでしたね。 。。。んで、どのような事があったのでござ~♪~ますか? いつものように、とりわけ変わった事もなく授業は進んでいったのですよ。僕は、寺田先生の教え方がうまいと思った事もなく、とりわけ魅力的な授業をする先生だ、と思ったこともない。いわば、いつもどおりにマンネリ化した、興味のあまり感じられない授業を進めていましたよ。 それで。。。? ふと、先生は窓の外に眼をやったのですよ。当時の校舎は木造で、僕のクラスは学校で最も古い昭和の初期に建てられた木造平屋の教室だったのですよ。寺田先生は、しばらく黙って外を見ていた。生徒の幾人かは、オヤっと思って先生の目線の行き着くところを見定めるような風でした。でも、ほとんどの生徒は無関心に教科書を見たりノートに落書きをしているようでした。僕は先生が何を見ているのだろか?と思って窓の外を見たのだけれど、僕の座席からでは窓の外の風景は垣根と空だけしか見えない。 それで。。。? 先生は、感極まったように言ったものですよ。 “う~~ん。。。 いい尻をしているなあぁ~” つまり、先生は窓の外を通る女性を眺めていたのですか? そうですよ。生垣(いけがき)の向こうは砂利道になっていて、そこを女性が歩いてゆくのが見えたのでしょうね。僕の座席からでは人が通る様子は全く見えないのですよ。先生は窓辺に立っていたから見えたのでしょう。 それで。。。? “オイ、いいケツだとよォ~” クスクスっと笑って、僕の後ろに居た原島君などは、ポルノ雑誌を見たようなエロい笑いをもらしながら、僕の背中を小突(こづ)いたものですよ。教室の、そこここで、くすくす笑いが起こりました。先生も皆に聞こえるような声を出した事に初めて気づいたかのようにニヤニヤしながら、教壇の方に歩いてゆきました。 デンマンさんは、どう思ったのでござ~♪~ますか? 女性の尻を見て、その素晴しさに感極まるような感嘆を漏らす人が僕以外にもやっぱり居るものだ、と僕は半ば同志に巡り会ったような気持ちでしたよ。 つまり、高校1年生のデンマンさんは、すでに女性のお尻を見て“う~~ん。。。いい尻をしているなあぁ~。。。”と、感嘆したことがあったのでござ~♪~ますか? ありましたよ。声には出さなかったけれど、まさに声に出てしまうほど感嘆したことが何度もありましたよ。 。。。んで、そのように感嘆してしまう素晴しいお尻って、一体、どのようなお尻なのでござ~♪~ますか? これは個人、個人によってだいぶ違うと思うのですよゥ。美意識の問題ですからねぇ。でも、卑弥子さんが僕にマジで尋ねるのならば、僕はシャロンさんの次の写真を見せる他に思い浮かびませんよう。 ![]() ![]() うふふふふ。。。このようなお尻が素晴しいのでござ~♪~ますか? ![]() 卑弥子さんは、同性として何か感じるものはないのですか? 確かにシャロンさんは、きれいな方だとは思いますわ。でも、特にお尻に魅力を感じる事はござ~♪~ませんわ。 そうですかぁ~。。。でも、着こなしがセクシーだとか。。。そのように思うことはありませんか? う~♪~ん。。。確かに、着こなしが洗練されていると思いますわ。でも、芸能人の写真を見るようで、身近な美しさを感じませんわ。 なるほどねぇ~。。。そういうものですかぁ~。。。確かに人体の一部に感じる魅力は人によって違うのでしょうね。寺田先生も、クスクス笑う生徒を見て次のように言ったものですよ。 “まだ、君らには分からないかもしれないなぁ~” 「いえ、先生、僕には分かりますよ」 僕は手を上げて寺田先生に、そう言いたい衝動に駆られたものですよう。 そのようなエピソードがあったので、デンマンさんは寺田先生がユニークだと思うようになったのでござ~♪~ますか? そうですよ。思っていても、なかなか生徒の前で口に出せるものではないですよ。それを自然体で感嘆し、自然に口に出す。凡人には、なかなかできない事だと僕はその時に思ったものですよ。考えてみたら、寺田先生は油絵をやりましたからね、当然デッサンなどで女性のヌードを描いていたと思うのですよ。 つまり、生垣の外を歩く女性を、寺田先生はヌードをデッサンするような目で眺めていたと。。。デンマンさんは、そう思うのでござ~♪~ますか? ![]() ![]() そうですよ、常日頃から美術的に女性の美しさを見出そうとしているような習慣ができていない限り、授業中に窓から見えた女性の尻の美しさに感嘆できる人はまず居ないですよ。しかも、生徒の前で、自然に感嘆の言葉を漏らすのですからね。 ![]() その事がデンマンさんには、とっても感動的だったのでござ~♪~ますか? そうですよ。 『あっちかち (2008年3月25日)』より 『悔恨の気おくれ(2011年7月25日)』にも掲載 ![]() デンマンさん。。。あんさんは「おいど」に拘(こだわ)ってえ~へんと言うたけど、高校生の頃から拘ってますやん。 ![]() あのなァ~、めれちゃん。。。「おいど」に拘(こだわ)ってるのではのうてぇ、美しいものに拘っているのではないかいなァ。 そやけど、その美しいものが「おいど」やんかァ。 ちゃうねん。。。 次のデッサンを見ればわてが「おいど」に拘ってないのが判るやろう? ![]() ![]() 上のデッサンはマジで、あんさんが描きはったん? ![]() そうやァ。。。 。。。で、女性の尻の美しさに共鳴する人がイタリア人にも居る事が分かったので「美尻」について書く気になりはったん? いや。。。