デンマンが日々思ったこと考えたこと感じた事を書きます。


by denman705

カテゴリ:日本史( 272 )

美人とブス@大奥 (PART 1)



 


美人とブス@大奥 (PART 1)


 



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デンマンさん。。。 今日はネット市民の皆様が関心を示すような話題を選んだのでござ~♪~ますかァ?



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そうです。。。 いけませんかァ~。。。


いいえ。。。 でも。。。、でも。。。、「大奥の美人とブス」というタイトルは差別語になるのではござ~ませんかァ?


あのねぇ~、言葉自体に良いも悪いもありませんよ! 差別するのは、言葉じゃなくて、人間です。。。 だから、“差別語”だとか、“言葉狩り”というのは間違っているのですよ。。。 差別する人間が悪いのです。。。 それを言葉の責任になすりつけるのは間違ってます。。。


なんだか、屁理屈のように聞こえますわァ~。。。 で、どういうわけで大奥を取り上げたのでござ~ますかァ?


たまたま、上のYouTubeのクリップを観たのです。。。


それで、急に大奥について あたくしと語り合おうと思ったのでござ~ますかァ?


そうです。。。 卑弥子さんは不満なのですか?


いいえ。。。 実は、あたくしは、ものすごく関心があるのですわァ~。。。


それは、また どういうわけでぇ~。。。?


ごくわずかな男性を除いて、女だけの禁断の園ですわァ~。。。 女の生臭い欲望が渦を巻いている世界です。。。 あの悪名高い「江島生島事件」などを知るにつけ、あたくしはとっても異常な世界だと思ったのでござ~ますわァ~。。。




江島生島事件



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江島生島事件(えじま いくしま)は、江戸時代中期に江戸城大奥御年寄の江島(絵島)が歌舞伎役者の生島新五郎らを相手に遊興に及んだことが引き金となり、関係者1400名が処罰された綱紀粛正事件。
絵島生島事件、絵島事件ともいう。


正徳4年1月12日(1714年2月26日)、時の徳川家第七代将軍である家継の生母月光院に仕える御年寄・江島は、主人の名代として同じ年寄の宮路と共に上野寛永寺、増上寺へ前将軍家宣の墓参りに赴いた。
その帰途に懇意にしていた呉服商後藤縫殿助の誘いで木挽町(現在の東京都中央区東銀座界隈。歌舞伎座周辺)の芝居小屋・山村座にて生島の芝居を見た。


芝居の後、江島は生島らを茶屋に招いて宴会を開いたが、宴会に夢中になり大奥の門限に遅れてしまった。
大奥七ツ口の前で通せ通さぬの押し問答をしている内にこの事が江戸城中に知れ渡り、評定所が審理することになった。


当時の大奥には、7代将軍家継の生母月光院を中心とする勢力と前将軍家宣の正室天英院を中心とする勢力とがあった。
月光院が家継の学問の師である新井白石や側用人の間部詮房らと親しい事から、大奥では月光院側が優勢であった。


 


処罰


評定所や江戸中町奉行坪内定鑑・大目付仙石久尚・目付稲生正武らによって関係者が徹底的に調べられ、それにより大奥の規律の緩みが次々と明らかにされた。
江島は生島との密会を疑われ、評定所から下された裁決は死一等を減じての遠島(島流し)。


連座して、旗本であった江島の異母兄の白井勝昌は武士の礼に則った切腹ではなく斬首、弟の豊島常慶は重追放となった。
月光院の嘆願により、江島についてはさらに罪一等を減じて高遠藩内藤清枚にお預けとなったが、事実上の流罪であった。


江島の遊興相手とみなされた生島は三宅島への遠島、山村座座元の五代目山村長太夫も伊豆大島への遠島となって、山村座は廃座。
この巻き添えを食う形で江戸中にあった芝居小屋は簡素な造りへ改築を命ぜられ、夕刻の営業も禁止された。


このほか、取り巻きとして利権を被っていた大奥御殿医の奥山交竹院とその弟の水戸藩士、幕府呉服師の後藤とその手代、さらには材木商らも遠島や追放の処分を受けるなど、大奥の風紀粛正のために多数の連座者が出され、最終的に50人近くの人が罰せられた。


 


事件にまつわる諸説


当時の江戸城大奥に天英院派と月光院派の二代勢力があった経緯から、本事件は月光院の失墜を狙った天英院の陰謀であったと言われているが、事件後における月光院の影響力や、大奥勢力の相関関係などが不明であり、また天英院による謀議を裏付ける史料もないため、憶測の域を出ない話である。


この陰謀説に関しては小説や映画などから生まれた創作である可能性もあり、山岸良二も天英院が代参制度を利用して事件化することは、その後に代参が規制対象となるリスクもあり、現実的ではないとしている。


江島が生島を長持の中に入れて大奥に忍び込ませ、逢瀬を繰り返したという話があるが、ただの俗説に過ぎず、当時の史料には書かれていない。




出典: 「江島生島事件」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



つまり、卑弥子さんが、もし江戸時代に生きていて、大奥に送り込まれるようなことになれば、とても我慢して生きてはゆけないほどの異常な世界だと言うのですかァ~?



当たり前でござ~ますわァ~。。。 当たり前田のクラッカー!



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あれっ。。。 卑弥子さんまでが このギャグを使うのですかァ~?



だってぇ~、デンマンさんがネットで流行(はや)らせたのですわァ~。。。! 。。。で、大奥にいる美人とブスが対立した事件もあったのでござ~ますか?


あのねぇ~、上の「江島生島事件」のクリップでは、この事件は8代将軍の徳川吉宗の陰謀だと言ってるのだけど、『ウィキペディア』にも書いてある通り、天英院の陰謀であったと言われているが、事件後における月光院の影響力や、大奥勢力の相関関係などが不明であり、また天英院による謀議を裏付ける史料もないため、憶測の域を出ない話なのですよ。。。


。。。で、大奥にいる美人とブスの対立は。。。?


卑弥子さんは、大奥にいる美人とブスに拘(こだわ)っているのですねぇ~。。。?


だってぇ~、デンマンさんが美人とブス@大奥というタイトルを付けたのですもの。。。 当然、大奥の美人とブスがどうなったのか興味がありますわァ~。


あのねぇ~、「江島生島事件」というのは七代将軍である徳川家継の治世に起きた事件なのですよ。。。 この事件の2年後に家継が亡くなると、天英院が推していた(月光院が推していたとする説もある)紀伊藩主徳川吉宗が8代将軍となったのです。。。


それで。。。?


当然、「江島生島事件」は、吉宗の時代になっても、影響が残っていた。


それは、どのような。。。?


つまり、将軍吉宗は、あの有名な「享保の改革」を実行するのですよ。。。


それは、どういうわけで。。。?


あのねぇ~、大奥で消費された1日の砂糖の量は 記録に残っている範囲で 最大で どのくらいの量を消費したと思いますか?


 



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1) 10キロ 2) 30キロ 3) 100キロ


4) 200キロ 5) 300キロ 5) 600キロ 



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300キロぐらいでしょうか。。。



それがなんと、600キロも消費していたことがあったのですよ。 大奥の女中は、4000人いたと言われるくらい多くの女がいたのです。。。 大奥の生活の中で、お菓子などに使うため砂糖が1日600キロも消費されたわけです。。。


マジで。。。?


その当時の砂糖は輸入品で、金の価値と等しいと言われるくらいですから大変な金額だったのです。。。 このようなことでも分かるように、幕府財政の中で大奥の支出は莫大なものだった。。。 飢餓で死んでいくものも多くいた世の中で、大奥は贅沢をしていたのですよ。。。


それで、徳川吉宗さんは「享保の改革」を実行しようとしたのでござ~ますかァ?


そうです。。。



享保の改革


 


将軍に就任すると、第6代将軍・徳川家宣の代からの側用人であった間部詮房や新井白石を罷免したが、新たに御側御用取次という側用人に近い役職を設け、事実上の側用人政治を継続した。


吉宗は紀州藩主としての藩政の経験を活かし、水野忠之を老中に任命して財政再建を始める。


定免法や上米令による幕府財政収入の安定化、新田開発の推進、足高の制の制定等の官僚制度改革、そしてその一環ともいえる大岡忠相の登用、また訴訟のスピードアップのため公事方御定書を制定しての司法制度改革、江戸町火消しを設置しての火事対策、悪化した幕府財政の立て直しなどの改革を図り、江戸三大改革のひとつである享保の改革を行った。


また、大奥の整備、目安箱の設置による庶民の意見を政治へ反映、小石川養生所を設置しての医療政策、洋書輸入の一部解禁(のちの蘭学興隆の一因となる)といった改革も行う。


またそれまでの文治政治の中で衰えていた武芸を強く奨励した。


 



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また、当時4000人いた大奥を1300人まで減員させた。


一方で、年貢を五公五民にする増税政策によって、農民の生活は窮乏し、百姓一揆の頻発を招いた。


また、幕府だけでなく庶民にまで倹約を強いたため、経済や文化は停滞した。


この当時、近松門左衛門の人形浄瑠璃の影響で流行した心中を抑制するために、心中未遂で生き残った男女を人通りの多い場所でさらしものにさせる、といったことも行っている。




出典: 「徳川吉宗」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



はい。。。 では、ここで卑弥子さんのための問題です。。。



その問題は 美人とブス@大奥 と関係あるのでござ~ますかァ?


当たり前田のクラッカー! 将軍吉宗は当時4000人いた大奥を1300人まで減員させたのだけれど、どのようにして人数を減らしたのでしょうか? 次の中から選んでください。。。


 



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1) 美人を集め、ブスは大奥から出した。


2) 美人を集め、大奥から出した。


3) 美人が華美な絹の着物を着ることを禁止。


4) 美人が高価な食材を使うことを禁止。



吉宗さんは、上の4つのうちから、どれを選んで 当時4000人いた大奥を1300人まで減員させたのでしょうか?



答えは簡単じゃありませんか! 美人を集めブスは大奥から退出させたのですわぁ。。。


ハズレ! 答えは 2番です。。。


まさかあああァ~。。。?


僕は卑弥子さんを喜ばせるために、この記事を書くことにしたのですよゥ。。。


。。。ん? あたくしを喜ばせるためでござ~ますかァ?


そうです。。。 吉宗さんは、どうして美人を集めブスは大奥から出したのか?


なぜでござ~ますか?


美人であれば、容姿がいいから、嫁にもらいたい男はいくらでも江戸にいたのです。。。 でも、ブスは、そう簡単にはゆかない。。。 だから、僕のように心の優しい吉宗さんは、美人を追い出して ブスの面倒を見たわけですよ。。。 (モナリザの微笑)



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 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2018-03-15 03:19 | 日本史

美人とブス@大奥 (PART 2)



 


美人とブス@大奥 (PART 2)



【卑弥子の独り言】



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ですってぇ~。。。


つまり、デンマンさんは あたくしがブスだと決めているのですわよう!