そればかりではないねん。 他にも思い出したことがあるの? そうなのやがなァ。。。わては2002年9月26日に旧石器時代の突き出た尻を持っている女性たちのことを記事に書いたのや。 ![]() ![]() ![]() ![]() ■“Sticking-out Buttocks” (2002年9月26日) ![]() 要するに、あんさんはずいぶん以前から「おいど」に拘ってますやん。 ![]() そう見えるか? うへへへへへ。。。 笑ってごまかさんで欲しいわあァ~~。 旧石器時代の「おいど」の大きな女性に、どないな訳であんさんは魅力を感じはったん? 実際に、このような女性が地球上に存在したのやろか?。。。わては不思議に思うたのやがなァ~。。。 旧石器時代のヤらしい男たちが想像して作りはったのやんかァ。 そやけど、エジプトの遺跡にも尻の突き出た女性が出てくるねん。 どの遺跡やのォ~? 紀元前15世紀に建てられたハトシェプスト女王の神殿の壁に次のような女性が描かれている。 ![]() ![]() これは写実的に描いたのやのうて、誇張して描きはったんと思うわァ~。。。 ![]() わては実際にこのような女性が生きていたと思うねん。 その根拠は。。。? 現在でも尻の突き出た女性がおるねん。 どこに。。。? アフリカに。。。 ![]() ![]() あんさんがコラージュして、でっちあがましたのやろう? ![]() いや。。。わてがコラージュしたものではのうて、マジで本物やァ。 実際に写真を撮った人の許可をもろうて記事に掲載したのやァ。 そやけど、実際にこないな人が居るなんて信じられへんわァ。 そやろう? わてだってぇ初めて見た時には信じられへんかった。 でもなァ~、実際にこのような女性がおるのやでぇ~。。。 そやけど、どう言う訳で「おいど」が突き出したのやろか? あのなァ~、わてもその事について、いろいろと考えたのやけど、赤ちゃんをおんぶするときに都合がいいように何百年という進化の過程を経て突き出したのやと思うねん。 ![]() ![]() これは、あんさんがコラージュしましたのやろう? ![]() そうやァ。。。誰が見ても分かり易いように赤ちゃんを付け足したのやァ。 。。。で、あんさんは実際に「おいど」が突き出した女性をアフリカで見やはったん? 見たのや。 マジで。。。? こないな時に、ウソや「でまかせ」が言えるかいな。 。。。で、エジプトのカイロ? それともアレキサンドリアで見やはったん? いや。。。実は、アフリカでないねん。 いったいどこで見やはったん? バンクーバーやがなァ。 マジかいな。。。? こないな時に、ウソや「でまかせ」が言えるかいな。 わてがバンクーバー図書館で記事を投稿しおわって2階のロビーから外に出ると、そこに Marwa (マーワ)さんが目の前を歩いていたのやがなァ。 ![]() ![]() ![]() でも、この上の写真は、あんさんがコラージュしましたのやろう? ![]() そうやァ。。。マーワさんのプライバシーを保護するために、わてがコラージュして作ったものやァ。 そやけど顔の表情を除くと尻の形は、ほぼ実物に近いのやでぇ~。。。 マジかいな。。。? で、あんさんはマーワさんをナンパしやはったん? そないな事をするかいなァ! わてはマーワさんの姿を見た時、まるで雷に打たれたように衝撃が体中を走ったのやァ。 そいで、あんさんは、その場に気絶して倒れはったん? 何を言うてんねん。 気絶して倒れている場合ではないがなァ。。。わては無意識にマーワさんに声をかけていたのやァ。 「実は。。。実は。。。あのォ~。。。私は歴史オタク(history nerd)で古代史や旧石器時代の事について勉強している者なのですが。。。不躾(ぶしつけ)ながら、あなたにぜひ質問したいことがあるのです。 でも、質問の内容があまりにも突拍子もないことなので、とりあえずこの記事を読んでもらえないでしょうか。。。」 そう言って上の記事のURLをノートの切れ端に書いてマーワさんに手渡したのや。 マーワさんは、あんさんの英語の記事を読みはってから、あんさんに会(お)うたの? そうなのやァ。 マーワさんはエジプトのカイロから10年ほど前にカナダに移住してきたのやァ。 カイロでは大学で英文学を専攻したのやけど、カナダではいい仕事が見つからず、スーパーのレジの仕事をやっていたのやけれど、それには飽きたので、もと良い情報関連の仕事に就きたいとかでバンクーバー図書館から歩いて5分のVCC(コミュ二ティ・カレッジ)に通っているそうやァ。 わてはランガラ・カレッジで情報処理工学を教えていたことがあると言うたら。。。「これも何かのご縁ですわね」と言って、うふふふふ、と笑いおったのやァ。 マジかいな。。。? ちょっと話ができすぎているやおまへんか!? とにかく、そないな訳で、マーワさんも情報関連の仕事について話を聞きたいと言うので何度か会ってダベッたわけやァ。 。。。で、マーワさんの「おいど」が大きな訳が分かりはったん? 分かったのや。 ![]() ![]() 実は上の女性はパント(Punt)という古代のアフリカの国の女王なのやァ。 その国は今のエチオピアとソマリア北部にまたがっていた。 マーワさんはカイロで生まれたのやけど、両親はソマリア北部からエジプトのカイロに移住したと言うのやァ。 ![]() つまり、マーワさんの先祖にはパントの女王の血が流れていると、あんさんは言わはるの? 可能性が全く無い訳ではないでぇ~。。。 そないな事が信じられるかいな! とにかく、赤ちゃんを世話するには具合がいいと言うてたでぇ~。。。 (すぐ下のページへ続く) 2011年 09月 09日