だから、上のエピソードを書けば、あたくしが喜ぶだろうというわけですわァ~。。。


絶対に、あたくしを侮辱してますわァ~。。。


ふんとに、デンマンさんは 言いにくいことをズバリと言うのですわァ~。。。


でも、あたくしは、結構 人気があるのでござ~ますゥ。


なぜなら、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が殿方の注目を集めているのでござァ~ますわァ。


うふふふふふふふ。。。


ええっ。。。 信じられないのでござ~ますかァ?


じゃあ、ちょっと次の検索結果を見てくださいまし。。。



(gog60409a.png)


『拡大する』


『現時点での検索結果』


「卑弥子 女性の本当の魅力 ヴィーナスのえくぼ」と入れてGOOGLEで検索する殿方が多いのでござ~ますわァ。


つまり、あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”を目当てにやって来るのですわよう。。。



(buttdimp5.jpg)


どうでござ~ますかァ?


この魅力によって あたくしの人気が出てきたのだと思うのですわァ。


うふふふふふふ。。。


ええっ。。。 あたくしのお尻だけが、魅力があると、あなたは言うのでござ~ますかァ~?


やだわあああァ~。。。


前向きの写真も魅力があるのでござ~ますわよう。



(curtain5.jpg


どうでござ~ますかァ~?


あたくしも決して見捨てたものではないでしょう!?


うふふふふふふ。。。


では、このお話は、これくらいにして。。。


実は、他にも いろいろな面白いお話がござ~ますわァ。


たまには、日本古代の面白いお話にも関心を示してくださいまし。


あなたのために古代史の記事を用意しましたわァ。


ぜひ お読みくださいねぇ。


では。。。


天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。
 


天智天皇は暗殺された 


定慧出生の秘密 


藤原鎌足と長男・定慧 


渡来人とアイヌ人の連合王国


なぜ、蝦夷という名前なの?


平和を愛したアイヌ人


藤原鎌足と六韜


古事記より古い書物が


どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は


日本人でないの?


マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。


だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。


じゃあ、またねぇ~。。。



(hand.gif)


 


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)



■ 『きれいになったと感じさせる


下着・ランジェリーを見つけませんか?』


『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)




(sayuri5.gif)


ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。


卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(annasalleh.jpg)


『オルフェと聖徳太子』


『源氏物語とおばさんパンツ』


『霊仙はなぜ毒殺されたの?』


『紫式部が地獄へ』


『破戒僧円載』


『アショーカ王の愛と苦悩』


『どら平太の世界』


『三四郎とデンマンさん』


『ヒトラーの姪』


『ゴヤと三島由紀夫』


『仏陀とキリストと娼婦』



(zurose2.jpg)


『ズロースと戦争』


『伊藤若冲ブーム?』


『ブッダと物理学』


『加藤清正ブーム?』


『愛憎と三輪山』


『松原智恵子 お尻ペンペン』


『坂本龍馬は流れ者か?』


『野ざらし』


『紫式部堕獄説』


『日本最古のポルノ?』


『源氏物語の性描写』


『寅さんの本棚と急行まつしま』


『ヒトラーは草食系?』


『ブッダとキリストと娼婦』


『顔文字とオナラ』



(hama10.jpg)


『宝暦の恨みを明治維新で』


『デウキと紅葉@行田』


『薄い陰毛と紅のボートピープル』


『江戸の閨房術』


『ずるがしこい現代人』


『春画@源氏物語』


『千早振る』


『あれっ、松本清張』


『キスと源信』


『伎楽は呉から…?』


『紺瑠璃杯に魅せられて』


『神聖娼婦 マリア』


『安徳帝は生きていた』


『白石川の桜』



(maria05.jpg)


『ブログ村のマリア様』


『萌える済子女王』


『ピンク桃色@徒然』


『富沢金山の桜』


『ピンク桃色村』


『紫式部@徒然』


『絵里香@ペルー』


『ペルシャ人の楊貴妃』


『ん?佐伯今毛人』


『文学と歴史とウソ』


『百人一首ミステリー』


『芭蕉と遊女再び』


『映画とロマン@仙台』


『源氏物语中的性描写』


『忘れられた歴史ロマン』



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『おばさんパンツ@サンホセ』


『聖徳太子のチューター』


『オナラの曲芸』


『死海』


『漱石とオナラ』


『絵里香さん』


『美女とオナラ』


『アンバパーリー』


『ゆっくりと愛し合う』


『見ちゃだめ!』


『二重マチ付きズロース』



(miya08.jpg)


『麻生元総理』


『ネットのバカ女を捜して』


『額田王の歌』


『聖女と娼婦』


『済子女王@萌える』


『ん?堀内亜里?』


『松平春嶽が黒幕?』


『旅行者的早餐』


『なぜ蝦夷なの?』


『プリキュアとヒトラー』


『戦争絶対反対よね』


『怨霊の歴史』


『色欲@歴史』


『紫式部と敗戦』


『ラピスラズリと源氏物語』


『性と愛@古代史』


『仙台を離れて』


軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)



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by denman705 | 2018-03-15 03:18 | 日本史

なぜ蝦夷なの? (PART 1)



 


なぜ蝦夷なの? (PART 1)


 



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(himiko22b.gif)


デンマンさん。。。 どういうわけでなぜ蝦夷なの?というようなタイトルをつけて あたくしをお呼びになったのでござ~♪~ますか?



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卑弥子さんは蝦夷に関心がありますか?


あたくしは“源氏物語”には関心がございますけれど、“蝦夷物語”には興味がござ~ませんわァ~。。。


この記事を読みにやってきたネット市民の皆様も、“蝦夷物語”よりも“源氏物語”に興味を持つと思うのですよ。。。


それなのに、どういうわけでなぜ蝦夷なの?というようなタイトルを付けたのでござ~ますか?


ちょっと次のリストを見てください。



(ame71228d.png)



『拡大する』


『蝦夷って悪い意味?』


『おばさんの下着姿』



これはアメブロの僕のブログの12月22日から28日までの1週間の「リンク元URL」のリストですよ。。。 赤枠で囲んだ 9番に注目してください。



あらっ。。。 2012年11月17日にデンマンさんが投稿した『蝦夷って悪い意味?』記事が この1週間に 33名のネット市民の皆様に読まれたのでござ~ますわねぇ~。。。


そういうことです。。。 18番の『おばさんの下着姿』を除くと 上のリストの個別の記事では すべて2017年に投稿した記事なのですよ。。。 『おばさんの下着姿』は今から4年前の2013年2月24日に投稿したのだけれど、おばさんの下着姿に興味を持っているネット市民がたくさんいるのですよ。。。 特に男性の間で人気がある。。。


その証拠でもあるのでござ~ますかァ~?


次のページを見てください。。。



(wp71214e.png)



『拡大する』


『現実主義者との夢と対談』


『熟女パンツ』


『白い下着の熟女』


『熟女下着』



これは12月14日に僕がDenman Blogに投稿した『現実主義者との夢と対談』のページです。。。 右のサイド・バーの赤枠で囲んだ人気記事に注目して欲しいのですよ。。。



あらっ。。。『熟女パンツ』、『白い下着の熟女』、『熟女下着』に人気があるのですわねぇ~。。。


。。。でしょう!? つまり、どれも“おばさんの下着姿”に関係があるのですよ。。。 要するに、『おばさんの下着姿』が読まれるのは納得できるのです。。。 でもねぇ~、5年前に投稿した『蝦夷って悪い意味?』が どういうわけで読まれるのか? それが僕にはちょっと理解できないのですよ。。。


簡単なことですわァ~。。。 上の人気がある3つの記事に中に『蝦夷って悪い意味?』へのリンクが貼ってあるのですわァ~。。。


実は、僕も初め そう思ったのですよ。。。 それで、上のリンクをクリックして確かめてみました。。。 でも、どの記事にも『蝦夷って悪い意味?』へのリンクが貼ってない! 念のために、上の赤枠の中と緑の枠の中のすべてのリンクをクリックして記事を開いてみました。。。 でもねぇ~、どのページにも 『蝦夷って悪い意味?』へのリンクが貼ってない!


じゃあ、いったい どのようなわけで『蝦夷って悪い意味?』が読まれたのでござ~ますか?


ちょっと次の検索結果を見てください。。。



(gog71230a.png)



『拡大する』


『現時点での検索結果』



「蝦夷 悪い意味」を入れて検索してみたのです。。。



あらっ。。。 154,000件もヒットするのですわねぇ~。。。 デンマンさんが2012年の11月にアメブロに投稿した『蝦夷って悪い意味?』がトップに出てますわァ~。。。


そういうことです。。。


つまり、このように検索してデンマンさんの記事を読んだネット市民が 12月22日から28日の1週間に33名いたということですか?


そうです。。。


信じられませんわァ~。。。


あのねぇ~、どこかの中学校の歴史の時間に先生が宿題を出したのですよ。。。


その宿題とは?


だから、「蝦夷」という言葉には悪い意味が込められているのか? それを調べてきなさいという宿題です。。。 上の赤いアンダーラインを引いた箇所を見てください。。。



(judged.png)


相手をおとしめるためにわざわざ 悪い意味を持つ漢字を当てるというのは、近頃も品の無いウェブサイトで再流行しておりますな


蝦夷という語句に悪い意味がなかったという証明がなされたならば別ですが


蘇我氏… が悪い名前に変えたものと推測されます


四方の国々に悪い意味の字で名前をつけるのが中国にあっては普通ですから



このように「蝦夷」という言葉には悪い意味が込められているのか?。。。という素朴な疑問が古代史に興味を持っている人にはあるわけですよ。。。 だから、歴史の先生も、その事について生徒に考えてもらいたいから、このような宿題を出したわけです。。。



そうでしょうか?


それ以外に考えられないでしょう!? だから、5年前に投稿した僕の記事が 急に33名の中学生に読まれたのですよ。。。



(laugh16.gif)


 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-12-31 04:12 | 日本史

なぜ蝦夷なの? (PART 2)



 


なぜ蝦夷なの? (PART 2)



【卑弥子の独り言】



(himiko22.gif) 


ですってぇ~。。。


あなたは信じることができますか?


ところで、お話は全く変わりますけれど、


あたくしの“ヴィーナスのえくぼ”が人気があるのですわよう!


ええっ。。。 信じられないのでござ~ますか?


デンマンさんが よくおっしゃるように“信じる者は救われる!”のでござ~ますわァ~。。。


あなたは まだあたくしの“女の魅力”を見たことがないのねぇ~。。。


じゃあ、ここでお見せしますわねぇ~。。。



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どうでござ~ますかァ?


この魅力によって あたくしの人気が出てきたのだと思うのですわァ。


うふふふふふふ。。。


ええっ。。。 あたくしのお尻だとは思えないのでござ~ますかァ~?


どうしてよう?


ええっ。。。 スタイルがよすぎると、おっしゃるのござ~ますかァ~?