美尻(PART 2) ![]() ![]() あんさん。。。調子に乗って、この写真もコラージュしやはったん? ![]() うししししし。。。 。。。で、あんさんもマーワさんの「おいど」にハマッてしもうたのォ~? いや。。。わてはマーワさんの尻の魅力に捕らわれてしもうたわけではないねん。 尻の魅力でないとしたら、他に何の魅力に捕らわれはったん? あのなァ~、日本やったら、マーワさんのような尻を持って生まれてきたら整形外科病院で尻を小さくして、形も標準並みにしてしまうと思うねん。 ところがマーワさんは他人の目など気にせずに親からもろうた自分の体を大切にしているのや。 その気持ちが尊いと思うてなァ。 その気持ちが美しいのやァ。 わては感心してしもうたでぇ~。 本当の喜びは、誰にも注目されていない女性の中にすばらしい美しさを見出したときに得られるのやァ。 【卑弥子の独り言】 ![]() ですってぇ~。。。 確かにそうですわよね。 あたくしだってぇ、この十二単を着ていると、「オツムが可笑しくなってしまったのかしら?」と妙な目で見られることがあるのでござ~♪~ますわ。 でも、そのような好奇の目を気にすることなく、あたくしは日本の伝統を守っているつもりなのですう。 だけど、夏には十二単を着ていると、クソ暑いのよねぇ~。 大きなお尻よりも、このクソ暑さをどうにかして欲しいものでござ~♪~ますわ。 京都は盆地なので夏は茹(う)だるような暑さなのですう。 あまり暑いので、あたくしは今日も冷し中華を食べたくなったのでざ~♪~ますう。 ![]() あああァ~。。。「冷し中華」を思い浮かべただけで汗がタラタラと滲み出てきましたわ。 もういけません! 十二単を脱ぎ捨てて、すぐ近くの中華料理店へ走ってゆこうと思います。 うふふふふふ。。。 とにかく、次回も興味深い話題が続くと思います。 あなたも、また戻ってきてくださいましね。 じゃあねぇ。 ![]() ![]() ィ~ハァ~♪~! メチャ面白い、 ためになる関連記事 ![]() ■ 『きれいになったと感じさせる 下着・ランジェリーを見つけませんか?』 ■ 『ちょっと変わった 新しい古代日本史』 ■ 『面白くて楽しいレンゲ物語』 ![]() ■ 『カナダのバーナビーと軽井沢に 別荘を持つことを夢見る小百合さんの物語』 ■ 『今すぐに役立つホットな情報』 ■ 『 ○ 笑う者には福が来る ○ 』 ![]() ■『夢とロマンの横浜散歩』 ■『愛とロマンの小包』 ■『下つきだねって言われて…』 ![]() ■『銀幕の愛』 ![]() ■『パリの空の下で』 ■『夢の中華パン』 ■『愛の進化論』 ■『漫画家と平和(2011年3月6日)』 ![]() ■『漫画家の壁(2011年3月10日)』 ■『漫画家と奴隷(2011年3月12日)』 ■『畳の上の水練(2011年3月15日)』 ![]() ■『パール判事とゴーマン(2011年3月18日)』 ■『軍隊のない国(2011年3月21日)』 ■『士風と「葉隠」(2011年3月23日)』 ![]() こんにちは。ジューンです。 お尻は大きくもなく、小さくもなく ほどほどがよろしいようですわね。 お料理も甘すぎず辛すぎず ほどほどのお味が良いようです。 デンマンさんは四川料理の辛いのが好きなのですわ。 私には辛すぎるのです。 そのような訳で、デンマンさんが久しぶりに ご馳走してくれると言ったので 四川料理ではなく、シルビアホテルの近くの イタリア・フランス料理専門レストランへ行きました。 ![]() ![]() ![]() ![]() デンマンさんが、何が食べたいの?ときくので、 ちょっとおねだりして仔牛と フォアグラのローストをリクエストしました。 ![]() う~♪~ん。 期待していた通りですう。 仔牛は、フランス語で「ヴォー」veau、 英語では「ヴィール」vealですよね。 まだ脂肪が少なくて赤い色も薄い感じです。 特徴は香りやクセがなく、 とても柔らかいのですわ。 その分、バターなどコクのある食材と あわせる場面が多いようです。 今回は春キャベツで包んだ乳飲仔牛と フォアグラのローストです。 マルサラ酒とリコッタチーズのソースが とっても合っていました。 2色のアスパラガスが添えてあって、 落ち着いた感じを与えています。 フレッシュでクセの無い乳飲仔牛に合わせるのは 贅沢にも濃厚なフォアグラですう。 やわらかな春キャベツと季節のアスパラは、 お肉とぴったりと相性が合っていましたよ。 ソースはしっかり目に全体をまとめていました。 普段、口にする機会がないヴィールと フォアグラなので、とっても期待していました。 デンマンさんが特別に注文してくれた カクテル「楊貴妃」が、まず出てきました。 ![]() わたしが首を長くして待っている間 デンマンさんは楊貴妃の大理石像を見るために わざわざ中国の西安に行ったときの事を、 いろいろと話してくれました。 ![]() 料理が出てくるのを待ちながら、 わたしは「楊貴妃」をチビリチビリお口に運びました。 いつものようにデンマンさんは、 かなり詳しい歴史のお話をしてくれましたが、 わたしは半分、上の空で聞いていました。 うふふふふ。。。 ![]() 次に出てきたのはイタリア料理の バヴェッティーネでした。 焼穴子、あさりと松茸に、たっぷりの 芽葱(ネギのスプラウト)があしらってありました。 食べた瞬間、京都の老舗(しにせ)で味わうような 上質の和食を連想させる優しい味わいでした。 ![]() そして、デザートにはクレームエペスでした。 クレームエペスと言うのは、 フランス・ノルマンディー地方の 生クリームの一種です。 乳酸発酵させた爽やかな 酸味と芳醇なコクが特徴です。 クリーミーなヨーグルトといった感じの味わいですわ。 エペス(epaisse)とはフランス語で 「厚い」「濃い」という意味の形容詞で、 その味わいを表現しています。 なぜか、どこか懐かしいキュートなテイストでしたわ。 フレッシュな巨峰との相性が抜群でした。 ![]() ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。 楽しいですから、ぜひ読んでみてくださいね。 ■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』 ![]() では、今日も一日楽しく愉快に ネットサーフィンしましょうね。 じゃあね。 ![]() ![]() 2011年 06月 15日
シルヴィーとケネディ夫人(PART 1 OF 4) ![]() ![]() ケネディ夫人 ![]() 政治の街、ワシントンには、二種類の人間がいる。 ジャンピエールを知っている人と彼の存在を知らない人だ。 まだほんの一握りの選ばれし者たち、エスタブリッシュメントと呼ばれる一群が、この政治・情報都市を支配していた時代、仲間内でこう囁(ささや)かれていたのである。 彼らパワー・エリートたちは、首都の地下水脈から滲み出てくる情報を一手に握り、それゆえに権力を支配することができたのだった。 情報と人脈が毛細血管のように張り巡らされたこの街の結節点に位置していたのが、高級フレンチ・レストラン「リヨン・ドール(黄金の獅子)」だった。 そして、オーナー・シェフのジャン・ピエール・ゴイエンバーレこそ、権力という名の交響楽をともに奏でる指揮者であった。 (中略) 「思い出の賓客のなかで、たったひとりだけ、忘れえぬ人を挙げるとすれば誰でしょうか」 伝説に包まれたオーナー・シェフに、こう水を向けてみた。 ジャン・ピエールの答えは、映画『ローマの休日』で記者会見に臨んだオードリー・ヘップバーン扮する王女のようだった。 ![]() 「そりゃどのお客様も、それぞれにじつに印象深い方々ばかりでした。 どなたか、ひとりだけと言われましてもね。 とてもお答えできるものでは……」 そう言いかけて、ジャン・ピエールは言葉を呑みこんだ。 「いや、やはり、ジャクリーヌ・ブーヴィエ・ケネディ夫人でしょう」 彼はきっぱりと言い切った。 フランス姓のミドル・ネームまで丁寧に言い添えて。 「なんと申し上げても、あの方を措いて他にはありますまい」 「リヨン・ドール」の入り口に現れたその瞬間から、店内はぱっと明かりが灯ったようだったという。 ![]() 「なんとも華がおありでした」 オーナー・シェフは、往時を懐かしんだ。 「私には時々フランス語で話しかけてくださることもございました。 なんとも典雅な所作は、そりゃ、今でも隅々まで思い起こすことができます」 ほっそりと伸びた指で操る、そのフォークさばきは、上品このうえなかったという。 (注: 赤字はデンマンが強調 写真はデンマン・ライブラリーより) 26 - 32ページ 『葡萄酒か、さもなくば銃弾を』 著者: 手嶋龍一 2008年6月4日 第3刷発行 発行所: 株式会社 講談社 ![]() ケイトー...どうして私とケネディ夫人の写真を並べて貼り出したの? ![]() あのねぇ~、シルヴィーがまだインドネシアに居る頃にアメリカが当時のスカルノ大統領に接近していたのですよ。 どうして。。。? 当時はアメリカとソ連が冷戦の真っ最中だった。 インドネシアには次のような問題があった。 シルヴィーも知っているでしょう? 1949年のハーグ協定によってオランダがインドネシア独立を認めた際に、最後まで難航したのはオランダ植民地であったニューギニアの帰属であった。 オランダはニューギニアの住民はマレー系民族のインドネシアとは異なる別民族であると主張していた。 1910年にオランダは蘭領東インドからニューギニアを切り離して別個の植民地にしたこともありインドネシア領土の対象外であるとした。 インドネシアの民族主義者たちは全オランダ領がインドネシアとして独立することを望んでいた。 結局、ニューギニア問題は棚上げにしてハーグ協定は締結されたが、その間にオランダはジャワ島、スマトラ島からニューギニアへのオランダ人の入植者を募った。 1961年12月1日、オランダ領は国連暫定統治に置かれたが、オランダは新たに国旗、国歌を制定しパプア国としてニューギニアを独立させる準備をすすめた。 ![]() スカルノ大統領と周恩来首相と デヴィ夫人 ムルデカ宮殿(1964年) (Merdeka Palace in Jakarta) オランダの対応に業を煮やしたスカルノ大統領は総力をあげてトリコラといわれるイリアン奪回を宣言した。 そして1961年12月、マンダラ作戦と称する軍事行動を開始した。 海戦で砲火を交え、落下傘部隊の降下作戦を指揮したのは後に大統領になるスハルト将軍であった。 ![]() スハルト将軍 さらにインドネシアは強硬策を講じ国内のオランダ資産を没収した。 事態の進展に憂慮したアメリカの支援をえて外交交渉の結果、1962年のニューヨーク協定でニューギニアのオランダ領の暫定統治はインドネシアに委任され、数年後に住民の意志を確認した後にインドネシアに 併合されることになった。 ![]() デヴィ夫人が写真に写っている1964年当時、私はまだ小さかったのよ。 上に書いてあるような事件は全く知らなかったわ。。。で、アメリカのケネディ大統領がインドネシアに好意的だったの? ![]() あのねぇ、当時のケネディ大統領がインドネシアに好意的だったのは、ニューギニア帰属問題でスカルノ大統領を怒らせるとインドネシアがアメリカから離れて中国とソ連側の共産党陣営につくことを恐れたからですよ。 。。。で、ケネディ夫人がニューギニア帰属問題にからんでいるの? いや、直接絡んでなかったけれど、この当時、ケネディ家にもいろいろと問題があってねぇ。。。 どのような。。。? ちょっと読んでみてくださいよ。 (ケネディ夫人の実家)ブーヴィエ家の高貴な血は偽りだった。 フランスのドフィーネ地方の名家ブーヴィエと何のつながりもなかったのである。 ジャクリーヌの祖父に当たるジョン・ブーヴィエ・ジュニアが、大枚をはたいて「虚構の家系図」を買い取ったのだった。 後に歴史家がその事実を詳しく考証している。 (中略) 作家スコット・フィッツジェラルドが『華麗なるギャツビー』で描いた、あの豪勢な世界に住みたければ、富と権力を兼ね備えた男をつかまえることよ。 これが、実の母、ジャネット・リーが身を以って娘に教えた人生訓だった。 ミス・ポーターズ校の学費にさえ、事欠いてしまう。 実の父が投機で失敗し、仕送りも滞りがちになったからだ。 母の再婚によってオーチンクロス家の片隅に加えられはしたが、その目くるめくような資産の相続には与(あずか)れなかった。 ジャクリーヌもまた自力で富のある男を探さねばならなかった。 その標的こそ、ケネディ財閥の独裁者、ジョセフ・P・ケネディ・シニアだった。 華やかなパーティの席上で、ある日、ジョセフの次男ジョン・フィッツジェラルド・ケネディに出会う。 ![]() 彼はすべての人を虜(とりこ)にしてしまう魅力に溢れていた。 自分の内面を怜悧に見つめる内省的な知性、自らを貶(おとし)めて相手を笑わせる独特のユーモア。 ジャクリーヌ・ブーヴィエもたちまち彼に魅せられてしまった。 (中略) ジョンの父ジョセフは、女優グロリア・スワンソンを公然の愛人にしていただけではない。 ![]() この親子は、寝室を共にした女の数を競い合い、同じ女性を融通することまでしていたのだった。 ジョンはジャクリーヌを娶(めと)った後も、合衆国大統領の座を目指しながら、一方で、女優、人妻、客室乗務員、秘書、ジャーナリスト、コールガールと、おびただしい数の女性と関係を持ち続けていた。 ジャクリーヌは、次第にそうした一族の秘密を知るようになる。 33 - 37ページ 『葡萄酒か、さもなくば銃弾を』 著者: 手嶋龍一 2008年6月4日 第3刷発行 発行所: 株式会社 講談社 ![]() でも、これはJFKが大統領になる前のことでしょう? ![]() いや、前にも話したとおり女性問題はJFKが大統領になってからもホワイトハウスに持ち込まれたのですよ。 。。。で、ケネディ大統領とインドネシア動乱(9.30事件)が関係あるの? インドネシア動乱(9.30事件)が起こったのでシルヴィーは家族と一緒にオランダに逃げ出したのだけれど、もしケネディ大統領が暗殺されなかったら、CIAが裏で動いたインドネシア動乱(9.30事件)は起こらなかったかもしれない。 つまり、動乱が起こらなかったらシルヴィーと僕はカナダで出会うことはなかったかもしれない。。。 ケイトーは、どうしてそう思うの? ちょっと次の文章を読んでみてね。 (すぐ下のページへ続く) 2011年 06月 15日
シルヴィーとケネディ夫人(PART 2 OF 4) ケネディ政権 ![]() ケネディ政権には、国家の安全保障を委ねられるにふさわしい「最も聡明にして賢明な者たち」が結集しているとされた。 国家安全保障担当大統領補佐官には、ハーバード大学の学長を努めたマクジョージ・バンディが、また国防長官にはフォード社長からロバート・マクナマラが起用された。 「若いながらも、当代切っての」と謳われた逸材が綺羅星のように居並んでいた。 だが、大統領が核戦争の淵に立たされたとき、縋(すが)るようにして頼ったのは、ワシントン政界の奥深く棲むフクロウといわれた老政客(ロバート・ロベット翁)だった。 (中略) すでに空軍を中心に軍部は不穏な動きを見せていた。 ペンタゴンでは、キューバへの空爆の準備を着々と進めていたのだった。 大統領の最終的な命令が下れば、直ちに爆撃機を発進できるように空爆目標の選定もほぼ終わっていた。……主戦論の中核にいたのが、空軍参謀長、カーティス・ルメイだった。 この主戦派は、かつてドイツと日本への戦略爆撃を指揮し、空の英雄と呼ばれていた。 戦後もアメリカン空軍に君臨して、膨大な軍事予算を握り、多数の国防族議員まで要して巨大な政治集団を形成していた。 そのため、ジョン・F・ケネディは、カーティス・ルメイを頂点とする空の制服組を抑えるため、ロベット翁の隠然たる政治的権威を必要としたのだった。 (中略) ジョン・F・ケネディは、軍部の空爆論を抑えて、海上封鎖に傾いていった。 キューバへの海上航路を遮断し、ソ連がこれ以上のミサイルを持ち込むことを断じて許さないという決意を示そうとしていた。 だが、空からの奇襲を強く主張する空軍を率いるカーティス・ルメイは、武力行使に同調しない大統領に詰め寄った。 「私は大統領とは違い、キューバを爆撃しても、ソ連がベルリンを攻撃することはないと考えております。 空爆を断念することは、ミュンヘンの宥和主義とおなじくらい悪しき選択です」 ミュンヘン宥和主義。 ケネディ一族に対して毒を含んだ物言いだった。 1938年のミュンヘン会談で、イギリスはチェコスロバキアのズデーテン地方をヒトラーに分け与えることで一時の平和を保とうとし、それが第二次世界大戦に道を開いてしまったといわれた。 当時駐英大使だったケネディの父ジョセフは、このミュンヘンの宥和主義を支持したと批判されていたからだ。 だが、カーティス・ルメイの挑発をしりぞけて、大統領は海上封鎖に心を決めていた。 「諸君の見解は尊重する。 なぜ、海上封鎖を選択するのか。 それは全面核戦争へのエスカレーションを避けなければならないからだ」 ジョン・F・ケネディがこういい残して退席したあと、将軍たちが若き大統領をあしざまに罵る様子が「ケネディ・テープ」に録音されている。 (注: 赤字はデンマンが強調 写真はデンマン・ライブラリーより) 107 - 111ページ 『葡萄酒か、さもなくば銃弾を』 著者: 手嶋龍一 2008年6月4日 第3刷発行 発行所: 株式会社 講談社 ![]() カーティス・ルメイは大変な人物なのですよ。 しかも、この空の英雄は自分でもやってはいけない事をしたと認識していた。 ![]() ケイトーはどうしてそのようなことを平気で言えるの? カーティス・ルメイの略歴を見ると分かりますよ。 カーチス・ルメイ キューバ危機勃発時には、キューバ空爆をジョン・F・ケネディ大統領に提案したが却下された。 ルメイら空軍首脳部は圧倒的な兵力でソ連を屈服させることが可能であると思っていた。 実際にはキューバ危機の時点ですでにキューバに核ミサイルが数十基配備済みであったことは、第三次世界大戦を招きかねない完全な見当違いであった。 ベトナム戦争では空軍参謀長の任にあり、「(北)ベトナムを石器時代に戻してやる」と豪語して北爆を推進した。 なお、北爆が開始された1965年に除隊した。 叙勲と波紋 1964年航空自衛隊創立10周年に、航空幕僚長の浦茂の招待を受け来日、航空自衛隊創設時の戦術指導に対する功績により、日本政府より勲一等旭日大綬章を授与された。 これは参議院議員で元航空幕僚長源田実と小泉純也防衛庁長官からの強力な推薦によるものであった。 なお勲一等に叙する勲章は本来、授与に当たって直接天皇から渡される(天皇親授)のが通例であるが、昭和天皇はルメイと面会することはなかった。 ルメイは第二次世界大戦時に日本の都市に対する無差別戦略爆撃を立案・指揮者であることから、日本国内では叙勲に対し「勲章は誰の血であがなわれた物か」と批判が根強くあり、国会でも社会党などを中心として反対論があった。 批判が強い状況での叙勲の経緯については、源田実の特攻隊戦術の責任不問との交換材料など、さまざまな推測がなされている。 なお、ルメイは叙勲について自ら進んで公表することはなかったが『NHK特集 東京大空襲』でのNHKの取材にインタビューには応じず、勲章を見せ(間接的に)責任不問を示した。 現在でも授章を取り消し・返還をするべきだと批判する意見がある。 退役後 1965年2月に退役。1968年には、ベトナム戦争の推進を支持し、人種差別的な綱領を掲げた前アラバマ州知事、ジョージ・ウォレス大統領候補とともにアメリカ独立党 (American Independent Part)の副大統領候補として出馬するが落選。 1990年10月1日没。 評価 ルメイの行為は、多くの罪の無い民間人を殺戮したことに加え、貴重な文化財(寺院・仏閣・城郭など)を灰燼に帰す結果をもたらしたために、特に対日作戦について、前任者であるハンセル准将と違い、一部政治家、文化財研究家からは強く非難されている。特に日本では、ルメイは残虐な無差別戦略爆撃の父として評価が定まっている。 右派においてもアメリカに批判的な者の場合、小林よしのりのように、著作で批判的に取り上げる例がある。 また、ルメイに近い戦勝国で計画を進める側の立場にあったマクナマラも『フォッグ・オブ・ウオー』で「勝ったから許されるのか?私もルメイも戦争犯罪を行ったんだ」とも述べている。 しかしルメイの立場から見れば、その戦略はあくまでも戦争において敵の損失を最大化させるという爆撃部隊における合理性と効率を追求したものであるという。 ![]() ルメイ自身は「アメリカが敗戦するなら自分は戦争犯罪人として処せられる」と述べている。 また、ドイツ本土への爆撃に赴く搭乗員に対して次のようにも述べている。 ![]() 君が爆弾を投下し、そのことで何かの思いに責め苛まれたとしよう。そんなときはきっと、何トンもの瓦礫がベッドに眠る子供のうえに崩れてきたとか、身体中を炎に包まれ『ママ、ママ』と泣き叫ぶ三歳の少女の悲しい視線を、一瞬思い浮かべてしまっているに違いない。 正気を保ち、国家が君に希望する任務を全うしたのなら、そんなものは忘れることだ。 