あたくしが十二単を一枚、一枚脱いでゆくと、


最後には上のようなおヌードになるのですわよう。


信じてくださいましなァ~。。。


蝦夷にまつわるお話も、大変興味深いですけれど、


他にも いろいろな面白いお話がござ~ますわァ。


たまには、日本古代の面白いお話にも関心を示してくださいまし。


あなたのために古代史の記事を用意しましたわァ。


ぜひ お読みくださいねぇ。


では。。。


天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。
 


天智天皇は暗殺された 


定慧出生の秘密 


藤原鎌足と長男・定慧 


渡来人とアイヌ人の連合王国


なぜ、蝦夷という名前なの?


平和を愛したアイヌ人


藤原鎌足と六韜


古事記より古い書物が


どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は


日本人でないの?


マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。


だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。


じゃあ、またねぇ~。。。



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(hiroy2.png+betty5d.gif)
『スパマー HIRO 中野 悪徳業者』


 


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)



■ 『きれいになったと感じさせる


下着・ランジェリーを見つけませんか?』


『センスあるランジェリー』



(surfing9.gif)




(sayuri5.gif)


ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。


卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(annasalleh.jpg)


『オルフェと聖徳太子』


『源氏物語とおばさんパンツ』


『霊仙はなぜ毒殺されたの?』


『紫式部が地獄へ』


『破戒僧円載』


『アショーカ王の愛と苦悩』


『どら平太の世界』


『三四郎とデンマンさん』


『ヒトラーの姪』


『ゴヤと三島由紀夫』


『仏陀とキリストと娼婦』



(zurose2.jpg)


『ズロースと戦争』


『伊藤若冲ブーム?』


『ブッダと物理学』


『加藤清正ブーム?』


『愛憎と三輪山』


『松原智恵子 お尻ペンペン』


『坂本龍馬は流れ者か?』


『野ざらし』


『紫式部堕獄説』


『日本最古のポルノ?』


『源氏物語の性描写』


『寅さんの本棚と急行まつしま』


『ヒトラーは草食系?』


『ブッダとキリストと娼婦』


『顔文字とオナラ』



(hama10.jpg)


『宝暦の恨みを明治維新で』


『デウキと紅葉@行田』


『薄い陰毛と紅のボートピープル』


『江戸の閨房術』


『ずるがしこい現代人』


『春画@源氏物語』


『千早振る』


『あれっ、松本清張』


『キスと源信』


『伎楽は呉から…?』


『紺瑠璃杯に魅せられて』


『神聖娼婦 マリア』


『安徳帝は生きていた』


『白石川の桜』



(maria05.jpg)


『ブログ村のマリア様』


『萌える済子女王』


『ピンク桃色@徒然』


『富沢金山の桜』


『ピンク桃色村』


『紫式部@徒然』


『絵里香@ペルー』


『ペルシャ人の楊貴妃』


『ん?佐伯今毛人』


『文学と歴史とウソ』


『百人一首ミステリー』


『芭蕉と遊女再び』


『映画とロマン@仙台』


『源氏物语中的性描写』


『忘れられた歴史ロマン』



(costa04b.jpg)


『おばさんパンツ@サンホセ』


『聖徳太子のチューター』


『オナラの曲芸』


『死海』


『漱石とオナラ』


『絵里香さん』


『美女とオナラ』


『アンバパーリー』


『ゆっくりと愛し合う』


『見ちゃだめ!』


『二重マチ付きズロース』



(miya08.jpg)


『麻生元総理』


『ネットのバカ女を捜して』


『額田王の歌』


『聖女と娼婦』


『済子女王@萌える』


『ん?堀内亜里?』


『松平春嶽が黒幕?』


『旅行者的早餐』


軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)



(byebye.gif)


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by denman705 | 2017-12-31 04:11 | 日本史

文学と歴史とウソ (PART 1)



 


文学と歴史とウソ (PART 1)


 



(question.gif)



(histouso.jpg)



(yang103.jpg)



(himiko12.jpg)




白拍子というのは、平安時代後期に活躍した、
一口で分かりやすく申し上げるならば、
芸者のような者でござ~♪~ますわ。



(shira15.jpg)


このように白の水干(すいかん)に
立烏帽子(たてえぼし)、白鞘巻(しろさやまき)という男装で
「今様」と呼ばれる歌を謡(うた)いながら、
男舞と呼ばれる舞を舞うのでござ~♪~ます。


白拍子であった祗王(ぎおう)は、
時の権力者・平清盛の寵愛を受け、
彼の館で幸せに暮らしておりました。


あるとき、清盛に歌舞を披露したいという
別の白拍子が現れたのです。
その者が仏御前だったのですわ。


ただの白拍子に過ぎない仏御前を清盛は追い返そうとしました。
でも、遠路はるばるやってきた彼女を見かねて、
心の優しい祗王がとりなしたのでござ~♪~ますわ。


それで、仏御前は清盛に舞を見せることになりました。
しかし、これを見た清盛は心を奪われ、
仏御前を寵愛するようになってしまったのでござ~♪~ます。


皮肉なものでござ~♪~ますわねぇ~。
男と言うのは本当に浮気なものでござ~♪~ますわ。
祗王の座を奪う気持ちのない仏御前は辞退しようとしました。


しかし、それに気づいた清盛は、
邪魔な祗王を追放してしまったのですわ。
本当に悲しい事でござ~♪~ますゥ。




(seisho05.gif)


萌え出づるも


枯るるも同じ


野辺の花


いづれか秋に


あわではづべき


館を出る祗王がせめてもの忘れ形見にと
詠んだ句でござ~♪~ます。


さらに翌春、清盛は退屈している仏御前を慰めるためといって、
祗王に仏御前の前で舞を披露することを強要したのです。
祗王は、あまりの屈辱に死を決意するのでござ~♪~ました。


しかし、五逆罪になることを母親が説き、
やむなく祗王は清盛の館へ向かうのです。




(shira15.jpg)


仏もむかしは凡夫なり


われらも遂には仏なり


いずれも仏性具せる身を


隔つるのみこそ悲しけれ


このように謡(うた)いながら舞い踊り、
諸臣の涙を誘ったのでござ~♪~ます。


祗王は都に居れば、
また同じような思いをしなければならないと、
母、妹と共に尼となり、嵯峨の山里で仏門に入るのでした。


当時、祗王21歳、妹の祇女は19歳、
母の刀自(とじ)は45歳でござ~♪~ました。


ところが、ある秋の夕べ、仏御前は祗王の元を訪れたのです。
なぜ。。。? どうした事でござ~♪~ましょうか?



(hotoke06.jpg)


実は、祗王の運命を自分に重ねて世の無常を思い、
仏御前は、清盛の館を抜け出して
尼となっていたのでござ~♪~ます。


それからのち、祗王一家と仏御前は、余念無く仏道に励み、
みな往生の本懐を遂げたのでござ~♪~ます。


小百合さん、いかがでござ~♪~ますか?
女の身として涙なくしては読めないですよね。
おほほほほ。。。



(giou-ji.jpg)


それにしても、祗王寺のお庭は
苔がとっても美しいですことォ~。。。
見とれてしまいますわぁ~。


あああぁ~。。。デンマンさんとご一緒に見たいわぁ。。。
うしししし。。。


 



(himiko22.gif)




『愛憎と苔寺』より
(2008年10月7日)




デンマンさん。。。 どういうわけで、白拍子の祗王と平清盛のお話を持ち出してきたのでござ~ますかァ?



“文学と歴史とウソ”について卑弥子さんと語り合うためですよ。。。


つまり、上のお話の中にウソがある、とデンマンさんは主張するのですか?


ウソだと断定できないかもしれないけれど、『平家物語』をじっくり読むと、どうやら仏御前の話は清盛さんを貶(おとし)めるための創作だという気がしてきたのですよ。


清盛さんを貶(おとし)めるための創作。。。?


そうですよ。


でも。。。 でも。。。 どうして清盛さんを貶(おとし)める必要があるのでござ~ますか?


あのねぇ~。。。、平清盛は日本史上「悪者」として評価され続けてきたのですよ。 たとえば、あの有名な道鏡もそうですよ。 だから道鏡などは未だにエロい冗談が巷の間で次のように囁(ささや)かれている。



(doukyoux.gif)



つまり、清盛さんも日本史の時間に悪者として教えられたのでエロい話がたくさんあるとデンマンさんは言うのですか?



そうですよ。


でも、誰がそのように清盛さんを貶めたのですか?


もちろん、平家を滅ぼした源氏ですよ。 源氏は正義の味方として悪者の平清盛とその一族を滅ぼしたということを宣伝したのですよ。 歴史では何度も繰り返されてきたことです。 つまり、勝てば官軍なのですよ。


でも、清盛さんを貶めるために仏御前が利用されたのでござ~ますか?


僕は『平家物語』の「祗王」を何度も繰り返して読んでみて、その思いを強くしたのです。


それは、いったいどこでござ~ますか?


次の箇所を読んでみて下さい。




(hotoke05.jpg)


 


また京都に白拍子の名手がひとり現れた。
加賀の国(石川県南部)の生まれ、名を仏という。
歳は16とのことである。
京都の人は、上も下も、昔から多くの白拍子は見たが、これほど上手な舞は見たことがないと、しきりにもてはやす。


ある時、仏御前は、
「わたしは、世にもてはやされてはいるが、当世栄(は)えめでたき平家太政(だいじょう)の入道清盛公に召されぬことばかりが心のこり。
遊び女のならいなれば、かまわぬはず。
こちらより、おしかけてみようか」
とある時自分から、西八条の清盛の邸へ伺った。


取り次ぎの者が、「いまは都に名の聞こえた仏御前が参りました」と言上すると、清盛は気色をそこねて、
「なんと、そのような遊び女は、人に召されてくるものだ。
かってに推参(すいざん)する法があるか。
神であろうと、仏であろうと、祗王のおるところへは参ってはならぬ。
早々に追い払え」
と言う。


仏御前はすげないその言葉に、やむなく帰りかけたが、その時、祗王が清盛公に、
「遊び女が自分から参りましたのは、世の常のならわし、それもまだ年端(としは)のゆかぬ者、たまたま思い立って参りましたものを、すげなく申されて帰すのはふびんでございます。
いかばかりはずかしいことか、はた目にも気の毒です」


(デンマン注:読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




31-32ページ 『平家物語(上)』
2004年10月20日 初版発行
現代語訳: 中山義秀
発行所: 河出書房新社



今で言えば仏御前はこの時、満15歳ですよ。



そうですわねぇ~、 昔は歳は数(かぞ)えでしたから。。。


仏御前が清盛の屋敷に行ったのは、ちょうどアイドル歌手の熱狂的なファンがアイドルの家に押しかけて行ったようなものですよ。


そうかしら。。。?


だから、清盛も初めは「招きもしないのに来きやがってぇ~。。。んもおォ~。。。 非常識だ!」と気分を損ねたのですよ。。。 『平家物語』にも、そう書いてある。。。


。。。で、それがどうしたのでござ~ますか?


それで仏御前は祗王の運命を自分に重ねて世の無常を思い、清盛の館を抜け出して尼となって、祗王が住んでいた庵(いおり)を尋ねたのですよ。 この時、仏御前は次のように言った。



あなたが襖障子(ふすましょうじ)に、「いづれか秋にあはで果(は)つべき」と書きおかれたお言葉、まことにその通りだと心にひしと感じておりました。
いつぞやあなたが屋敷に召されて、今様をおうたいなされたときも、つくづくと浮かれ女の身のつらさを、思い知らされました。


そののちは、いずこへお住まいかぞんじませんでしたが、このほど噂によれば、母子三人様姿を変え、ごいっしょに念仏されている由(よし)、聞くにつけてもうらやましゅうぞんじて、いつもおいとまを願い申しましたが、入道殿はいっこうにおゆるしになりませぬ。
ひとり思いあわせてみますと、この世の栄華は夢の中の夢、楽しみ栄えたとてなんになりましょう。


人の身に生まれ出ることはむずかしく、仏の御教(みおし)えにあう機会もめったにございません。
このたび地獄におちましたなら、いかに生まれ変わり死に変わりましても、ふたたび人間界に浮かび上がることはむずかしゅうございます。


老少不定(ろうしょうふじょう: 老人と若者のどちらが先に死ぬかわからない)の世の中ですから、年が若くともたのみになりませぬ。
出る息のはいる間も待つ暇とてもなく、かげろうや稲妻よりも、なおはかない命---いちじの栄華を誇って、後生知らずと言われんも悲しく、今朝ひそかに館を抜け出して、このような姿になって参りました。



(hotoke06.jpg)


(デンマン注:読み易いように改行を加えました。
写真はデンマン・ライブラリーより)




45-46ページ 『平家物語(上)』
2004年10月20日 初版発行
現代語訳: 中山義秀
発行所: 河出書房新社



仏御前が祗王に向かって申し述べた上のお言葉がどうだとデンマンさんは言うのでござ~ますか?



いくらなんでも、この話はできすぎているでしょう! 満15歳のミーハーが、まるで60歳の老婆のような悟りを開いている。 「老少不定の世の中、年が若くともたのみになりませぬ。出る息のはいる間も待つ暇とてもなく、かげろうや稲妻よりも、なおはかない命---いちじの栄華を誇って、後生知らずと言われんも悲し」い、と15歳や16歳の女の子が言えるわけがない。 この言葉はこのエピソードを創作した作者の言葉です。 仏御前に成り代わって書いているのですよ。


そうでしょうか? あたくしは『平家物語』に書いてある通りに素直に受け取れましたわ。


『平家物語』というのは初めから清盛を悪者に仕立てて書き始めているのですよ。


マジで。。。?


だってそうでしょう! 「祗園精舎の鐘の声。。。」のあとで秦(しん)の趙高(ちょうこう)、漢の王莽(おうもう)、梁(りょう)の周伊(しゅうい)、唐の禄山(ろくざん)のような中国の悪者の名を挙(あ)げて、清盛もこの男たちと同じように「旧主先皇の政治に学ばず、快楽に走り、諫言(かんげん)を受け入れず、天下の乱れや民の愁いも知ることがなかったために滅んだ」と書いてあるのですよ。


つまり、デンマンさんは掌(てのひら)を返したように今では清盛さんのお味方をしたいのですか?


いや。。。もちろん違いますよ。 僕が言いたいのは必要以上に他人を貶(おとし)めるためのエピソードをでっち上げるのは悪いことだと言ってるのですよ。。。 真実を曲げることです。。。 偽ることです。。。 それはウソですよ!


つまり、『平家物語』の「祗王」のエピソードはでっち上げだとデンマンさんは断定なさるのですか?


もちろん、すべてがすべて、でっちあげだと言うつもりはありません。 「火のない所に煙は立たず」ですからね。 でもねぇ、少なくとも仏御前は一人じゃない。 二人の白拍子の話を組み合わせて話をでっち上げたのですよ。 だから、仏御前の話を読むと、60年生きてきた白拍子が人生の悟りを開いたようなことを言っている。 それは『平家物語』の作者の声ですよ。


でも。。。でも。。。、それはデンマンさんの個人的な意見でしょう?


あのねぇ~、僕は、最近 バンクーバー図書館で再び『平家物語』を手にとって読んでみたら、解説に次のように書いてあった。



『平家物語』 解説



(heikebook1.jpg)


 


ところで『平家物語』の作者・成立時期・成立事情などが、いまなおはっきりしていないことは冒頭で述べたとおりであるが、実は、『平家物語』そのものが、もともとどのようなものであったのかも謎に包まれたままなのである。


今日、通常『平家物語』と呼ばれ、学校教育の場などで用いられているテキストは、南北朝時代、明石覚一(かくいち)という琵琶法師が、それまでの詞章を整理し、物語を再構成した、いわゆる覚一本の系統に属するが、こうした『平家物語』諸本(異本)は50種類以上も伝わっており、『平家物語』研究の難しさをこの点に求める場合も少なくない。
しかし多くのテキストが存在することは、『平家物語』の世界をより豊かにし、『平家物語』を読む楽しさを、一層、増してくれもするのである。


本書から屋島の合戦の一齣を描いた「巻十一 嗣信(つぎのぶ)最期」を例にとってみよう。
そこでは主君 源義経の矢楯となった嗣信が、死に臨んで次のように述べたと記されている。



弓矢取る身の敵矢(かたきや)に当たって


死ぬるは覚悟の前、ことにも


「源平の合戦に、奥州の


佐藤三郎兵衛嗣信と申す者が、


讃岐の国 屋島の磯べで、


主君の御命にかわって射たれた」と、


末代までの物語にされることは、


今生(こんじょう)の面目、


冥土(めいど)の思い出、


これに上越す誉(ほま)れはございませぬ。


この言葉は、主君に対する武士の献身の道徳を示す例として、しばしば取り上げられるが、別のテキストでは、「奥州に残してきた老母に今一度会えないことが心残りです」と母子の情愛を優先しており、さらに別のテキストでは、主君の身代わりとして死ぬことを名誉とする文言も、老母のことも見えないのである。


中世武士の主従倫理をどのように考えればよいのか。
相異なる『平家物語』のテキストは重要な課題を提起してくれていると言えよう。


本書で『平家物語』の面白さや魅力に出会われた読者には、よく言われるように、ぜひとも原文にも挑戦していただきたいが、その際、もう一度踏み込んで、いくつかのテキストの読みくらべもおすすめしたいと思う。


いま一点、付け加えておきたいのは、『平家物語』における史実と虚構に関してである。
たしかに『平家物語』は歴史資料としても十分に有益であるが、しかし、あくまで物語であって、そこには虚構・創作も含まれていることは当然であろう。
たとえば「巻一 殿下(てんが)の乗合(のりあ)い」を見てみよう。


この話は、父清盛と違って、温厚で知られる重盛の次男資盛(すけもり)が、鷹狩りの帰途、礼儀を欠くふるまいをしたとして、摂政 藤原基房(もとふさ)の一行から散々に痛めつけられたことに激怒した清盛が、報復のため、今度は武士たちに基房一行を襲わせ、『平家物語』作者をして「これぞ、平家悪行(あくぎょう)の初めである」と述べさせているものであるが、史実はまったく違うのである。
すなわち実際に基房一行への報復を命じたのは、清盛でなく『平家物語』では、わが子をたしなめ清盛をいさめている重盛なのである。


こうした逆転がなされたのはなぜか。
異なるテキストの読みくらべとともに、史実と虚構というテーマにも挑戦していただきたいものである。


専修大学非常勤講師・樋口州男(くにお)


 


(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




349-352 ページ 『平家物語』 (下)
現代語訳者: 中山義秀
2004年12月20日 初版発行
発行所: 河出書房新社



つまり、『平家物語』を読むと、長男の重盛は心優しい素晴らしい武士として語られているのに対して、父親の清盛は、子供の悪行までを引き受けさせられて、すっかり悪者にされているのですよ!



だから、それは『平家物語』があくまでも物語で、創作であるので、仕方がないのでござ~ますわァ~。。。


ところが、物語ではなく“史書”として、すでに2000年以上もの間 歴史書として信じられている『史記』にもウソが書いてある。



史記



(shiki001.jpg)


 


『史記』は、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書である。
正史の第一に数えられる。
二十四史のひとつ。
計52万6千5百字。
著者自身が名付けた書名は『太史公書』(たいしこうしょ)であるが、後世に『史記』と呼ばれるようになるとこれが一般的な書名とされるようになった。


「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝から前漢の武帝までである。
このような記述の仕方は、中国の歴史書、わけても正史記述の雛形となっている。


二十四史の中でも『漢書』と並んで最高の評価を得ているものであり、単に歴史的価値だけではなく文学的価値も高く評価されている。


『史記』のような歴史書を作成する構想は、司馬遷の父司馬談が既に持っていた。
だが、司馬談は自らの歴史書を完成させる前に憤死した。司馬遷は父の遺言を受けて『史記』の作成を継続する。


紀元前99年に司馬遷は、匈奴に投降した友人の李陵を弁護したゆえに武帝の怒りを買い、獄につながれ、翌年に宮刑に処せられる。
この際、獄中にて、古代の偉人の生きかたを省みて、自分もしっかりとした歴史書を作り上げようと決意した。


紀元前97年に出獄後は、執筆に専念する。
結果紀元前91年頃に『史記』が成立した。


『史記』は司馬遷の娘に託され、武帝の逆鱗に触れるような記述がある為に隠されることになり、宣帝の代になり司馬遷の孫の楊惲が広めたという。




出典: 「史記」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



あらっ。。。 おチンチンを切られてしまった司馬遷のおじ様が書いた『史記』にマジでウソが書いてあるのでござ~ますかァ~? あたくしは、そのように主張するデンマンさんのお言葉が信じられませんわァ。。。



あのねぇ~、僕が言い始めたわけじゃないのですよ。。。 ちょっと次の小文を読んでみてください。。。



熒惑(火星)



(mars10.jpg)


 


『史記』によれば(国内巡行)に出発する直前の始皇36(前211)年には不吉なことが続いた。
まず熒惑(けいわく:火星)が東方の心宿(しんしゅく:サソリ座)の位置に留まったという。
赤く輝く熒惑は災害や兵乱を招く星であった。


サソリ座の心臓にあたるアンタレスは赤色巨星の一等星であり、中国では青龍の心臓にあたる、不吉な星とされていた。
そこに赤い熒惑が近づいて留まった。
このときの火星は東に向かって順行し、しばらく停止してから西に逆行し、またしばらくして東に順行する。


中国古代では1年間の太陽の軌道である黄道(こうどう)に28宿(しゅく)の星座を配置した。
太陽、月、五星(惑星)の動きを測る座標軸のようなものである。
東方の空の7宿のうち6つを結ぶと青龍が夜空に浮かび上がる。


龍の角が角宿、首は亢宿(こうしゅく)、胸は氐宿(ていしゅく)、原は房宿、心臓は心宿、尾は尾宿(びしゅく)となる。


 (中略)