ドイツ空襲の意見を聞かれて 『戦略・東京大空襲』 E・バートレット・カー著・大谷勲訳 (注: 赤字はデンマンが強調 写真はデンマン・ライブラリーより) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 アメリカが敗戦するなら 自分は戦争犯罪人として処せられる ![]() カーティス・ルメイはこのように言っていた。 つまり、やってはいけない事を自覚していたのですよ。 ![]() でも、戦争というのは人間がやってはいけない事をするのがそもそも戦争でしょう? だったら戦争が終わった後でニュールンベルグ裁判や東京裁判をやって敵国人の将軍を死刑にするのはヤバイと思うよね。 勝ったアメリカの将軍だって人間としてやってはいけない事をやったのだから。。。 でも、「勝てば官軍」と日本の諺にもあるじゃない。 戦争に勝てばどこの国だって勝手な事をやるものなのよ。 シルヴィーってぇ、けっこうドライに割りきってしまうんだね。 だってぇ、歴史を見れば、そういうことでしょう。 負けたら悲惨な目にあうのよ。 つまり、インドネシア動乱(9.30事件)が起こったのでシルヴィーは家族と一緒にオランダに逃げ出したのだけれ、別にシルヴィーはなんとも思ってないの? 昔の事をとやかく言っても仕方がないでしょう。 もう過去に後戻りすることはできないのだから。。。 だから、そのような惨めな事が二度と再び起こらないように、こうして僕とシルヴィーが語り合っているんじゃないか! でも、悪い人たちは権力とお金を求めて戦争を起こすものなのよ。 だから、そういう人たちが戦争を起こさないように、僕とシルヴィーが語り合っているんじゃないか! 語り合うだけで戦争が起きないとしたら国際連合なんていらないわよ。 あのねぇ、シルヴィーは、そう言うけれど、国際連合があっても戦争は起きているんだよ。 だから、こうして語り合っても何にもならないのよ。 誰もが戦争を嫌がるけれど、戦争はなくなっていない。 起きるものは起きるのよ。 いや。。。誰もが戦争を嫌がるわけじゃない。 戦争が好きな人なんて居ないわよ。 それが居るんだよ! どこに。。。? 「ケネディ政権」の引用の中に書いてあるでしょう!? (空の英雄は)戦後もアメリカン空軍に君臨して、 膨大な軍事予算を握り、 多数の国防族議員まで要して 巨大な政治集団を形成していた。 この集団こそ戦争を起こそうと考えていた主戦派だったのですよ。 つまり、戦争の好きな人たちだったのですよ。 かつてアイゼンハワー将軍も苦々しく思っていたのですよ。 マジで。。。? ジューンさんも次のように書いていましたよ。 (すぐ下のページへ続く) 2011年 06月 15日
シルヴィーとケネディ夫人(PART 3 OF 4) ![]() こんにちは。ジューンです。 「軍産複合体」って聞いたことがありますか? 1961年1月、アイゼンハワー大統領が 退任演説の中で 「軍産複合体」の存在を指摘しました。 米国での「軍産複合体」は、軍需産業と 軍隊の総元締めである国防総省 それに政府(議会、行政)が結びついたものです。 第41代および第43代米国大統領を 生み出したブッシュ家は、 軍産複合体を生業としてきました。 第43代米大統領の曽祖父のサミュエル・ブッシュは オハイオ州で兵器を製造していた バッキー・スティール・キャスティング社を 経営していました。 祖父のプレスコット・ブッシュは東京大空襲で 大量に使用された焼夷弾である 集束焼夷弾E46の製造を 行なっていたドレッサー・インダストリーズ社に 関与していたのです。 第41代ブッシュ大統領は このド社の石油部門で働いていたのです。 その後、第41代ブッシュ大統領はCIA長官、 副大統領、大統領時代において、 海外との兵器貿易を押し進めており、 副大統領時代には イラン・コントラ事件が起きています。 この事実だけを見ても、 「軍産複合体」の動きが見えてきますよね。 ![]() ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。 楽しいから、ぜひ読んでみてくださいね。 ■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』 ![]() では、今日も一日楽しく愉快に ネットサーフィンしましょうね。 ![]() 『軍隊のない国家』 (2011年3月21日) ![]() つまり、ほとんどの市民は戦争が嫌いだけれど、「軍産複合体」を支持している人たちは戦争が大好きだとケイトーは言うのォ~? ![]() その通りですよ。 つまり、ケネディ大統領が邪魔になったので「軍産複合体」の狂信的な一部の人が暗殺計画を立てて遂行したとケイトーは言うのォ~? シルヴィーもやっと僕の言おうとしている事が判ってきたようだね。 でも、ケネディ大統領を暗殺したのはオズワルドということで決着がついてるじゃない。 決着はついてませんよ。 ちょっと『ウィキペディア』の暗殺の箇所を読んでみてくださいよ。 ジョン・F・ケネディ ![]() ケネディは1963年11月22日に、遊説先のテキサス州ダラスの市内をオープンカーでのパレード中に狙撃され、暗殺される。 まさにその日行われた初の日本とアメリカ間のテレビ中継実験(衛星通信)を通じ、日本にも即座に報じられた。 暗殺者と暗殺理由は多くの説があり、以下のように有力な説はあるものの、いまだに結論が得られていない。 