中国古代の天文暦法の研究者によれば、火星がアンタレスに近づいて留まるのは前211年ではなく、翌年の前210年であるという。
しかも小沢賢二氏が近年明らかにしたことは、前210年の始皇帝の死去の8月丙寅(へいいん:21日)の日に、再順行した火星がアンタレスに最接近しているというのである。


実は、私は始皇帝の死は7月ではなく、8月丙寅であると考えている。
そうであれば46年周期のこの特異な現象は、始皇37年の始皇帝の無くなった年の亡くなった日に起こったことになる。
この偶然の事実をどのように考えたらよいのだろうか。


8月丙寅の夜空で起こった不吉な天文現象を見た人びとは大勢いただろう。
その日まさに始皇帝が亡くなったことは極秘にされていたとはいえ、当時始皇帝が病中にあることを知るならば、その死を連想したかもしれない。


少なくとも『秦記』という秦の本来の史書には、皇帝の死の日付は正確に記されていたはずである。
しかし『史記』の記述はそうなっていない。


皇帝の死を1ヶ月さかのぼらせて7月丙寅の日に死去したと書き改め、また熒惑守心(けいわくしゅしん)を1年も前の天文現象としたのは一体だれか。



(mars11.jpg)


おそらく同時代の人びとの改竄ではなく、始皇帝の死を前年の予兆からはじまるストーリーとして構築した者の作為であろう。

それが司馬遷であるのか、司馬遷が依拠した何らかの書籍であるのか、断定することはまだできない。


(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




157-161 ページ 『人間・始皇帝』
著者: 鶴間和幸 2015年 初版発行
発行所: 株式会社 岩波書店



当時、火星がアンタレスに近づいて留まる年には不吉なことが起こるということが信じられていたのですわねぇ~。。。



そうです。。。 それは、現在で言えば、地動説が正しいと思われているほど常識的な事だった。。。 それで、実際には、火星がアンタレスに近づいて留まったのは始皇帝が亡くなった紀元前210年なのだけれど、その当時の常識と食い違わないように、1年前の紀元前211年だと『史記』には書いてあるのですよ。。。


要するに、始皇帝の死を前年の予兆からはじまるストーリーとして構築した者の作為であろう、と『人間・始皇帝』の著者は言うのですわねぇ~。。。


そういうことです。。。


でも、それが「司馬遷であるのか、司馬遷が依拠した何らかの書籍であるのか、断定することはまだできない」と書いてありますわねぇ~。。。


僕は司馬遷が 当時の人々の常識に合うように そうしただろうと思うのですよ。。。


その根拠は。。。?


上の本にも書いてあるように『秦記』という秦の本来の史書には、皇帝の死の日付は正確に記されていたはずなのですよ。。。 そうであるならば、司馬遷も すべてを知っていたはずですからね。。。



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 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-05-31 02:58 | 日本史

文学と歴史とウソ (PART 2)



 


文学と歴史とウソ (PART 2)



【卑弥子の独り言】



(himiko22.gif) 


ですってぇ~。。。


あなたはデンマンさんの言うことを信じることができますかァ~?


考えてみると、"Nobody is perfect!" という英語の格言がござ~ますけれど、


確かに、司馬遷のおじ様も完璧な人間ではござ~ませんでしたから、


始皇帝の死を前年の予兆からはじまるストーリーとして創作したことも十分に考えられますよねぇ~。。。


歴史書と信じられているものでも、


すべてを事実として信じることは かなり危険なことなのかもしれません。。。


歴史は、たいてい勝者が書くものでござ~ますから。。。


ところで、あたくしには紫式部の血も流れているのでござ~ますわァ。。。


信じられないでしょう?


では、あたくしの次のお話を読んでくださいませぇ~。。。



(genjiero4.jpg)


『卑弥子の源氏物語』


どうですか? あたくしが“平成の紫式部”だと納得がゆきましたかァ~?


ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?


でもねぇ~、あたくしは 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますゥ。


だけど、どういうわけか結婚相手が 現れないのですわよゥ。


あたくしは別に高望みはしていないのでござ~ますう。


“寅さん”のような人でもいいのです。。。


ついでだから、寅さんの映画でも見てください。



(tora019.jpg)



ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代の話も心にしみます。


たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。


そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。


ぜひ 覗いてみてくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。
 


天智天皇は暗殺された 


定慧出生の秘密 


藤原鎌足と長男・定慧 


渡来人とアイヌ人の連合王国


なぜ、蝦夷という名前なの?


平和を愛したアイヌ人


藤原鎌足と六韜


古事記より古い書物が


どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は


日本人でないの?


マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。



(hand.gif)


ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
(30june.jpg)



(surfing9.gif)




(sayuri5.gif)


ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。


卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




(miya08.jpg)


『下衆のかんぐり』


『桓武天皇のママがネットで』


『ござが天皇とGOOGLE』


『エロ 建礼門院』


『一敗が三人に!』


『行田の黒い霧をはらう』


『ペルシャ人が飛鳥に』


『小柴垣草子』


『後白河上皇ダントツ』


『ブスと美人』


『エロい話が好き?』


『死んでも生きてる』


『失意の太田将宏』



(annasalleh.jpg)


『オルフェと聖徳太子』


『源氏物語とおばさんパンツ』


『霊仙はなぜ毒殺されたの?』


『紫式部が地獄へ』


『破戒僧円載』


『アショーカ王の愛と苦悩』


『どら平太の世界』


『三四郎とデンマンさん』


『ヒトラーの姪』


『ゴヤと三島由紀夫』


『仏陀とキリストと娼婦』



(zurose2.jpg)


『ズロースと戦争』


『伊藤若冲ブーム?』


『ブッダと物理学』


『加藤清正ブーム?』


『愛憎と三輪山』


『松原智恵子 お尻ペンペン』


『坂本龍馬は流れ者か?』


『野ざらし』


『紫式部堕獄説』


『日本最古のポルノ?』


『源氏物語の性描写』


『寅さんの本棚と急行まつしま』


『ヒトラーは草食系?』


『ブッダとキリストと娼婦』


『顔文字とオナラ』



(hama10.jpg)


『宝暦の恨みを明治維新で』


『デウキと紅葉@行田』


『薄い陰毛と紅のボートピープル』


『江戸の閨房術』


『ずるがしこい現代人』


『春画@源氏物語』


『千早振る』


『あれっ、松本清張』


『キスと源信』


『伎楽は呉から…?』


『紺瑠璃杯に魅せられて』


『神聖娼婦 マリア』


『安徳帝は生きていた』


『白石川の桜』


『ブログ村のマリア様』


『萌える済子女王』


『ピンク桃色@徒然』


『富沢金山の桜』


『ピンク桃色村』


『紫式部@徒然』


『絵里香@ペルー』


『ペルシャ人の楊貴妃』


『ん?佐伯今毛人』


軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
(godiva05.jpg)



(byebye.gif)


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by denman705 | 2017-05-31 02:57 | 日本史

ん?佐伯今毛人 (PART 1)



 


ん?佐伯今毛人 (PART 1)


 



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(himiko22b.gif)


デンマンさん。。。どうして急に佐伯今毛人(さえきのいまえみし)を取り上げたのでござ~♪~ますか?



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いや。。。 僕が取り上げたわけじゃないのですよ。。。


でも、タイトルを書くのはデンマンさん以外にいませんわァ。。。


確かに、タイトルを書いたのは僕ですけれど、“佐伯今毛人”を持ち出したのは僕じゃありません。。。


じゃあ、どなたが“佐伯今毛人”を持ち出したのでござ~ますかァ?


ちょっと次のリストを見てください。。。



(liv70526a.png)



『拡大する』


『佐伯今毛人は臆病者か?』



これはライブドアの僕の『徒然ブログ』の日本時間で5月25日の午後3時8分から午後7時50分までの約5時間の「生ログ」の一部ですよ。。。 赤枠で囲んだ箇所を見て欲しいのです。。。



あらっ。。。 5月25日の午後3時17分にGOOGLEで検索して『佐伯今毛人は臆病者か?』を読んだネット市民がいたのですわねぇ~。。。


そうです。。。 立命館大学で日本古代史を専攻している佐伯 亜利素(さえき ありす)さんが読んだのです。。。


あらっ。。。 またIPアドレスを調べたのですかァ~?


そうです。。。



(ip1692b.png)


『拡大する』



どうしてデンマンさんのブログには おきれいな女性たちが群がってくるのでござ~ますかァ~?



あのねぇ~、GOOGLEで検索してやって来たのですよゥ。。。 たまたま佐伯 亜利素(さえき ありす)さんが美人だというだけのことです。。。 特に、きれいな女性だけが僕のブログにやって来るわけではないのですよ。。。


じゃあ、どういうわけで佐伯 亜利素(さえき ありす)さんの写真をゲットしたのでござ~ますかァ?


だから、佐伯 亜利素(さえき ありす)さんが『佐伯今毛人は臆病者か?』を読んだら、卑弥子さんが出てきたので調べたら京都の女子大学で「日本文学と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授だと知ってわけです。。。 それで、『源氏物語』にも関心がある亜利素(ありす)さんは、ぜひ卑弥子さんの研究室にお邪魔してお話を伺いたいというメールを僕に送ってきたのです。


なぜ、あたくしに直接メールを送ってくださらなかったのですかァ~?


それでは、失礼に当たると思ったのですよ。。。 僕から紹介されて、初めて卑弥子さんに京都の女子大の卑弥子さんの研究室で会うのが順当なエチケットだと亜利素(ありす)さんは言うわけです。。。


信じられませんわァ。。。 それは、デンマンさんの見え見えの作り話でござ~ますわァ~。。。


つまり、これだけの材料を揃えてまで、僕が作り話をしていると卑弥子さんは断定するのですかァ~?


デンマンさんと、ここで議論する時間は無いのでござ~ますわァ。。。 ただでさえ長いデンマンさんの記事が、さらに長~♪~くなってしまいますわァ~。。。 この記事を読んでくださっているネット市民の皆様が他のブログへ飛んでしまう前に、本題に入ってくださいなァ~。。。 佐伯 亜利素(さえき ありす)さんは、いったい どのようなキーワードを入れてGOOGLEで検索したのでござ~ますかァ?


次のようにして検索したのです。。。



(gog70526a.png)



『拡大する』


『佐伯今毛人は臆病者か?』


『現時点での検索結果』



あらっ。。。「佐伯今毛人 臆病者」と入れて検索したのですわねぇ~。。。



そうです。。。


でも。。。、でも。。。、それは、ちょっとばかり でき過ぎているのではござ~ませんかァ?


何ができ過ぎているのですか?


だってぇ~、「佐伯今毛人 臆病者」と入れて検索して『佐伯今毛人は臆病者か?』を読んだということは、偶然にしては、でき過ぎていると誰だって思いますわよう!


あのねぇ~、たまたま、そのようにして検索したからこそ 佐伯 亜利素(さえき ありす)さんは僕のブログへやって来たのですよ。。。 他のキーワードを入れていたら、僕のブログにはやって来なかったはずです。。。 そんなことは検索エンジンの常識ですよ!


そうでしょうかァ~?


卑弥子さんは、僕が作り話をしていると疑っているから、そのような余計な考えに取り付かれているのですよ!


そうでしょうかしら。。。?


もっと素直な気持ちで僕の話を聞いてくれませんかァ~。。。


分かりましたわァ。。。 んで、どうして佐伯 亜利素(さえき ありす)さんは「佐伯今毛人は臆病者なのかしら?」と疑ってネットで調べ始めたのでござ~ますかァ?


卑弥子さんは、平安時代に多くの日本人が遣唐使船に乗って唐に行ったということを知ってますよねぇ~。。。


もちろん、あたくしは存じ上げておりますわ。。。


それなら話は簡単ですよ。。。 遣唐使船に乗るということは生きるか死ぬかという危険が付きまとっていた。 生きて唐に着くか? 生きて日本へ帰れるか? その成功確率は50%ほどだった。 まさに、100円硬貨を空に投げて手に受け取り、裏が出るか?表が出るか?という確率だったのですよ。 当時でも、勇気のない男は尻込みして名誉の遣唐使にさえ就くのを辞退した。


そのように尻込みして遣唐使を辞退した人がマジで居たのでござ~♪~ますか?


居たのですよ。 それが宝亀6年(775年)の遣唐大使に任命されたのが佐伯今毛人(さえきのいまえみし)だった。 宝亀8年(777年)4月、節刀を賜り再度(前年は大宰府から引き返している)出発したが羅城門までくると病になり渡航を断念し摂津に留まることとなったのですよ。。。


あらっ。。。 病気になってしまったのでござ~ますか?


でも、卑弥子さんのように疑り深い世間では 素直に そのようには受け止めなかった。


つまり、佐伯今毛人(さえきのいまえみし)さんは、仮病を使って遣唐使になることを渋った、とその当時の世間の皆様は疑ったのでござ~ますかァ?


その通りですよ。。。 当時、遣唐使になるには、それほど勇気が必要だったということです。


それで、その時の遣唐使船はどうなったのでござ~♪~ますか?


仕方がないので、この時は副使の小野石根(おののいわね)が佐伯今毛人に代わって大使の任務を代行した。 でも、小野石根が乗った遣唐使船の第1船は帰路遭難して亡くなってしまったのですよ。


やっぱり、遣唐使船に乗るのは命がけなのですわねぇ~。。。


そうです。。。 だから、 佐伯 亜利素(さえき ありす)さんは「佐伯今毛人はマジで臆病者だったのかしら?」と思って調べ始めたというわけですよ。。。


。。。で、佐伯 亜利素(さえき ありす)さんはデンマンさんの記事を読んで その答えを見い出したのですか?


そうです。。。 実は、僕も亜利素(ありす)さんと同じような疑問を持ったのです。。。 でもねぇ~、思い当たることがあったァ~。。。



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遣唐使に命じられた佐伯今毛人は


仮病を使って役を免れたのか?


しかし、彼は「藤原良継の変」に参加し


横暴を極めた藤原仲麻呂を倒そうとした。


彼の真実の姿は。。。?



つまり、佐伯今毛人さんが臆病者だったら横暴を極めた藤原仲麻呂を倒そうという計画に参加しなかったということですか?



そうですよ。


でも、計画に参加するぐらいで、それ程の勇気が必要なのでしょうか?


あのねぇ~、「藤原良継の変」の前に、「橘奈良麻呂の乱」という大きな事件があったのです。



橘奈良麻呂の乱


橘奈良麻呂の父の左大臣橘諸兄は、聖武天皇の治世に政権を担当していた。


陰謀の計画と発覚


藤原仲麻呂の専横に不満を持ったのが、諸兄の子の奈良麻呂である。
奈良麻呂は不満を持つ者たちを集めて仲麻呂を除こうと画策する。


755年(天平勝宝7年)6月28日(7月22日)、山背王が孝謙天皇に「奈良麻呂が兵をもって仲麻呂の邸を包囲しようと計画している」と密告した。
7月2日(7月26日)、孝謙天皇と光明皇太后が、諸臣に対して「謀反の噂があるが、皆が逆心を抱くのをやめ、朝廷に従うように」との詔勅を発した。


しかし、その日の夜、中衛府の舎人上道斐太都から、前備前守小野東人に謀反への参加を呼びかけられたと仲麻呂へ密告があった。
仲麻呂はただちに孝謙天皇に報告して、中衛府の兵を動かして前皇太子道祖王の邸を包囲し、小野東人らを捕らえて左衛士府の獄に下した。


756年7月3日(7月27日)、右大臣・藤原豊成、中納言・藤原永手らが小野東人を訊問。
東人は無実を主張した。
その報告を受けて、孝謙天皇は仲麻呂を傍らに置いて、塩焼王、安宿王、黄文王、橘奈良麻呂、大伴古麻呂を前に「謀反の企てがあるとの報告があるが自分は信じない」との宣命を読み上げた。


ところが同日事態は急変する。
右大臣豊成が訊問から外され、再度、永手らを左衛士府に派遣し小野東人、答本忠節(たほのちゅうせつ)らを拷問にかけた。
東人らは一転して謀反を自白した。


その内容は、橘奈良麻呂、大伴古麻呂、安宿王、黄文王らが一味して兵を発して、仲麻呂の邸を襲って殺して皇太子を退け、次いで皇太后の宮を包囲して駅鈴と玉璽を奪い、右大臣豊成を奉じて天下に号令し、その後天皇を廃し、塩焼王、道祖王、安宿王、黄文王の中から天皇を推戴するというものであった。


過酷な処分


東人の供述により、7月4日(7月28日)に奈良麻呂を始め、道祖王、黄文王、大伴古麻呂、多冶比犢養(たじひのこうしかい)、賀茂角足(かものつのたり)ら、一味に名を挙げられた人々は直ちに逮捕され、永手らの訊問を受けた。
訊問が進むにつれ、全員が謀反を白状した。
奈良麻呂は永手の聴取に対して「東大寺などを造営し人民が辛苦している。政治が無道だから反乱を企てた。」と打ち明けた。


この後すぐに獄に移され、永手、百済王敬福、船王らの監督下、杖で全身を何度も打つ拷問が行われた。
道祖王(麻度比と改名)、黄文王(久奈多夫礼と改名)、大伴古麻呂、東人、犢養、角足(乃呂志と改名)は同日、過酷な拷問に耐えかねて次々と絶命した。
また首謀者である奈良麻呂の名が『続日本紀』に残されていないが、同じく拷問死したと考えられる。


安宿王は佐渡島、大伴古慈悲(藤原不比等の娘婿)は土佐国に配流され(両者ともその後赦免)、塩焼王は直接関与した証拠がなかったために臣籍降下(「氷上眞人塩焼」と改名)することで不問とされた。
反乱計画に直接関与していなかったものの佐伯全成は捕縛され奈良麻呂から謀反をもちかけられた顛末を自白した上で自害した。


他にもこの事件に連座して流罪、徒罪、没官などの処罰を受けた役人は443人にのぼる。
また、右大臣・藤原豊成が息子乙縄とともに事件に関係したとして大宰員外帥に左遷された。


中納言・藤原永手も、その後仲麻呂派で固められた朝廷内で政治的に孤立し逼塞を余儀なくされたと言う説がある。
豊成・永手らは反仲麻呂派であると同時に奈良麻呂らの標的とされた孝謙天皇の側近であった人々であり、天皇廃立を企てた奈良麻呂らに対して過酷な尋問や拷問を行った人々であった。


その後


仲麻呂はこの事件により、自分に不満を持つ政敵を一掃することに成功した。
758年(天平宝字2年)、大炊王が即位し(淳仁天皇)、仲麻呂は太保(右大臣)に任ぜられ、恵美押勝の名を与えられる。


そして、760年(天平宝字4年)には太師(太政大臣)にまで登りつめ栄耀栄華を極めた。
だが、その没落も早く、孝謙天皇の寵愛は弓削道鏡に移り、764年(天平宝字8年)、仲麻呂は乱を起こして敗れ、その一族は滅んだ(藤原仲麻呂の乱)。




出典: 「橘奈良麻呂の乱」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



要するに上の事件は政権闘争なのですよ。 この事件で佐伯今毛人の一族である佐伯全成は自害した。 大伴家持の一族の大伴古麻呂は、過酷な拷問に耐えかねて絶命したのですよ。



つまり、佐伯氏と大伴氏が権力闘争で敗れたのですか?


簡単に言ってしまえば、そう言う事なのです。


その後に「藤原良継(よしつぐ)の変」が起こったのですか?


そうです。 当然の事だけれど、事変が発覚すれば最悪、拷問死や自害も覚悟しなければならない。 それは「橘奈良麻呂の乱」を見れば明らかなことです。


つまり、佐伯今毛人さんが命が惜しくって仮病を使ってまで遣唐使になるのを拒む性格であれば、「藤原良継の変」に参加しなかったとデンマンさんは言うのでござ~ますか?


その通りですよ。


。。。んで、その「藤原良継の変」は成功したのですか?


残念ながら失敗したのです。 藤原良継は佐伯今毛人・石上宅嗣・大伴家持らと結託し藤原仲麻呂を暗殺する計画をたてた。 ところが計画が仲麻呂側に漏れてしまう。 763年(天平宝字7年)4人は逮捕されるてしまう。


死刑ですか?


いや。。。この当時は死刑はなかった。 この時、藤原良継(当時の名前は宿奈麻呂【すくなまろ】)は他の3人を救うために単独犯行を主張した。 一応認めれれて八虐の一つである大不敬との罪により解官の上、姓も剥奪されたのですよ。


佐伯今毛人さんは無罪放免になったのでござ~♪~ますか?


いや。。。そう簡単には事は運ばなかった。 3人は罪には問われなかったものの左遷されてしまった。 佐伯今毛人は九州に飛ばされ、大宰府営城監という役についた。 石上宅嗣は大宰少弐に、そしてあの有名な大伴家持は薩摩守に落とされた。


つまり、佐伯今毛人さんは反骨の人だったわけですわねぇ~?


そうだと思います。 佐伯今毛人が関わった事件をじっくりと見つめてみると、少なくとも彼が仮病を使って遣唐使を辞退するような人ではなかったと僕には思えるのですよ。


佐伯 亜利素(さえき ありす)さんも記事を読んでデンマンさんに同意したのですか?


そうです。。。


でも。。。、でも。。。、どうして亜利素(ありす)さんは、佐伯今毛人に興味を抱いたのですか?


あのねぇ~、卑弥子さんは、藤原不比等の後妻となった橘三千代、またの名を県犬養三千代(あがたのいぬかい の みちよ)に関心があるでしょう?


当然ですわァ~、だってぇ~、あたくしのご先祖様ですものォ~。。。


実は、佐伯今毛人は亜利素(ありす)さんのご先祖さまなのですよ。。。


マジで。。。?


佐伯今毛人さんの妻の名前を若狭郎女(わかさのいらつめ)というのです。。。



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   若狭郎女


 



 



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佐伯 亜利素(さえき ありす)さん



つまり、亜利素(ありす)さんは若狭郎女のDNAを体内に持っているので、顔が似ている、とデンマンさんは証拠のつもりで上の写真を並べたのでござ~ますかァ?