その主な原因は、証拠物件の公開が政府によって2039年まで不自然に制限されたり、また大規模な証拠隠滅が行われたと推測できる事象が多くあるためである。 衣料販売店を経営するエイブラハム・ザプルーダーによって撮られた暗殺の瞬間の8ミリ映像(「ザプルーダー・フィルム」と呼ばれている)は、映画『JFK』(オリバー・ストーン監督)、インターネットなどで容易に見ることができる。ケネディの頭部は致命的と見られる射撃によってひどく破壊され、後方に動いている。その致命的な射撃は前方から行われたようにも見えることから、この映像はオズワルド以外の狙撃者の存在について様々な議論を生んだ。直後にケネディ夫人が動揺した様子で後方に目を移し、オープンカーの後方部分に這い出て、護衛にすぐ引き戻されている映像が独立した複数の映像から確認できる。 ケネディ夫人自身はその行動を認め、後方に吹き飛んだケネディの頭部破片を拾うために這い出たことを後に裁判で証言している。 実際、彼女はケネディの頭部の骨片を医師に渡している。また、ケネディが撃たれた場所の前方の丘の上(グラシー・ノール grassy knoll)での不審な事象について複数の一般人の証言がある。 これらは、射撃はすべて「後方から」リー・ハーヴェイ・オズワルド一人によって行われたとする暗殺真相究明委員会(ウォーレン委員会)による政府側報告書と矛盾しており、陰謀の存在が指摘される理由となっている。 ケネディの急進的なベトナム戦争撤退の方針が政府側もしくは軍産複合体の利害と対立して、ケネディ暗殺につながったという説など、様々な主張が存在する。 (注: 赤字はデンマンが強調 写真はデンマン・ライブラリーより) 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ![]() つまり、オズワルドはスケープゴートにされただけで、本当の黒幕は「軍産複合体」の一部の狂信者だとケイトーは言うのォ~? ![]() その通りですよ。 そんな事を言うと「軍産複合体」に雇われた殺し屋にケイトーは殺されてしまうわよ。 どうせ一度は人間は死ぬのだからねぇ。。。うへへへへへ。。。 ケイトーは見かけによらず馬鹿なのね。 「馬鹿は死ななきゃ治らない」というでしょう!? うしししし。。。 冗談言っている場合じゃないのよ! 「軍産複合体」と言うからには国防総省、つまりアメリカ政府も関わっているということじゃないの。 そうですよ。 アメリカ政府が大統領を暗殺する計画に関わっているはずがないじゃないの! あのねぇ~、僕はアメリカ政府のすべてがケネディ大統領暗殺に関わったと言うつもりはないのですよ。 でも、そのように聞こえるじゃない? アメリカ政府の役人の一部には常識では考えられない事をする人たちが過去には居たのですよ。 今だって居るに違いない! マジで。。。? その証拠でもあるの? ありますよ。。。このようなことを根拠も無く言ったらマジで殺されますからね。 根拠を示して言ったら、本当に殺されるわよ? ケイトー。。。命が幾つあっても足りないわよ!。。。で、その証拠と言うのは、どういうことなのよ。 ちょっと読んでみてくださいよ。 アメリカ政府の人体実験 ![]() アメリカ政府の非倫理的研究への関与については、1972年、あるショッキングな事実が発覚し、アメリカ市民の注目をあびた。 なんと連邦公衆衛生局の指揮下で、約40年間にわたり、未治療梅毒の長期症状に関する研究が行われていたというのだ。 タスキーギ研究と呼ばれるこの研究は、1932年、アラバマ州のある田舎で始まった。……未治療梅毒の経過を観察するために399名の貧しい黒人が使われ、対照群として201名の黒人が使われたことが判明している。 (中略) 梅毒は、放っておけば最後には身体の器官のほとんどが損なわれる可能性のある恐ろしい病気だ。顔が醜く崩れ、心臓の血管に大動脈瘤ができ、脳が冒されて痴呆になることもある。 400名の人が、なぜそんな苦しみを味わうことに同意したのだろう。 (中略) 事件が公になったとき、公衆衛生局の役人はさまざまな方法で責任逃れをしようとした。 (中略) 1974年、集団訴訟の結果、アメリカ政府は生存者と家族に1千万ドルを支払った。 (注: 赤字はデンマンが強調。 写真はデンマン・ライブラリーより) 262 - 266ページ 『CIA洗脳実験室』 著者:ハービー・M・ワインスタイン 訳者: 苫米地英人 2010年5月4日 初版第1刷発行 発行所: WAVE出版 ![]() あらっ。。。マジでこのような酷い事がアメリカ政府の役人によって行われたの? ![]() マジですよ。 もし、アメリカ政府がケネディ大統領暗殺に関わっていなかったら、次のような事をしないものですよ。 (ケネディ大統領暗殺)証拠物件の公開が 政府によって2039年まで不自然に制限された あたかもソ連が関係あるかのようにオズワルドを犯人に仕立てた。 やる事が見え見えですよ。 2039年になれば犯人がはっきりしますよ。 でも、どうしてケネディ大統領が暗殺されることになったの? ベトナムから軍隊を完全に撤退することにしたからですよ。 ちょうど、主戦派のキューバ空爆を取りやめた時のように。。。 (すぐ下のページへ続く) < 前のページ次のページ >
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