そうですよ。。。 “百聞は一見にしかず!”と言いますからねぇ~。。。 これならば、疑り深い卑弥子さんも信じると思ったのですよ。。。



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 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-05-28 03:54 | 日本史

ん?佐伯今毛人 (PART 2)



 


ん?佐伯今毛人 (PART 2)



【卑弥子の独り言】



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ですってぇ~。。。


やっぱり、ちょっとでき過ぎていますわよねぇ~。。。


あなただってぇ、そう思うでしょう?


ところで、あたくしには紫式部の血も流れているのでござ~ますわァ。。。


信じられないでしょう?


では、あたくしの次のお話を読んでくださいませぇ~。。。



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『卑弥子の源氏物語』


どうですか? あたくしが“平成の紫式部”だと納得がゆきましたかァ~?


ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?


でもねぇ~、あたくしは 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますゥ。


だけど、どういうわけか結婚相手が 現れないのですわよゥ。


あたくしは別に高望みはしていないのでござ~ますう。


“寅さん”のような人でもいいのです。。。


ついでだから、寅さんの映画でも見てください。



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ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代の話も心にしみます。


たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。


そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。


ぜひ 覗いてみてくださいねぇ~。。。


天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。
 


天智天皇は暗殺された 


定慧出生の秘密 


藤原鎌足と長男・定慧 


渡来人とアイヌ人の連合王国


なぜ、蝦夷という名前なの?


平和を愛したアイヌ人


藤原鎌足と六韜


古事記より古い書物が


どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は


日本人でないの?


マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてください。
じゃあ、またねぇ~。。。



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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。


卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




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『下衆のかんぐり』


『桓武天皇のママがネットで』


『ござが天皇とGOOGLE』


『エロ 建礼門院』


『一敗が三人に!』


『行田の黒い霧をはらう』


『ペルシャ人が飛鳥に』


『小柴垣草子』


『後白河上皇ダントツ』


『ブスと美人』


『エロい話が好き?』


『死んでも生きてる』


『失意の太田将宏』



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『オルフェと聖徳太子』


『源氏物語とおばさんパンツ』


『霊仙はなぜ毒殺されたの?』


『紫式部が地獄へ』


『破戒僧円載』


『アショーカ王の愛と苦悩』


『どら平太の世界』


『三四郎とデンマンさん』


『ヒトラーの姪』


『ゴヤと三島由紀夫』


『仏陀とキリストと娼婦』



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『ズロースと戦争』


『伊藤若冲ブーム?』


『ブッダと物理学』


『加藤清正ブーム?』


『愛憎と三輪山』


『松原智恵子 お尻ペンペン』


『坂本龍馬は流れ者か?』


『野ざらし』


『紫式部堕獄説』


『日本最古のポルノ?』


『源氏物語の性描写』


『寅さんの本棚と急行まつしま』


『ヒトラーは草食系?』


『ブッダとキリストと娼婦』


『顔文字とオナラ』



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『宝暦の恨みを明治維新で』


『デウキと紅葉@行田』


『薄い陰毛と紅のボートピープル』


『江戸の閨房術』


『ずるがしこい現代人』


『春画@源氏物語』


『千早振る』


『あれっ、松本清張』


『キスと源信』


『伎楽は呉から…?』


『紺瑠璃杯に魅せられて』


『神聖娼婦 マリア』


『安徳帝は生きていた』


『白石川の桜』


『ブログ村のマリア様』


『萌える済子女王』


『ピンク桃色@徒然』


『富沢金山の桜』


『ピンク桃色村』


『紫式部@徒然』


『絵里香@ペルー』


『ペルシャ人の楊貴妃』


軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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by denman705 | 2017-05-28 03:53 | 日本史


 


安徳帝は生きていた(PART 1)


 



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安徳天皇と守貞親王


 



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ところで、守貞親王と入れ替わった安徳帝は、その後どうなったのでしょう。


まずまず無事に守貞親王に化けおおせ、治部卿局(じぶきょうのつぼね)たちとともに都に戻り、法皇との対面ののち、上西門院の猶子(ゆうし)となって成長、そして承久の乱勃発後、太上天皇(だいじょうてんのう)として再び政治の座についたのです。


泉下の平家一門はどれだけ喜んだでしょう。


しかし46歳にして惜しくも崩御されてしまいました。


この事実を、治部卿局以外、誰も知らなかったとは考えられませんが、なんの破綻もなく、これまでおさまったのは、天佑神助(てんゆうしんじょ)のたまものというべきでしょうか。


 



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(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)




197ページ 『義経』
著者: 宮尾登美子
2004(平成16)年11月25日 第1刷発行
発行所: 日本放送出版協会


 




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幼かった安徳天皇が おばあちゃんの二位尼(平時子)に抱き上げられて 一緒に瀬戸内海の波間に沈んでいったのではなく、そのおばあちゃんが抱いていたのは、身代わりになった守貞親王で、実は、安徳天皇は生きていて 承久の乱勃発後、太上天皇(だいじょうてんのう)として再び政治の座についた、とデンマンさんは信じているのでござ~♪~ますか?



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いや。。。 実は、僕は初めて そのような事を信じている人がいるのを知って ちょっと驚いたのですよ。。。 もう亡くなってしまったけれど、宮尾登美子さんが書いた上の本をバンクーバー図書館で借りて読んでいたら、上の箇所に出くわしたというわけです。。。


そのような事はありえないと、デンマンさんは考えているのですかァ~?


だから、それをちょっと確かめてみたくなって卑弥子さんを呼んだのですよ。。。


あたくしは、そのような事を考える人たちが居ても 決して不思議ではないと思いますわァ~。。。


卑弥子さんは、どうしてそう思うのですか?


だってぇ~、源義経が亡くなったのは、実は、影武者が殺されたので 本人は生きていて後にジンギスカンになって大陸で活躍したというお話は多くの人が信じていますわァ。


でもねぇ~、その伝説は今では学術的に完全に否定されてるのですよ。。。



義経の伝説



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優れた軍才を持ちながら非業の死に終わった義経の生涯は、人々の同情を呼び、このような心情を指して判官贔屓というようになった。
また、義経の生涯は英雄視されて語られるようになり、次第に架空の物語や伝説が次々と付加され、史実とは大きくかけ離れた義経像が形成された。


義経伝説の中でも特に有名な武蔵坊弁慶との五条大橋での出会い、陰陽師・鬼一法眼の娘と通じて伝家の兵書『六韜』『三略』を盗み出して学んだ話、衣川の戦いでの弁慶の立ち往生伝説などは、死後200年後の室町時代初期の頃に成立したといわれる『義経記』を通じて世上に広まった物語である。
特に『六韜』のうち「虎巻」を学んだことが後の治承・寿永の乱での勝利に繋がったと言われ、ここから成功のための必読書を「虎の巻」と呼ぶようになった。


また後代には、様々な文物が由緒の古さを飾るために義経の名を借りるようになった。
例えば、義経や彼の武術の師匠とされる鬼一法眼から伝わったとされる武術流派が存在する。


 


不死伝説


後世の人々の判官贔屓の心情は、義経は衣川で死んでおらず、奥州からさらに北に逃げたのだという不死伝説を生み出した。
このような伝説、あるいは伝説に基づいて史実の義経は北方に逃れたとする主張を、義経北方(北行)伝説と呼んでいる。
この伝説に基づいて、寛政11年(1799年)、蝦夷地のピラトリ(現・北海道沙流郡平取町)に義経神社が創建された。


義経北方(北行)伝説の原型となった話は、室町時代の御伽草子に見られる『御曹子島渡』説話であると考えられている。
これは、頼朝挙兵以前の青年時代の義経が、当時「渡島(わたりしま)」と呼ばれていた北海道に渡ってさまざまな怪異を体験するという物語である。
未知なる地への冒険譚が、庶民の夢として投影されているのである。


このような説話が、のちに語り手たちの蝦夷地のアイヌに対する知識が深まるにつれて、衣川で難を逃れた義経が蝦夷地に渡ってアイヌの王となった、という伝説に転化したと考えられる。
またアイヌの人文神であるオキクルミは義経、従者のサマイクルは弁慶であるとして、アイヌの同化政策にも利用された。
またシャクシャインは義経の後裔であるとする(荒唐無稽の)説もあった。
これに基づき、中川郡の本別町には義経山や、弁慶洞と呼ばれる義経や弁慶らが一冬を過ごしたとされる洞窟が存在する。


 


義経=ジンギスカン説



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この北行伝説の延長として幕末以降の近代に登場したのが、義経が蝦夷地から海を越えて大陸へ渡り、成吉思汗(ジンギスカン)になったとする「義経=ジンギスカン説」である。


この伝説の萌芽もやはり日本人の目が北方に向き始めた江戸時代にある。
清の乾隆帝の御文の中に「朕の先祖の姓は源、名は義経という。その祖は清和から出たので国号を清としたのだ」と書いてあった、あるいは12世紀に栄えた金の将軍に源義経というものがいたという噂が流布している。
これらの噂は、江戸時代初期に沢田源内が発行した『金史別本』の日本語訳が発端である。


このように江戸時代に既に存在した義経が大陸渡航し女真人(満州人)になったという風説から、明治時代になると義経がチンギス・カンになったという説が唱えられるようになった。
明治に入り、これを記したシーボルトの著書『日本』を留学先のロンドンで読んだ末松謙澄はケンブリッジ大学の卒業論文で「大征服者成吉思汗は日本の英雄源義経と同一人物なり」という論文を書き、『義経再興記』(明治史学会雑誌)として日本で和訳出版されブームとなる。


大正に入り、アメリカに学び牧師となっていた小谷部全一郎は、北海道に移住してアイヌ問題に取り組んでいたが、アイヌの人々が信仰する文化の神・オキクルミの正体は義経であるという話を聞き、義経北行伝説の真相を明かすために大陸に渡って満州・モンゴルを旅行した。
彼はこの調査で義経がチンギス・カンであったことを確信し、大正13年(1924年)に著書『成吉思汗ハ源義經也』を出版した。
この本は判官贔屓の民衆の心を掴んで大ベストセラーとなる。
現代の日本で義経=ジンギスカン説が知られているのは、この本がベストセラーになったことによるものである。


こうしたジンギスカン説は明治の学界から入夷伝説を含めて徹底的に否定され、アカデミズムの世界でまともに取り上げられることはなかったが、学説を越えた伝説として根強く残り、同書は昭和初期を通じて増刷が重ねられ、また増補が出版された。
この本が受け入れられた背景として、日本人の判官贔屓の心情だけではなく、かつての入夷伝説の形成が江戸期における蝦夷地への関心と表裏であったように、領土拡大、大陸進出に突き進んでいた当時の日本社会の風潮があった。


現在では後年の研究の結果や、チンギス・カンのおおよその生年も父親の名前も「元朝秘史」などからはっきりと判っていることから、源義経=チンギス・カン説は学術的には完全に否定された説である。




出典: 「源義経」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



こういう話は、昔から“判官贔屓(はんがんびいき)”と言って よく伝説には付き物なんですよ。。。 どう考えたって、義経がジンギスカンになったという話は、荒唐無稽(こうとうむけい)なのですよ。。。



どうしてデンマンさんは荒唐無稽と決め付けるのでござ~ますか?


あのねぇ~、僕がジンギスカンの下で命令を受けて戦うモンゴル人のデンマン将軍だとします。。。


あらっ。。。 面白そうな例えでござ~ますわねぇ~。。。 うふふふふふふ。。。 で、もし、そうだとしたらどうなったと言うのでござ~ますかァ?


義経がジンギスカンになったとしたら、彼は30才をすぎてから大陸に渡ったことになるのですよ。。。 つまり、そうなると、誰もがジンギスカンはモンゴル人じゃなくて日本人だということを知っている。。。 すると、日本人のために命をかけてまで戦う気にならない! 僕は、日本人のジンギスカンを暗殺して自分がモンゴル人の棟梁になろうとしますよ。。。


つまり、モンゴル人のデンマン将軍が日本人のジンギスカンを暗殺して歴史は変わってしまったというのでござ~ますかァ?


その通りですよ。。。 あのねぇ~、現在だって、アメリカの大統領になるにはアメリカで生まれてないと成れない! どこの国でも移民の大統領など居ませんよ。。。 移民は、その国ではせいぜい縁の下の力持ちになる程度で、決してその国の長には成れない! そんな事は移民をしてみればすぐに理解できる事なのですよ。。。


つまり、義経がモンゴルに移民してジンギスカンになることは デンマンさんの経験上からありえないという事ですわねぇ~。。。


いや。。。 僕の経験からも言えることだけれど、そのような事は歴史を見ればすぐに理解できる事ですよ。。。 フジモリ大統領だってぇ、ペルーの第91代大統領になったけれど、移民したわけじゃない。。。 ペルーの首都リマのミラフロレス区で仕立物屋を営む父・直一と母・ムツエの間に生まれたのですよ。。。 要するに、その国で生まれ育った人物でなければ、その下で働く人たちの意欲が湧かないのですよ。。。 だから、日本から30才過ぎてやってきた義経に従ってモンゴル人が命をかけて戦うなんて、とてもありえない!


モンゴル生まれのデンマン将軍によって暗殺されてしまうのですか?


僕が、その当時モンゴルで生まれて義経将軍の下で戦うモンゴル人の将軍になったら、まずそうする事になったと思いますよ。。。


分かりましたわ。。。 でも、安徳天皇の場合は、お話が違うと思うのでござ~ますわァ。。。


どう違うのですか?


だってぇ~、安徳天皇はモンゴルに移住したわけではありませんわァ。。。 守貞親王が安徳天皇の身代わりになって海に沈んだのですわ。。。 だから、安徳天皇は守貞親王として、都で暮らし、やがて承久の乱勃発後、太上天皇(だいじょうてんのう)として再び政治の座についたのでござ~ますわァ。


卑弥子さんもマジで それを信じているのですかァ~?


だってぇ~、そうでも考えないと、安徳天皇があまりにも お可哀想ですわァ~。。。 




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最期を覚悟して神璽と宝剣を身につけた おばあちゃんの二位尼(平時子)は安徳天皇を抱き上げました。


「おばあちゃん、僕をどこへ連れてゆくのォ~」


二位尼は涙をおさえて 諭(さとし)します。


「坊ちゃんは 前世の修行によって天子としてお生まれになられましたが、悪縁により、御運はもはや尽きてしまいました。 この世は辛く厭(いと)わしいところです。


これから、このバアが、極楽浄土という結構なところにお連れ申すのですよ」


「楽しいところなのォ~」


「そうですよ。。。 これからバアと一緒にゆきます。 だから、この世にさようならをしましょうねぇ~」


 



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すると、幼い天皇は小さな手を合わせ、東を向いて伊勢神宮を遙拝し、続けて西を向いて念仏を唱えました。


二位尼は「波の下にも都がございます」と慰め、安徳天皇を抱いたまま壇ノ浦の急流に身を投じたのでした。


安徳天皇は、歴代最年少の数え年8歳(満6歳と4か月)で崩御したのです。




『平家物語』「先帝身投」より卑弥子が現代語に意訳しました。



卑弥子さんは意外に涙もろいのですねぇ~。。。



この場面を想い浮べると、あたくしは涙無しにはおられないのでござ~ますわァ。。。


卑弥子さん。。。 涙が鼻水になって、鼻からずいぶん出てますよ。。。 ハンカチでは間に合わないからタオルを持ってきますねぇ~。。。


デンマンさん! 愚かな事を言ってないで話の先を進めてくださいなァ~。。。


あのねぇ~、よく考えてくださいよ! 安徳天皇が満6歳と4か月で おばあちゃんと一緒に瀬戸内海の海の底に沈んだから、そうやって卑弥子さんの涙がドバドバと出てくるのですよ。。。 もしですよゥ。。。 そうじゃなくて守貞親王が安徳天皇の身代わりになっていたとしたら、『平家物語』の上の箇所は、涙をそれほど誘わないのですよ。。。 むしろ、現在の倫理観としたら、人権無視もはなはだしい! もしもですよ、卑弥子さんが 守貞親王のお母さんだとしたら、安徳天皇の身代わりに自分の幼い息子を差し出しますかァ~?


いいえ。。。 絶対にイヤでござ~ますわァ~。。。


でしょう!?。。。 だから、安徳天皇は本人が おばあちゃんと一緒に入水したのです。。。 そうでないと日本文学の素晴らしい『平家物語』が安っぽい話になってしまうのですよ。。。



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 (すぐ下のページへ続く)


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by denman705 | 2017-04-16 02:55 | 日本史



 


安徳帝は生きていた(PART 2)



【卑弥子の独り言】



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ですってぇ~。。。


あなたは どう思いますか?


安徳天皇は壇ノ浦で入水せず、つまり、おばあちゃんだけが “ねんねこ”をかかえて、さも安徳天皇を抱くようにして、一人で入水したのだと信じている人たちも居るのですわよう。。。


それから、安徳天皇は平氏の残党に警護されて地方に落ち延びたと言うのでござ~ますわァ。


だから、九州や四国地方を中心に全国に20か所あまりの伝承地があるのですわよ。


では、高知県の山の中に墓があるというミステリーをご覧くださいませぇ~。。。



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上のクリップを観てあなたはどう思いましたか?


話は変わりますけれど、あたくしは“平成の紫式部”と呼ばれているのでござ~ますわァ。


うふふふふふふ。。。


ええっ。。。 信じられないってぇ~。。。?


じゃあ、『卑弥子の源氏物語』を お読みくださいませぇ~。。。



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『卑弥子の源氏物語』


どうですか? あたくしが “平成の紫式部”だと納得がゆきましたか?


ええっ。。。 ちょっと納得がゆかないのでござ~ますかァ?


でも こう見えても 一応 京都の女子大学で腐女子たちに「日本文化と源氏物語」を講義しているのでござ~ますわァ。


ただし、なかなか あたくしの魅力を認めてもらえないのでござ~ますう。


つまり、結婚相手が 現れないのですわァ。


この際 高望みはいたしません。


“寅さん”のような人でもいいですわ。


旅に出ていることが多いので 手がかからないと思うのでござ~ますう。


ついでだから、寅さんの映画でも見て、希望をつなごうと思います。


“袖触れ合うも他生の縁”と申します。


あなたも 一緒に寅さんのYouTubeでも見てくださいねぇ~。。。



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ちなみに、紫式部のお話も面白いですけれど、古代のお話も心にしみますわァ。


たまには、日本の古代史の記事も読んでくださいませぇ。


そういうわけで あなたのために平安史、古代史の記事を用意しました。


ぜひ 覗いてみてくださいね。


天武天皇と天智天皇は


同腹の兄弟ではなかった。
 


天智天皇は暗殺された 


定慧出生の秘密 


藤原鎌足と長男・定慧 


渡来人とアイヌ人の連合王国


なぜ、蝦夷という名前なの?


平和を愛したアイヌ人


藤原鎌足と六韜


古事記より古い書物が


どうして残っていないの?


今、日本に住んでいる人は


日本人でないの?


マキアベリもビックリ、


藤原氏のバイブルとは?


とにかく、次回も興味深い記事が続きます。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいね。
じゃあ、またねぇ~。。。



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ジューンさんの熟女下着 June Adams 下着美人
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ところで、平成の紫式部こと、卑弥子さんは見かけによらず、京都の女子大学で腐女子に「日本文化と源氏物語」を講義している橘卑弥子・准教授という肩書きを持っています。


卑弥子さんの面白い話をもっと読みたい人は
下のリンクをクリックして読んでみてくださいね。




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『ハマグリにハマる』


『ハマグリの誘惑』


『ハマグリの足跡を追って』


『芭蕉と遊女』


『光源氏もビックリ』


『エロエロ源氏物語』


『悲痛の紫式部』


『卑弥子のえっち』


『白妙の和歌を探して』


『キーワード診断』


『紅のボート難民』


『ん?ネトウヨ』



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『下衆のかんぐり』


『桓武天皇のママがネットで』


『ござが天皇とGOOGLE』


『エロ 建礼門院』


『一敗が三人に!』


『行田の黒い霧をはらう』


『ペルシャ人が飛鳥に』


『小柴垣草子』


『後白河上皇ダントツ』


『ブスと美人』


『エロい話が好き?』


『死んでも生きてる』


『失意の太田将宏』



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『オルフェと聖徳太子』


『源氏物語とおばさんパンツ』


『霊仙はなぜ毒殺されたの?』


『紫式部が地獄へ』


『破戒僧円載』


『アショーカ王の愛と苦悩』


『どら平太の世界』


『三四郎とデンマンさん』


『ヒトラーの姪』


『ゴヤと三島由紀夫』


『仏陀とキリストと娼婦』



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『ズロースと戦争』


『伊藤若冲ブーム?』


『ブッダと物理学』


『加藤清正ブーム?』


『愛憎と三輪山』


『松原智恵子 お尻ペンペン』


『坂本龍馬は流れ者か?』


『野ざらし』


『紫式部堕獄説』


『日本最古のポルノ?』


『源氏物語の性描写』


『寅さんの本棚と急行まつしま』


『ヒトラーは草食系?』


『ブッダとキリストと娼婦』


『顔文字とオナラ』


『宝暦の恨みを明治維新で』


『デウキと紅葉@行田』


『薄い陰毛と紅のボートピープル』


『江戸の閨房術』


『ずるがしこい現代人』


『春画@源氏物語』


『千早振る』


『あれっ、松本清張』


『キスと源信』


『伎楽は呉から…?』


『紺瑠璃杯に魅せられて』


『神聖娼婦 マリア』


軽井沢タリアセン夫人の小百合さんが扮するゴディバ夫人 Sayuri
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by denman705 | 2017-04-16 02:54 | 日本史